はじめに
ネットの記事を流し読みしていたらですね。
こんな記事があったのですよ。
人の顔が覚えられない「相貌失認」について知ってください – NAVER まとめ
相貌失認については、詳しくは上記を見ていただくとして、結構、個人的には非常に衝撃的でした。
何が衝撃的だったかというと、自分が「相貌失認みんな知らないの?」っと、何気なく、何の気なしに、何も考えずに、そういう風に思ったことです。
つまり、自分の感覚と世間の常識がずれていることに、はたと気が付かされたわけです。
作業療法学にはマニアックな(世間一般が知らないような)知識が多い
それがきっかけで、作業療法士養成課程で今まで学んできたことを振り返って見ました。
すると、確かに、専門課程にて、勉強してきたことは、ここで勉強しなければ、きっと、一生知りえなかっただろうなと思うことが、非常にたくさんありました。
作業療法学の基礎となる部分についての、高次脳機能等に関する、専門的な知識って、あんまり、社会的に認知度が高くないんだなーと思いました。
個人的には、いま、特に、国家試験の勉強中ですので、そのせいで、感覚がより、世間一般からかい離しているような、そんな気がします。
世間的理解はあったほうが、よいと思う
何で、世間的理解を深めないといけないかというと、知らないと、やっぱり、助けようがないし、「奇妙だ」「変だ」となって、拒絶に行っちゃうことが多いと思うのです。
自分自身、実際、作業療法学の勉強する前と、した後とで、精神疾患や高次脳機能障害を持っている方を見た時の、その方へのとらえ方は、きっと大きく変化していると思います。
最も、実際に、社会でおみかけすることが無かったので、比べようがありませんが、でも、ひょっとすると、そうした症状が出ている人が社会の中で生活していたけれども、それに、気が付くことができていなかっただけかもしれません。
世間的な理解が進めば、「変だ」「奇妙だ」の先にある、「どんなところに困っているのだろう」「どんな支援が必要なのだろう」に行くことができると思うのです。
世間的な理解を深めるためには
どうしたらよいでしょうね。
社会的認知度が高まらない一つの理由として、目にする機会がないというものがあると思います。
つまり、社会でなかなか、高次脳機能障害を持った方と接する機会がないという現状があって、それが一つの理由となっているのではないかと思うのです。
これを、どうにかすることができれば、何か変わるかもしれません。
また、簡単に入手できる情報が少ないというのも、一つの原因だと思います。
たとえば、先ほども述べましたが、自分の場合、作業療法士養育過程において、教科書などで学ぶ機会が無ければ、きっと、高次脳機能障害や精神疾患についての知識を、体系的に持つことなどあり得なかったと思うのです。
ですから、より簡単にそう行った情報が手に入れられるように、情報入手のハードルを下げる試みをしていくことも一つの手段として重要だと思います。
たとえば、今回の冒頭で、ご紹介したように、情報をインターネット上に掲載するというのも、一つの有効な手段だと思います。
いまや、若い人だけではなく、全年齢が、インターネットに手を伸ばすことができる時代ですから。
おわりに
さて、乙武先生が、とあるつぶやきをされておられました。
そのつぶやきを引用して、記事を終わりたいと思います。
4.日本は、新たなステージを迎えたのかもしれない。僕のような「目に見える」障害者への理解はずいぶんと進んだ。次は、「見えにくい」障害に対する理解や配慮だ。精神障害や発達障害など、理解されずに苦しんでいる人が多くいる。同性愛や性同一性障害など、少数派であることで苦しむ人々もいる。
— 乙武 洋匡さん (@h_ototake) 2013年1月28日
自分も、乙武先生がおっしゃっておられるような、「目に見えない障害」に対する理解にも、幾ばくかの貢献ができればと思います。
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