デイケア送迎問題について特に関心がなかった自分を恥じた

昨日のNHKのニュースで、デイケアなどの施設への送迎車の事故が増加傾向にあるというニュースを見ました。

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事故の増加は単純に、不注意の増加というわけではなく、送迎車自体の増加に比例しているかもしれないので、どこまで予防対策に力をいれるのかは難しい問題だと、思いながら見て、

「いやいやちょっとまてよ」

と。

そういう問題が発生していること自体全然知らなかったというか、思い至らなかった自分自身に愕然としました。

大きな事業所の例しか頭の中になかったので、そういうことになったんだとおもいます。

年間160万人が利用するという送迎車。

今後、高齢者の単純増加や、さらなる高齢化の進行によって、利用者はますます増えることでしょう。

国としては、医療費のコストカットを叫ぶ一方でそういうところにどのように資金を投下するつもりなのか、注目です。

また、知り合いの作業療法士の方にデイケアではその辺どのようになってるのか、ちょっと聞いてみるつもりです。

病院に入る前の段階をどれだけ長く続けることができるのかというのは、作業療法士的にすごく大切な話題ですよね。

そのボトルネックともいうべき問題ですので、また注目していきたいとおもいます。

ソース:

すぐに出来るはず。「難しい」を簡単にする方法。

作業療法には、枠組みがある。

 

ひとが生活をするときに「なぜかうまくいかないなあ」「なんだかしんどいなあ」という思いを抱くことがある。

これは、そのひとが生活上の困難を抱えていることの表れである。

作業療法士の存在意義の一つは、

そうした思いを抱かせている状況その状況に対するその人自身の関わり方に対して積極的に関わり、

より良い方向に向けて本人と協働し、

改善方向への結果を出すことにある。

解決するためのもっとも有力な手段は、「学習」と「認知」を使うこと。

そして、作業療法での切り口は「生活に密着する行動」に焦点化すること。

困難を持つ人自身を全人的にとらえて、生活の環境などとの関連を見ながらその人が行う「生活に密着する行動」を紐解き、分析・整理して、相手には、「こうしてみたら少し楽になるかもしれません、いっしょにやってみませんか?」と具体的に行うべきことのみを伝える。(もちろん必要に応じて説明するけれど)

こうすることで、その人は、具体的な「行為」を通して「学習」し、その過程を自分自身を「認知」できるので、今後似たような問題に直面してもすでに学習したことを手掛かりにして、自分で解決できたり、またその糸口をつかむことができる。

この具体的な「行為」は、その人にとって思い入れがあったり、毎日必ず行う必要があったりして、とにかく思いが強いものであればあるほど良いと思う。

なぜなら、その「行為」を今以上にコントロールできるようになったと感じることが、人間にとって「できた!」という達成感や自尊心と切っても切り離せないものだから。

そして、達成感や自尊心が大切なのは、それがその人の生きる事へのモチベーションにつながるからであり、いわゆるQOLの向上にもつながるからである。

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と、まあ堅い文章になってしまいましたが言いたいのはつまりこういうことです。

まずは、大まかに状況と問題点を把握して、「どうしたらもっとラクだったり、楽しくなるかな」と自分のこととして考えてみることが大事

これは、経験年数やセンスによって精度や質に差があっても、誰にでもすぐに取り組めることのはずです。

提供する作業療法の背景にこうした枠組みがあれば、作業療法の対象となる方が持つ特性が、認知症でも発達障害でも、重度精神障害でも、高次脳機能障害でも、何でも関わりの時に迷わなくて済むなあ。

そんなことを再認識した、今週のお仕事でした。

facebookページ連携のテスト投稿と日頃のご愛顧への感謝

当サイトでは、facebookページを運営しております。

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https://www.facebook.com/saryou.net

以前は、このブログから記事を投稿すると、自動的にfacebookページにも記事更新のお知らせが届くようになっていたのですが、うまく表示できなくなってしまっていました。

これまで利用していたサービスがなぜかうまく働かなくなってしまったようです。

そこで、ブログの方にあたらしい仕組みの導入を行いました。

これで再び作業療法.netのfacebookページにこのブログの更新が自動的に追加されるようになったはずです。

どうでしょうか?

先日、「作業療法.net」のfacebookページのいいね!の数が100を超えました。

いつもありがとうございます。

最近もどんどんいいね!してくださる方が増えています。

本当にありがたく、更新さぼり気味なだけに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

実は、facebookの方のみで共有している記事もありますので、フォローがまだの方は是非いいね!してみてください。

https://www.facebook.com/saryou.net

いつの間にか、リアルの知り合いの方にもフォローされているようで(!)、いつ投稿ミスって身バレするかと思うと戦々恐々ですが、気楽にがんばりますので今後ともよろしくお願いします。

とある作業療法士が言った。「将来性が見えないよね。金銭的に」と。

突然ですが、お金の話です。

タイトルは実話です。

本当はキチンと文脈があるんですが、話すと非常に長いので以下のようにはしょります。

話の前提として、国は、医療費や福祉関連の予算を絞りたい。

なぜかというと、お金が圧倒的に足りないから。

を踏まえて読んでいただければと思います。

もっと言えば作業療法士の仕事の報酬は、医療の点数制度です。

そして、点数制度を支えているのは公的な資金。

要するに国の財源で、国のさじ加減が全て。

政策次第で全てがひっくり返る、そういうポテンシャルを秘めているわけです。

さらに医療費が完全無料な生活保護とかも、国の財源であるわけです。

するとお金がないので予算を絞りたい国としては、ワイルドカードではあるけれどその辺りを削るという選択肢もありえない話ではないのです。

というか、いよいよ首が回らないとなったときに、多分いつか、方針を180度転換するような事態がやってくる。

ギリシャのようなことになるとしたらありえない話ではないと思います。

その時、国としては、財政として投下した金銭が、経済成長にどの程度結びつくのかという見方を、税金の収益がある程度のラインを下回った時にいつかするようになるかもしれません。

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で。

「上記のような事態に備えておく必要があるよね」、そんな会話をとある作業療法士さんがしていて、それはひろえもんも以前から時折ながらもおおいに感じていたことだったので、「ああ、やっぱりそんな風に感じる人もたくさんいるのかもしれない」そんなことを考えたり。

そして将来的に、作業療法士という仕事は、ご飯を食べられる人が非常に限られる、そういう職種になっていくかもしれません。

余談。

結構、余剰資産を投資に回しているOTさんって少なくないんじゃないかなあと、そんなことを考えさせられました。

仕事のできるOTさんて、投資が上手にできそうだなあともおもいますし。

まあ、OTの仕事が今後どうなっていくかを占う意味をこめまして、とりあえず、来年の制度改正を注視したいとおもいます。

さらに蛇足。

情熱があれば、楽しければ、お金じゃない。

というか、お金はあとからちゃんとついてくると思います。