エビデンスベースではROM-exは拘縮に対する関節可動域の改善に寄与してるかどうかは一切不明という論文が存在する

たまには、ちゃんと臨床の役に立つ記事を書かないといけないかなと思って、書いてみます。

なかなか刺激的な記事内容と思います。

タイトルのような結論、つまり

「他動的なROM訓練は拘縮に対する関節可動域を明確に改善しなかった」

を述べた論文がありますのでご紹介します。

この論文のエビデンス力はかなり高いです。

翻訳しながら、論文を読み解いてみたので、自分の備忘録のために書いております。

ストレッチ・他動的ROM-exは神経学的・非神経学的な拘縮の治療および予防に有効か

この論文の問いは、

ストレッチは神経学的・非神経学的な拘縮の治療および予防に有効か

です。

ようするに、関節可動域の改善を目的とした他動的ROM-ex・ストレッチに意味はあるのかと言うことです。あくまで関節可動域改善に寄与するかという意味で、ですが。

結論 「明確な成果は不明」

他動的ROM-exで、成果らしい成果はないということが、論文のメタアナリシスによって報告されました。むしろ、副作用があるとな。副作用の詳細は、元の論文読んでみてください。

以上です。

但書

ただし、下記のように無意味だ、効果はないと断定した書き方はされていないようです。効果の検討の余地についても書かれています。

諦めずに頑張る余地は一応残されていますが…どうでしょう

今後の研究によって本レビューの結果が変わる可能性は低い。しかし、他の介入と併用したストレッチの効果を検討することには価値があるかもしれない。例えば、運動訓練やボツリヌス毒素を用いた神経疾患者へのストレッチの効果などである。また、長時間(例えば数年)のストレッチの有効性を具体的に検討する価値があるかもしれません。また、特に重度の拘縮を発症するリスクが非常に高い人(外傷性脳障害者など)における拘縮予防のためのストレッチの有効性をさらに検討する価値があるかもしれません。

このコクラン系統的レビューの結果は、理学療法士が長年にわたって行ってきた基本的な仮定に反するものであり、理学療法の専門家にとって挑戦的なものである。すなわち、ストレッチは拘縮の治療や予防に有効であるということである。しかし、現在では、ストレッチが関節可動性に臨床的に意味のある効果を持たないこと、また、これらの結果は様々なサブグループ分析にも頑健であることがエビデンスとして証明されています。しかし、これらの結果を何ヶ月も何年も定期的に行われているストレッチに適用する前に、注意が必要である。また、長時間のストレッチの有効性は不明である。

作業療法.netがhttps://reader.elsevier.com/reader/sd/pii/S1836955317300280?token=231984AF1F1C85C61738EC723DFEBED53EF15D8FB277016AF54823FEAAD871411BD1D239090B3C3EB7219700F6ABD512をDeepLで翻訳

「他動的ROM-exには明確な効果を認めません」をどう読み解くか

他動的ROMが全く無意味とは思いません。精神的な指示の意味において。ですが、身体障害の改善目的でなんとなくやるだけでは、コストパフォーマンスは悪いと読み解くべきと思います。

銀行がROM-exを関節可動域改善を成果指標とした事業に投資してくれるかという観点で物事を考えると、多分資金出してくれないとおもいます。

今現在、国はROM-exを関節可動域改善のために実施する療法士の働きに、お金を出してくれています。

この論文のメッセージを改めて整理すると

拘縮患者の関節可動域改善にストレッチは正直明確な効果がみられない

ただし長期的継続的に続けるストレッチの無効性は証明できない

つまり

もしROM-exストレッチを始めるなら、結果がでるまで継続してやり続けてようやく結果が出るかもしれないし出ないかもしれない

ということです。

まとめ

ストレッチや他動ROM-exには明確な改善効果を示すエビデンスがありません

リソース

Stretch for the treatment and prevention of contracture: an abridgedrepublication of a Cochrane Systematic Review

関節可動域の拡大や維持を主目的としてROM-ex・ストレッチを行うことは、短期的な場合には改善効果がほとんど期待できないので意味性は薄い

個人的意見

徒手的訓練、他動的ROM -exは、ちゃんと、触診や仮説検証をきっちりとやって、ターゲットとなる筋肉を明確にした上で、ちゃんと行えば効果はあると感じています。逆に、漫然とやっても効果は全く期待できないとも思います。

また、対象者の方の認知機能が与える影響は大きいと思います。実際、認知機能が低下した方に対して、ROM-exをやって改善がみられることはほとんどありませんでした。私個人が関わった症例様では、2例改善が見られましたが、大多数は改善が見られていません。

このように、どのような合併症のある方にたいして、どんな介入をするかで結果や成果は変わるだろうと思うのですが、一応エビデンスはないと言うことで、もし今後ROM-exやるときには、謙虚にやりたいと思います。

作業療法における研究エビデンスの質の考え方

エビデンスに基づく作業療法(EBOT)は、エビエンスに基づく医療(EBM)のひとつであり、現在ホットな考え方であります。

EBOTにもいろいろな捉え方がありますが、データの蓄積を作業療法の中に生かそう、普段の作業療法の臨床にきちんとした根拠を持っていこうというそういう考え方です。

つまり、作業療法実践に後から理由をつける(考察する)だけでなく、それらの蓄積をきちんと統計処理したデータとして根拠に変換していこうじゃないか、それをもとにして作業療法の介入を行おうじゃないかというそういうこころみ。これがこの記事で使うEBOTの意味だと思ってください。

エビデンスには「質」がある

そのエビデンスには「質」があるという考え方はご存知でしょうか?

簡単にいうと、どの程度信頼が置けるか、ということの格付けです。

そもそも、エビデンスとは根拠のことです。根拠とは、人が何かの行動をしたり判断を下したりするときの判断材料となるような情報のことですから、「質」とはつまり、こういうことです。

判断を下すうえで、

とても参考になる情報は、エビデンスとして質が高く

あまりあてにならない情報は質が低い

こういうことになります。

「何を当たり前のことを」

と思われるかもしれませんが、とても大切なことです。

 

なぜなら、自分の感覚であてになると確信して判断したことが、実際にはあんまりいい結果につながらなかったという事はよくあることだからです。

たとえば、目の錯覚は、人の視覚が現実を歪めて認識するために起こる現象です。

感覚の歪みと同様に、歪みは人間の思考や判断にも起こり得るため、どんな情報が根拠として優れているのかということを主観的に判断する事はあまり得策ではありません。

どういった情報があてになって、どういった情報には価値が低いのかということを客観的に明らかにしておくことにはとても意味があるのです。

エビデンスの「質」 本題

前置きが長くなりましたが、本題の研究エビデンスの質の話です。

皆さんは、自分が書いた事例報告と、権威ある先生がいった一言はどちらがよりエビデンスとしての質が高いと思いますか?

研究エビデンスの質のクラスは、以下のようになります。(上から順に質が高い

1a 複数のランダム化比較試験(RCT)の体系的レビュー

1b RCTが一つ

2a 複数のコホート研究の体系的レビュー

2b コホート研究が一つ

3a 複数のケースコントロール研究の体系的レビュー

3b ケースコントロール研究が一つ

4  事例研究、報告

5  権威者の意見

ご覧の通り、権威者の意見は、裏付けとなる証拠がない場合や批判的吟味がされていない場合、あなたが書いた事例検討に劣るエビデンスしかありません。(と、EBM Oxford Centerは言ってます

補足

ランダム化比較試験というのは、統計学的な研究手法の一つです。

素晴らしい手法なんですが、その理由が気になる方は、下記参考文献をご参照ください。

コホート研究は、影響を与える因子の投入・暴露の前後を比較対照する実験で、放射線の健康調査などでよく行われます。

ケースコントロール研究は、後ろ向き研究ともいわれ、結果が得られている状態で、その結果を左右した因子は何かを比較対照によって明らかにする研究です。

研究法の詳細については、各種研究法の教科書が出版されているのでこちらもとりあえず下記参考文献にてご紹介します。

最後に

作業療法のエビデンスの最新情報は、やっぱりインターネット上で、しかも英語で確認ができるとのことです。

英語、大事ですね。

参考文献

文光堂;作業療法士 プロフェッショナル・ガイド 作業療法とは何か;編集主幹 杉原素子 古川宏

三輪書店;作業療法士のための研究法入門;鎌倉矩子

医学書院;作業療法研究法 (標準作業療法学 専門分野);山田孝

ダイヤモンド社;統計学が最強の学問である[実践編]—データ分析のための思想と方法;西内 啓

対象者だけでなく、家族や他職種をプログラム内に引き込むことでより効果の高い作業療法が行えるかもしれない

ずいぶん前から、リハビリテーションでは、他職種連携が必要といわれています。

連携とは、具体的には情報のやり取りが円滑に行えることによって、ムダなく、ムラなく、ムリなく、対象者の方が社会生活に復帰できるための動きが出来ることだと思います。

言うまでもなく、本人のやる気を引き出し、プログラムに集中してもらうことによって作業療法の効果はよりいっそう高いものになります。

しかし、そこに家族や他職種との連携が加わることによって、さらに効果を高めることができます。

なぜなら、作業療法としての関わりはいつか終了するものであり、その後に対象者の方を支えることになるのは、これらの人々だからです。

作業療法士だけで、プログラムの実践を完結させるのはとてももったいないなと感じています。

今年に入ってから参加した事例検討会においても、退院後を見据えて社会復帰を効果的に支援する為には、その人の周囲の環境に対する働きかけが必須になるという趣旨の発表がいくつか聞かれました。

当たり前のことかもしれませんが、これが当たり前にできることがこれからの時代のOTには求められ、それが出来ない作業療法士には厳しい目が向けられるようになるでしょう。

また、ITの効果的な利用も、効率的な情報共有のためには必須になっていくことと思います。

ひろえもんも、そうした部分での勉強をしっかりと日常業務の中で、実践を通して重ねていきたいとおもっています。

作業療法士の役割は、作業と人の媒介になること

はじめに

作業と人は不可分のものとして良く説明されるし、そのとおりだと思う。

しかし、ひょっとするとあえて独立させてみるとちがった視点が得られるかもしれない。

また、本来不可分なはずの作業と人とが、分たれた状態になっていることもある。

作業療法士の役割は、そうした状況を円滑に解決することにあるのではないだろうか。

人の生き甲斐

人は、何かをするためにいきている。

それを「生き甲斐」とよぶ。

何を生き甲斐とするかは人それぞれで、それは反社会的な内容でない限りなんであっても認められている。

疾患や障害によって、それまでの生き甲斐を喪失した人や、環境の変化によってその人の生き甲斐となる活動の継続が難しくなる場合がある。

そんなときに作業療法士は、素早く問題解決のために動けることが求められるように思う。

あえて分ける

作業と人は、渾然一体となって始めてその魅力を発揮する。

実行に移す人がいないと、いかなる作業もただの概念でしかないし、作業を行わない人は自分の存在意義を確認することが難しい。

それは踏まえたうえで、あえて作業と人とを分けて評価できることが、とてもたいせつだと最近思うのです。

その方が自他ともに構造が分かりやすいし、その結果再現性も高まるから。

再現性の高さは、上記の様な場面で素早く動けることに繋がる重要なポイントだと思っています。

分けることによる他のメリット

依存などの問題に対処する際に役立ちます。

課題

還元主義的な手法なので、コレに頼りすぎるのは人と作業をトータルで把握することをさぼってしまうことにつながるかとおもいます。

技術はあくまで手段であって、目的ではないので、自分が何の為にその手段を用いたのかをしっかりと意識しておくことが大切なのかなと思います。

おわりに

時間とマンパワーが不足しているなかで、どのようにしたら、作業療法士としての仕事が全う出来るかなあと考えたことをつらつらと書きました。

あえて、作業と人を分けて評価の視点などを語ると、作業療法でやろうとしていることが単純化されてわかりやすいとおもいます。

逆に、作業療法士は人も作業もしっかりと評価してみれないといけないので、本当に国語力の問われる仕事ダなあと思います。

作業療法でやってることを公表するためのポイント

はじめに

有効なアプローチだったり視点だったりを、発表して他の人と共有するのって簡単なようでかなり難しいことだなあと思います。

いろんな先生の素敵な発表を見るにつけ、「こんなことが大切なんじゃないかなあ」と感じたことをまとめてみます。

コメント欄にて、突っ込み大募集。

まず「気がつく」こと

「あれ?」と疑問をもち不思議がってみることが大切なんだと思います。

自分なりの視点や考え方で、それを分析してみること。

時間がかかることなので、ついついとおざけてしまったり。

現状に満足してしまったり。

そもそも、言語化が困難な領域で仕事をしているせいか、ついついそんな状況に陥りがちです。

日常業務のふとした引っかかりを大切にして、きちんとその分析に力を入れることが公表するに足るネタを準備するためには必要不可欠だと感じています。

公表への「モチベーション」

自己顕示欲でも何でもいいのです。

とにかく、自分のアイディアや発見を誰かと共有したいという強い思いが必要です。

なぜなら、公表するための準備は、地味でめんどくさい作業が多いからです。

実習の成果とも言える、「評価レポート」について「二度と書きたくない」と言っているOTRの友人は多いですが、ひろえもん個人としてはそれが「地味でめんどくさい」作業だからだと思っています。

それを乗り越えるだけの「モチベーション」が必要です。

自分の何気ないところからのアイディアが他の人が困っているときに活用されて、それで誰かが幸せになれるって素敵なことですよね。

そんなことをモチベーションにしてもいいかもしれません。

推敲の遂行

人は話すときについつい自分の言葉を使ってしまうものです。

それは、相手にとってはよくわからないことばかもしれません。

自分にしかわからない言葉で発表することほどムダでむなしいことはありません。

極端に言えば、英語しか分からない人に、日本語で理屈を説明しても無意味なのと同じです。

せっかく頑張って、書いてまとめたのに、誰もその素晴らしさを分かってくれないとしたら、多分その次はないでしょう。

モチベーションが続きません。

自分自身の経験を振り返ってみても、分かりやすい言葉に置き換えたり、シンプルな文章にすることで自分自身気がつかなかったことがみえてくることもあるように思います。

魅力的な論文というのは、だれもが分かりやすい言葉をつかって書かれていたり、主張することがシンプルだったりします。

とにかく分かりやすいのです。

だから、推敲をがんばることが必要だと思います。

この段階で、他の人から違う目で意見をたくさんもらえるかどうかというところは、発表の善し悪しにずいぶん大きく関わるのではないでしょうか。

一般化をねらう

自分自身の具体的な内容を書くだけでなく、他の人が使えるように一般化することにはとても意味があるなと思います。

具体的な事例から、ポイントを抽出して抽象化すると、それはモデルになります。

次に、同じような構造の問題に自分が出会ったときに、すぐに解決の糸口を見つけることが出来たり、だれかとその糸口を簡単に共有できるようになります。

自分自身の実践の根拠ともなり得るので、この一般化までこぎ着けることが出来るかどうかはとても大切な視点ではないでしょうか。

疑問の解決方法を知る

この言葉を使ってしまうと、一気に取っ付きにくさが増すのであんまり使いたくなかったのですが、他にふさわしい言葉も見つからなかったので使わせていただきます。

疑問を解決するというのは、すなわち「研究」です。

研究と聞いて、「難しそう」という印象を持つことは仕方の無いことだと思います。

実際、疑問を解決するのは難しければ難しいほどに価値があると見なされます。

疑問を巧く解決するためには、その疑問がどういう構造の物なのかをきちんと分析し、適切な研究手法を選択する必要があります。

良く言われる大きな分類としては、「量的研究」と「質的研究」があると思います。

少なくとも、この二つの特性と違いはきちんと把握しておくことが、価値ある公開のネタを作れるかどうかの大きな鍵であることは間違いないと思います。

よくわからない場合には、大学とかの作業療法学の権威に聞いてみるのも手だと思います。

優秀な先生であれば、その辺の手法については、きっと丁寧に説明してくれるとおもいます。

おわりに

自分のアイディアや実践を公開まで、こぎ着けるのはかなり骨の折れる仕事です。

心も折れそうになることは多々あると思います。

ですので、やっぱり一番大切なのは、公開までのモチベーションをいかにして高い状態で維持し続けることが出来るかだとおもいます。

そういう意味では、著名な医学雑誌への掲載を目指してみるというのも、一つ有効な手だてかも知れません。

あとは、誰か仲間と協同研究するとか。

いずれにしろ、たくさんの賢いOTRやOTSの皆さんの面白いアイディアがもっともっと世の中に出回ったら、この世はもっと面白くなるんだろうな、そう思う今日この頃です。

「成功には人間関係が大切」というハーバード大学の研究の重さと、作業療法的視点から研究を批判する人に思うこと

当たり前のことにエビデンスがあるということはとても大切だと思う。

たとえば、今回ハーバード大学が行った研究は次のようなもの。

「どのような男性が将来性があり仕事で成功するのか?」というテーマに対して、268人の男性を対象に「IQ」や「飲酒の習慣」などあらゆる角度から行われ、20億円という研究費と、75年間という長い期間が費やされた。

そしてその結果は、

「将来性」は、IQや生活習慣とは関係なく、幼少期に母親と温かい関係を築けていたかどうかに左右される

というものだったらしい。

これは、多くの人が、感覚的に納得できる内容だと思う。

しかし、今までそのことを学術的に研究し、きちんとエビデンスとして示した研究は無かったはず。

だからこそハーバード大学はそれを研究したのでしょう。

たとえば、「全てカラスは黒い」の様にいくら感覚的に当たり前で、当然の事に思われることでも違うことは良くある。(例外はアルビノ)

だから、感覚としての「当然」に学術的お墨付きがつくことには非常に大きな意味があると思う。

主体としての自分の感覚で正しいことが確実であっても、異なる感覚を持つ人に客観的に伝えるには、自分の言葉だけではどうしても弱い。

だからこそ、研究を行いエビデンスとして誰もが納得できる形で示す必要がある。

ちなみにこの事実は、テレビ番組で紹介されたらしい。

そして、コメンテーターの意見や番組の構成的には、この研究に否定的だったようです。

曰く

「そんなことに75年もかけるって、ハーバードも大したことないね」と呆れながらコメント (キャスター 小倉智昭)

「ハーバードの将来性がヤバイね」と皮肉った (タレント ダウンタウン松本人志

「簡単に言うと、両親が健在で、たっぷりと愛情を注がれたらできる男になる…」と20億円を費やした研究結果に首をかしげた (タレント ダウンタウン松本人志)

などなど。

研究の意義に対して、否定的に見るタレントが多かったようです。

そして、ひろえもんは、そのことを知って「きっとそれが研究に対する世の中の捉え方なんだろうなあ」と思いました。

皆が当たり前と思っていることに、証明の価値が無いと感じる人はきっと多いのだと思います。

ひろえもんは理系の科目が好きだったのですが、たとえば物理の運動方程式や、状態方程式などの極端な例でなくても、数学の簡単な定理の証明さえ、「そんなの当たり前」と軽んじる人が多いと、いつも感じてきました。

確かに、自分が実践するときには、必要なのは「これが正しい」と言える初期条件と結果の対応だけ。

必ずしも、プロセスを順を追って説明、または証明できる必要はありません。

しかし、誰もが納得できる施策や、その方向性を決める為には、明確な根拠を示すことが出来たり、その根拠を集めて研究を行うことにはとても大きな意味があります。

そうひろえもんは思います。

作業療法は、感覚的な「あたりまえ」やその積み重ねを根拠に実践をおこなっていますが、今回のことで改めて「それでええのかいな」と思ったので、ちょっと記事にしてみました。

個人の実践とは違う、他者への正当性の証明という次元に視点を移したときに「当たり前」を疑い、研究することにはとても大きな意味があるんじゃないのとおもうのですが、皆様いかがでしょうか。

参考:http://news.livedoor.com/article/detail/9252976/

「見えにくいものを説明する」作業療法の難しさを解決しよう

はじめに

たとえば… 運動や嚥下などを説明するには?
解剖学的な知識と各パーツの働き、それらがどのような動きとして観察されるのかということをそれぞれ整理して、結びつけてっ…
こんなプロセス、医療専門職かよっぽど興味がある人や学生以外の方は踏んでくれません。
さて、どうしましょうか。

説明する目的

なんで分かりにくい事柄、しかも専門的とされている事柄を一般の人に説明する必要があるんでしょうか。
そこには大きく2つの理由があります。
作業療法によるメリットを説明したり、
作業療法士とその対象者が信頼関係を築くためです。
ですから、「なんでそれが必要なの?」って聞かれたときに、さっと答えられるようにしたいものです。

学習のプロセスと説明のプロセスの違いをみる

たとえば、食事について学ぶときには、関連する運動器の筋肉、神経、関節の種類、支配神経などの個別の解剖学的な理解とそれらがどのように共働するのかを細かく学習し、さらにそれを運用する認知の機能との関連性などについて勉強する…と言った具合です。
学習内容は、非常に多岐にわたる上に、詳細で、それぞれが様々に関連するので、緻密な学習プロセスが必要です。
一方、専門家から一般の人への説明はどのように行われるべきでしょうか。
いろいろな意見があると思いますし、説明する側の説明力も説明される側の理解度も様々だとおもいますが、
さて、ここで一回脇道にそれてみたいと思います。
養成校での勉強を思い返してみましょう。
そこでの学習には厳密性が求められると思います。
で、厳密に、ともすれば無機質に、とりあえず関連性や意味性は置き去りにして、学問的に、淡々とした授業だった人も少なくないのではないでしょうか。
(もちろんプロ意識のある大学や専門学校の先生方のなかには「そこまでやるか!?」という面白い授業を展開されるかたもいます)
そして多くのOTRは
あー、「もっと面白ければ」「わかりやすければ」
とおもったのではないでしょうか。
あるいは現在進行形で、そう感じているOTSも多いかもしれません。
上記の説明する目的に照らし合わせてみると、説明では、まずは相手に興味を持ってもらうことが大切です。
つまり、説明では、厳密性よりも、興味関心を喚起できるようなストーリーや因果関係に関するざっくりとした情報を伝えることが必要になります。

比喩は説明の強力なツール

比喩(ひゆ)とは、たとえ話のことです。
比喩を使うと、難解な事柄を少し身近な話にして「全く分からない」を「ちょっとわかったかも」に変えたり
「不思議だな」「面白いな」という感覚を味わってもらうことが出来ます。
「比喩」は、「車」のような物です。
車がなぜ動くのか理解できなくても、運転の仕方を知っていればだれでも目的地にたどり着くことが出来ます。
細かいことをすっ飛ばして、目的を達成するために必要・重要なことにたどり着くことが出来ます。
そんな便利なツールです。
作業療法が厳密にわからなくても、治療の方向性や枠組みを対象者にざっくりと把握してもらう事ができる非常に有用なものです。
比喩を使いこせるようになるのは、運転免許取得同様、少々手間がかかりますが、車と同じでそのうち無意識的に操れるようになると信じて、まずはどんどん使ってみましょう。
車と違って、無免許摘発されることは無いですし笑

理論は眼に見えない

作業療法士は、作業療法の説明に理論を用います。
それは、厳密だからです。
しかし、医療・福祉専門職や一般の方の中でも理解力のある方にしか、伝えて行くのが難しいのが現状です。
ですから、作業療法を説明するときには、もっとたとえ話が必要ではないでしょうか。
ひろえもんは、強くそのように思うのですがいかがでしょうか?

おわりに

まとめると
直接眼で見ることが出来ない上に、過程が複雑で理解困難な出来事を誰かに分かるように説明できる為には、「感覚的に理解できるたとえ」が必要です。
そして、そのためには「日常的で身近な事、物」をたくさん持っておく必要があります。
きっと、普段からいろんなことをに興味をもっておくと、役に立つのだろうなとおもいます。

「生活行為向上マネジメント」って何?よくわからないのでいち作業療法士が調べてみた結果

最近、作業療法界隈で、

「生活行為向上マネジメント(MTDLP)」

という言葉を最近よく耳にするのですが、正直「???」でしたので調べました。

追記:2017/12/24 加筆修正

はじめに

なんとなく、現在進行形の概念なんだなあということは、知っていたのですが、積極的に関わる事の無いまま現在まで来てしまいました。

が、とある本の著者に実際にお会いしまして、「これ(生活行為向上マネジメント)を積極的に活用しないなんて!!」という趣旨の発言を頂きました。

ひろえもん、いち作業療法士として、個人的に何となくショックでした。

ので、勉強してみることにしました。

以下そのまとめです。

「生活行為向上マネジメント」とは

作業療法士の取り組みを説明する新しい枠組み

の一つということになるそうです。

そもそも、このあたりから全くわかっていませんでした。

要するに、

「生活行為向上マネジメント」という概念は、

『作業療法のプロセスを表すツール』

らしいです。

また、

「作業療法の標準的な形を一般の人に示すための物である。」

とのことです。

いわば、作業療法士でないと今ひとつピンと来ない「作業療法」という概念について、世間一般に積極的に発信をしていくために新しく作り出されたツールであるようです。

生活行為向上マネジメントの概要

概念図は以下の通りです。

seikatukouikoujomanejiment.png©︎日本作業療法士協会

人間の生活が、「生活行為の連続」によって成り立っていることを示す図ということになるそうです。

この「生活行為」という言葉は、作業療法におけるいわゆる「作業」の意味と等価だそうです。

「作業」という言葉だと、誤解や認識の齟齬が発生する可能性が高いので、新しく「生活行為」という言葉を作り出したと、こういうことになるようです。

MTDLPにおける生活行為の構成要素

生活行為はこの概念図では5つに分類されています。

ADL

IADL

仕事・生産活動

余暇活動

社会参加活動

ADL

「日常の身の回りの活動」にあたりますね。

服を着替えたりとか、食事を食べたりとか、自己維持活動とか言われるやつです。

IADL

「家事などの生活を維持するための活動」にあたりますね。

買い物とか、そういうやつです。

仕事・生産活動

「仕事などの生産活動」にあたります。

要するにお金を稼いで、生活を維持するための原動力となるような生活行為ですね。学生だったら、ここに勉強が入ってくるのかなとも思いますが、どうなんでしょう。

余暇活動

「趣味などの余暇的作業」にあたります。

人生のお楽しみというか、人生に潤いを与えてくれる、そういう活動のことですね。

典型的に紹介されるのはスポーツや、レジャーなどでしょうか。

とにかく、その人が楽しいと思えるような活動だったらなんでも当てはまると思います。

社会参加活動

「地域活動などの作業」にあたります。

通学路の交通整理のボランティアとか、祭りの実行委員会とか、そういう活動が地域活動などの作業にあたると思います。

他人と何か社会的意義のある活動を展開すると、ここに入ってくると思います。

「生活行為向上マネジメント」制作の経緯

生活行為向上マネジメント(MTDLP)が、出来るまでには、「一般社団法人作業療法士協会(OT協会)」と国との間に、以下のようなやり取りがあったみたいです。

・OT協会、高齢化社会ふまえて、国に対して提言行う

・国から「OTの社会的認知度および影響力って正直大した事ないよね?」とストレートかつ容赦のない返答

・OT協会「んじゃ、社会的認知度あげるし有効性示すわ」

生活行為向上マネジメント作成

こんな感じらしいです。

あくまで、伝聞ですけれど、日本作業療法士協会の偉い人にたまたま聞いたので多分あってると思います。

「生活行為向上マネジメント」の成立・完成

最初は、高齢者への作業療法の有効性を示すをコンセプトに始まった「生活行為向上マネジメント」は2010年に完成したのですが、

「急性期をはじめとする医療の現場や入所施設、介護職とOT連携ツールとしての活用の可能性を検討して」

完成させたとのことです。

あくまでわかりやすさ最優先な感じですので、齟齬ありまくりだったとしたらご容赦いただき、より良い記事を書いていただきたくお願い申し上げます。

生活行為向上マネジメントの具体的内容

「生活行為向上マネジメント(MTDLP)」は、作業療法のフローを抽象化したツールになってます。

だから作業療法士には、違和感の無い内容と言えます。

意味のある生活行為に焦点を当てた支援が、生活行為向上マネジメントの至上命題

「意味のある生活行為」とは、「意味のある作業」というやつです。

まあ、「意味がある」から「作業」なのです。

それらをどのように支援するか、という作業療法士のプロセスをある程度固定化させたものが、生活行為向上マネジメント(MTDLP)なのです。

「生活行為聞き取りシート」「生活行為アセスメント表」「生活行為向上プラン表」の3つのメインシート

作業療法士の支援プロセスを具体化したものということで、

生活行為向上マネジメントには、「生活行為聞き取りシート」「生活行為アセスメント表」「生活行為向上プラン表」の3つのメインシートが存在します。

これらのシートは作業療法士が一般的に行う

作業療法対象者への聞き取り

評価

介入プログラムの立案

という3つがそれぞれ、集約されたものになっており、内容にも連続性があります。聴取や、支援プログラムの立案の際には、対象者の方の家族の意見にも焦点を当てており、より柔軟に双方の意見の調整やそのマネジメントを行うことがそれらの要旨です。

コラム 生活行為向上マネジメント活用の未来

以前参加した講演の中で、講師の方が面白いことを言われておりました。

なんでも、「将来的には、シートをOT利用者が自ら記入し、OTのもとに相談に来」てもらえるような構想もあるのだとか。

そういう人は、作業療法士の助言を必要としない可能性が非常に高いという点を除けば非常に良いアイディアだなと思いました。

その辺が、生活行為向上マネジメントの難しさなんだろうなと思います。

生活行為向上マネジメントの用紙をまとめると

生活行為向上マネジメントは、

いままで作業療法士がやってきたオーソドックスな作業療法の形を

ツールとして誰でもできるように形にしたもの

生活行為向上マネジメントのより詳しい情報について

「生活行為向上マネジメント」は現在進行中のプロジェクトであり、これについては調べたら調べただけ新しい情報が得られるような状況だとおもいます。

要するにきりがない感じがいたしました。

ので、今回はきっかけ程度の内容にさせていただきます。

申し訳ございません。

代わりといってはなんですが、今回参考にさせて頂いた内容についてご紹介させていただきます。

生活行為向上マネジメントの流れと各書式
http://www.jaot.or.jp/wp/wp-content/uploads/2011/04/h22rokenjigyo-report2.3.pdf

平成23年度老人保健健康増進等事業
<生活行為向上マネジメントの普及啓発と成果測定研究事業>
http://www.jaot.or.jp/members/h23kenkyujigyo-roken/

作業療法ジャーナル 2013 5月号
https://www.miwapubl.com/products/detail/1428

おわりに

要するに国や社会に対して、作業療法の認知度を如何に高めていくかというテーマに対する一つの答えが、「生活行為向上マネジメント」なのだとおもいました。

そういう意味で、このサイト「作業療法.net」のコンセプトと丸かぶりで、ひろえもんとしては、今後も応援していきたいなーと思うところです。

「作業療法」の認知度が高まると、それを必要とする人に作業療法というコンテンツをリーチする事が出来る可能性が格段に高まるはずなので、作業療法の認知度を高めるという試みは、誰かが何らかの形でやらないといけないんだとおもいます。

ひろえもんはひろえもんで出来る事を、ちまちまとでもやっていきたいです。

はい。

まとめ

生活行為向上マネジメントは、

作業療法を実践を(で)語るためのツール