福島県作業療法士会災害対策本部の掲示板の紹介

ご存知の方も多いと思いますが、東日本大震災後、作業療法士の福島での活動がアップロードされる掲示板があります。

自分は、OTジャーナルの9月号でこの掲示板を知りました。

写真が多数掲載されていて、現場の臨場感をひしひしと感じることができます。

福島県作業療法士会災害対策本部

http://fukushimaot.bbs.coocan.jp/

被災地にも、作業療法を必要としている方が、たくさんいらっしゃることがわかります。

作業療法の起源について

テキストとかに書いてあることは少し大げさかなぁと思うことがあります。なんだか、そういう部分を読んでいると、あたかも古事記とか日本書紀を読んでいるかのような錯覚に陥るときがあります。

まるっきり嘘というわけではないだろうし、むしろ正しいことが書いてあるのでしょうが、多少好意的に事象を解釈しすぎな感じもしたりしなかったり。

まぁ、大切なのは今で、これからで、過去が重要なのは、過去がこれからを規定するときにかかわってくるような場合だと思うので、ピネル以降くらいから抑えとけばいいのかなぁなんて思います。

プロが普通の人であり続けることの重要さ

こんな記事を見つけました。

普通の人であることの大切さ――プロが陥りがちな直観のワナ

作業療法士にとっても、非常に大切なことが書いてあると思いました。

専門家というのは、一般の人が持っていない知識を持っていて、顧客である一般の人に対して、多数の視点の中からさまざまな検討を行った結果を提案することができる存在であるといえると思います。

普通の人から、その分野について意見を求められたり、助けを乞われる立場にある人ともいえると思います。

頼られる存在であると思います。

問題解決のために、最適化された答えを提案できる人、という風にもいえると思います。

けれど、それが本当に最適なのかを検討するうえで、やっぱり普通の考え方を排除してはいけないし、なんというか、プロ的な手法に偏っていてはいけないのだなぁと思いました。

うまく言えないけれど、やっぱり相手に共感してもらって、初めて協力が得られるというのもあると思いますし、そのためには、自分がもし専門的な知識を持ち合わせていなかったらどのように考え、行動するかという視点を常に持って、そういった状態を想定できることは非常に重要であると感じました。

きっと、このことは、どのような分野の専門家にもいえることだと思いますし、だからきっと、作業療法士にも言えることなのではないかと思います。

たとえ、自分にとっては自明なことであったり、既知のことであったとしても、相手がそれをわかっているかどうか、あるいは重要なことだと感じることができているかどうかは別のこととしてきちんと考えなければいけないのだということだと思います。相手に自分の提案の有効性や、重要性をしっかりと理解してもらうためには、相手の立場にたって考えるという視点が重要になると思います。

だから、きちんと「自分が無知の状態だったら」と仮定できることは非常に重要なことだと感じました。

視野を広く持つために、これから意識していきたいです。

最期に大切な人にメッセージを送るための新しい方法

電子メールをやり取りするためのデバイスが、ほぼ一人に一台あるこのような世の中において、自分が死んだ後に、大切な人に対してメッセージを送るために有効な手段になるかも知れません。

proof of life

生存証明という、直訳そのままのサイトです。

使い方は、大切な人へのメッセージと、その人のメールアドレスを登録するだけです。SNSと連携させておくと、SNSの利用でカウントダウンがリセットされ、生存が確認される仕組みなっています。

そして、生存が確認できなかったと判断されると、あらかじめ登録しておいた人に向けて、メッセージが送信されることになります。

もちろん、常日頃から自分が突然死ぬときに備えて、こういったサービスを利用しておくのも悪くないですが、終末期における作業の一つとして活用できないかなぁなんて思いましたので取り上げてみました。

参考:

http://www.lifehacker.jp/2012/11/proof_of_life.html

情報提供とポイントと情報漏えいの懸念

利用者購入の医薬品データ収集 懸念の声

利用者がわのリスク管理の脇が甘いとみるか、情報弱者を食い物にする大企業がひどいとみるかは、資本主義の市場原理と契約主義に重きを置くか、倫理的配慮という名の「空気」を読むかにかかっているような気がします。

名大と東大、「能面」が多様な表情に見えるのは「情動キメラ」が理由と解明【能面と表情認知】

臨床の現場で、マスクをするか否かということが議論されることがあると思います。基本的に、衛生面に気を付けるのであればマスクをするべきであるのですが、一方、マスクをするとその人の表情がよくわからなかったりすることがあると思います。自分は、ある患者様が「看護士さんはみんなおんなじ顔しとるように見えるわぁ」とおっしゃっておられのを存じております。

このことには、記事中の以下のような要素が関連しているかもしれません。

名古屋大学(名大)と東京大学は、古典芸能で使う「能面」が多様な表情を見る側に想起させるのは、能面の各顔パーツが異なる情動を表現している「情動キメラ」であることが原因であり、こうした「情動キメラ」からの表情判断は、主に口の形状に基づいてなされることを示したと発表した。

つまり、人の感情を読み取るときには、実は口の形状が結構重要な働きをしてるんじゃないの?って言うことだと思うのです。

自分はかなりの漫画好きで、いい年こいていまだにコンビニで漫画雑誌を買ったりしてしまう様な人間なのですが、漫画的な表現でも口の形が変わるだけで、そのキャラクターから読み手が受ける印象というのは大きく変わるのではないかなぁと思います。

で、今回、その表情認知と、能面がどのように関係するのかという話になるわけですが、再び記事から引用させていただくと、

しかし、実際に上演される能の舞台では、木彫りの面であり形状が変化しないはずの能面がさまざまな表情をしているように見えるのは、見たことがある人ならわかることだろう。表情がないはずの能面から表情を読み取るのはどのようなメカニズムなのか、能面を使った表情認知メカニズムの研究は、表情認知の根源を探るのに適しているという。

とのことです。つまり、能面を使うと、人間の表情をそのまま使うよりも変数が限定できるので実験が行いやすいということですね。まさに、小、中学生の理科の時に習った、「対照実験」というやつがしやすいということですね。

この研究の中で、自分が面白いと思ったのは、次の部分です。

能の世界においては、能面を上下方向に傾かせることで表情を変化させている。「喜び」を表現する時には能面をわずかに上に傾かせ(「照らす」と呼ばれる所作)、「悲しみ」を表現する時には能面を下に傾かせる(「曇らす」と呼ばれる所作)。

ところが、これまでに上下方向に傾きを変化させて能面の印象を評価させた研究で、上向きの能面は「悲しみ」と判断される割合が高く、下向きの能面も逆の「喜び」と判断される割合が高いことが判明していた。研究グループが、能に親しんでいない大学生に能面の表情を評定させたところ、情動を逆に判断してしまう結果となったのである。

な、なんだってー!!

自分が能面から受ける印象が、実は、伝統的な能のルールの刷り込みによる結果だったとは。驚きました。で、今回の実験では、上下方向に傾きを変えた能面は、何の表情を示しているのかを調べるため、上方向・下方向に傾けられた能面の表情と、喜び・悲しみの表情に共通点があるかどうかをしらべたとのことです。

このあと、本文では何やら、能の成り立ちや、能の創始者の意図の考察などに派生していってなかなか興味深いです。

で、ここまでながながと書いてきたのですが、自分は、マスクつける派か、着けない派かでいえば、マスク着けたくない派ですね。やっぱり、自分の表情が隠れてしまうことによって、相手が受け取る情報や刺激が減少してしまうのは、それはそれでもったいないなと思うからです。最近では、惣菜店で、透明なマスクを使用しているところもありますし、医療の現場でも、ああいった感じの表情と衛生の両方がきちんと両立できるような素敵な製品が出てこないかなぁ、なんて思ってる今日この頃です。

続・生保患者診たくないんで、内科医やめる。と言う増田。

以前こちらで取り上げた、お医者様の増田の続編がありましたのでご紹介いたします。

患者様に対して、医者をはじめとした医療職は基本的に攻撃的な態度を取ることはありません。

その人が、いくら社会的に間違った行動をとったとしても、それをことさらに取り上げることは、しないことが多いはずです。

ひどい人の場合には、きちんと警察に通報するようなマニュアルもあったりしますが、それが活用される状況というのは極めてまれだと思います。基本的には、通報まで行かずに、病院側で対応することになるのでしょう。

そして、そういった状況が社会的に公表されないでいると、結局現場が疲弊してしまうのでは無いかと、この記事を読んで感じました。

以前にも書きましたが、本当は医療的な措置が必要なのではなくて、他の何かを求めて生活保護の方は病院を受診することが多いのだと思います。

それに対する対応を、行政主導でもなんでも構わないので、とにかく誰かがやっていかないと、一生懸命働いている人が働く気をなくしてしまいます。

これは、社会的な損失だと、自分は考えます。

よく言われるのが、医者を一人育てるまでに必要になっている社会的なコストですが、実際には医者の資格をとってからの経験や、学習などそういった面も考慮すると、1人の有能な人間がその現場で働けなくなると言うことは、非常に大きな損失だと、自分は思います。

他の医療の職種にしてもそうです。医療スタッフは、基本的に患者様と問題を起こすような発言をすることがなく、患者様によっては、どうしてもそのような医療スタッフに依存してしまう方もいらっしゃいます。そういった特性を、きちんと見抜いて、治療的に応用するということができればそれが最善なのですが、なかなかそこまで実践できる人はいないのでは無いでしょうか。また、そういった高度な対応を行うためには、気持ち的にも体力的にも余裕が必要で、日常的に激務の中で働いているような、人間にはなかなかイレギュラーというか、普段行っていることと違うことをいきなりやるエネルギーは無いのではないかと思います。

つまい、そういった対応を専門的に行ってくれるような職種がいると、全体の構造としては安定するのではないかと言うことです。そして、OTは結構そういうところが得意なのではないかと、個人的には思うのです。

その人を全体的にじっくりと評価して、ICFに基づいて瞬間的な判断をして、相手と関わるというのには相当な熟練が必要だと思います。こういったことが、日常的に行われているOTは、生活保護の人が抱える心理的、あるいは、習慣的な問題にも結構アプローチが行える強みがあるのでは無いかと思います。

以下、元の文章より引用です。

http://anond.hatelabo.jp/20121123003130

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■続・生保患者診たくないんで、内科医やめる。
http://anond.hatelabo.jp/20121121194852
の元増田です。思いのほか反響があり、びっくり。
個別の質問には答えないけど、いくつか代表的な意見に関して補足を。

タイトルについて

「色々あって内科医やめる、つうか生保うざい」とでもしたほうが正確だろうね。
どうあれ、これまで俺が感じてきたモヤモヤの多くにからむのが生保患者問題であり、辞めるにあたっても最後に背中を押したのは間違いない。

非医師だろという意見に対して

これでどうかな。http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3652048.jpg.html
テキスト類は職場じゃなく家に転がってたやつだから、ちょっと古いね。
まあ別に謝る必要ないです。ていうかこっちがすまんね。ディテールをぼかし、抽象化して書いたのは俺なんで。

創作、釣りだろという意見に対して

これは証拠出すの無理。まさか一件一件カルテの中身を張るわけにいかないし。m3.comであったね、医療訴訟のカルテを掲示して問題になったことが。
ところで、福祉事務所に生保の行動を通報するためにカルテを抽出することは問題なのかな?俺が今考えてることなんだけど。

なんで患者の保険の種類が分かるの?

これは電子カルテ化されてるので簡単。数秒もかからない。例えばスズキさんで検索するとこうなる。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3652050.jpg.html
何個か代表的な苗字でやってみたけど、生保は地域住民に占める割合とそう変わらない。
紙カルテの病院ならば、表紙(1号用紙とよぶ)に保険の種類が書いてある。そして、紙だろうが電子だろうが危ない患者の見分けはつくようになっている。
紙の場合は表紙の隅を塗るとかね(例:赤は要注意、黒はブラックリスト)。最近病院で俺の扱い違わね?と思ったら自分のカルテ表紙をよく見るとよい。

この文章主観だよね?

その通り。生保の受診行動についてきちっとしたデータを出すなら、保険の種類をマスクした上で、マナーやら服薬コンプライアンス、
アドヒアランスを定量化して、保険その他患者属性と一緒に多変量解析なんかしてみるといいのかな。それを多施設で。ちょっと無理な気もする。
この文章はほとんどが俺の主観にすぎない。でも医療関係者なら大なり小なり感じてることだと思うんで、近くにいたら尋ねてみるといいかもね。

科を変わるのがそんなに簡単なわけがないだろ?

誰がすぐいっぱしに働くと言ったか。修練を最初からやり直すという意味だ。
俺はまだ若手だしね。認定医とって、自分の外来持って数年。専門分野は勘弁してくれ。身バレしてしまう。
転科すると給料はまた修練医レベルに落ちてしまうが、これまでの業務で感じた苦痛に比べたら大したことはない。

その病院だけ辞めれば?内科諦める必要なくね?

当直や救急のない病院に行けばいいのか。そうもいかない。俺は今、大学医局の所属だ。
大学医局が用意する民間病院のポストは中核病院がほとんどだ。当直や救急のない病院などない。つまり悪質生保の来襲も避けられない。
そして若手ごときが医局人事に逆らって関連病院を辞めるといったら、それは医局を辞めるってこと。
いや実際もう辞めると言ってきたんだけど。院長よりも教授に事情を説明するのが大変だったな。
さて、今後医局人事外の病院に就職しても、それなりの病院で修業しようと思ったら生保周りのいざこざは避けられない。
こんな生活を50や60になるまで続けられる?続けてなんになる?と思った時に、足が前に進まなかった。
かといって検診医・バイト医になって内科っぽいことを続ける、というのも先が暗いと思った。
自我崩壊せずに生きていくためには、もっと自分に合った分野でキャリア構築を最初からやり直すしかない。
科が変わると、元の内科仲間の前では働きにくいかもしれないって?他の地方に行けばなんということはない。
俺、地元を離れた出身大学になんとなく残ってしまったクチなんで、単に戻ればいいだけなんだ。
もう言っちゃうと、放射線診断医になることにした。地元の病院に今度専門医になった同期がいて、「うちで修業しろよ」と誘ってくれてる。
元々学生の時から画像診断と内科で進路悩んでたしね。
そうそう、臨床検査科についてだけど、技師だけじゃなくて医師もいるよ。少ないけど。
病理と臨床検査は、どっちもずっと大学べったりじゃないと修練できないから、やめた。

生保って病院経営的には優良顧客では?

そうだとしても、彼らの素行がスタッフの士気に与える影響の方が問題で、生保患者の多量取り込みは中長期的には予後不良であると考える。
あと、勤務医は自分の病院が経営的にヤバイことに関しては無関心。事務がどう思ってるかは知らんけど。
部長クラスになると「おたくの部門回転率低いよ」みたいな突き上げがあるが、本質的に、勤務医には病院そのものに対する忠誠心はない。
望む医療を実現したいとか、先輩のようになりたいとか、偉くなりたいとか金が欲しいとか、自分自身の価値観に拠って立つ人がほとんど。
どうせ医局人事で転々とする身だしね。究極、働こうと思ったらどこでも働けるし。「逆に考えるんだ、病院がつぶれちゃってもいいやと考えるんだ」
一般の患者には気の毒なことになるけど、日本はまだ病院多いからなんとかなるだろう。

お前も食わせてもらってる立場だよね?

まず税金で食ってると思ったら間違いで、病院の収入イコール人件費のメインは健保から。
社会保険も広義の税と解釈しても、保険診療があるおかげで国際水準より安く医療を提供できて(させられて)いる。
だから感謝しろと増長するつもりはないが、逆立ちしても食わせてもらっているという意識にはならない。
現行の保険制度が崩壊したほうが病院の儲けは増えるよ。施設間の格差は広がるだろうけど、全体として医療費が増える。
そこのところ、心に留めておいてほしい。

生保患者なら慎ましくしろというのか

まあその通りっていうか、当たり前だと思うのよ。せめて普通にしろと。
俺は五体満足だし普通に教育受けて医者にもなれて、友達もいるし二親揃って元気だ。自分が幸運なほうだと自覚している。
これがもし困窮した身になったら、生まれた環境が悪かったら、と想像すれば、そりゃ助け合いは大事ってことくらい分かる。
そんな時に生保みたいな制度があったら、ああ、ありがたいなあって思うだろうよ。でも現状の生保患者の態度は、何ですかあれ。

自身の労働環境問題と生保問題を混同している

そうかもね。内科だけでなく、この国で前線部門で医者やるには色んな問題があるって、働いて分かった。
日本では一次救急が機能しておらず、二次救急病院で〇.一~二.五次救急まで対応していること。
本来は精神救急主体の症例まで一般病院に運ばれてしまうこと。薬出すだけ出して救急対応しないクリニックの存在。
応召義務の理不尽さ。当直明けで普通に働かされてること。これらはそれぞれに解決しなければならない問題であると思った。
でも俺は頑張ってたよ。誰かのために役立ちたいと本気で思ってた。嬉しい経験も、充実感も使命感をおぼえることも一杯あった。
その裏で、いつも生保患者様がボディーブローを一発ずつくれていった。今じゃもう、何をしてもあいつらの顔がちらつくんだ。
俺は最前線ではもうやっていけない。ここからは俺じゃない誰かが頑張ってください。全ての善良な国民の健康を祈ってます。

「デート」→「作業療法」にしてもなりたつ。

と、僕は思います。リハビリテーションに治療者として関わる人間にとって、相手とどのようにラポールを形成するかというのも、重要な治療手技のひとつだと僕は考えます。相手と、心の架け橋を作るというのは、デートの場であっても、作業療法の場であっても一緒じゃないかと思うのです。

6つのことに気を付けるだけでデートの会話が不思議と盛り上がる!

要約すると、上記では、相手と敵対することなく関係性を構築するためのエッセンスが書かれています。実習を通して、自分もどのようにすれば患者様とより良い関係を気づくことが出来るかと、悩みに悩んだものです。

一般的には、うえの記事に書かれている内容は、多くの人に通用すると思います。少なくとも、全て全部ダメって言う人はなかなかいないのではないのでしょうか。

臨床でのさまざまな人付き合いの中でも、非常に参考になる視点では無いかと思います。

もっとも、上の6つを意識しすぎて、不自然になってしまうと元もこもないので、少し意識するくらいが丁度良いのでは無いかと思います。

「やる気」にさせる神経回路発見 日本の研究チーム

運動を制御する大脳基底核の一部にある「腹側淡蒼球」という部位が、報酬の量を予測し、運動や行動の「やる気」につなげる神経回路の一部であることを、自然科学研究機構生理学研究所の橘吉寿助教らの研究チームがサルへの実験で突き止めたとのこと。

あくまで、サルを対象にした実験の結果であるけれども、機構の近い人間にも同じような働きがあることが示唆されたわけですね。もしも、その部分を、直接的、あるいは、集中的に賦活するような方法などが開発されれば、それを基にして、介入が出来るようになるかもしれないですね。

また、腹側淡蒼球が働くメカニズムやそこと関連する神経が、より詳しく明らかになることによって、関連する部位を刺激するような作業の提供を考えるなどの新しい視点も得られそうで、今後の研究への期待が膨らみます。

ソース

http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012112101001813.html

「生保患者診たくないんで、内科医辞める。」と言う増田を読んで。

生活保護になっている人の生活を、その人がどういった環境や、人間関係コミュニティの中で生きているのか、生育歴はどうなのか、なぜ、その人は病院にやってくるのか、どうして、普通の人と行動様式がずれているのか。

1人の医師を追い詰めるほどの行動をとると言えばすごい影響力だと思う。

生活保護の人が、置かれている環境が、その人の行動に影響を与えている可能性が示唆されている。

社会的弱者は、そういった言葉でくくってしまうことがためらわれるほどに、色々な不利を包括してしまっているのだとそう感じた。

そうした点には、作業療法士が地域に出ることで出来ることがたくさんありそうな気がする。
彼らに必要なのは、病院にやってきて治療を受けることではないのだから。

http://anond.hatelabo.jp/20121121194852

より

以下全文引用

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最近ジェネリック義務付けとか話題になってるけど、そんなのは小さなことだ。

問題は彼らの受診行動。病院でみる生保患者の素行は、とにかく目に余る。

生保患者は時間外に来る

俺の働いてる市の生保受給者は人口の1.5パーセント前後。うちの受診患者を無作為に調べてみても、大体そのあたりの数字に落ち着く。

ところがこれが夜間だと、その割合がぐっと跳ね上がる。ちなみに先月の3連休は5/36、2/29、3/25(人)であった。

「日中の外来に来てくださいねー」と言っても無駄。次にお会いするのはやっぱり時間外。

生保患者は未明に来る

午前1-5時あたりは元々患者の少ない時間帯である。生保患者はなぜか、この時間を狙ったかのように集中する。

ちなみに一般人で変な時間に来る人は、ホンモノ(本当に病気がある場合)が多く、こちらも身構えてアドレナリンが出るのだが、

生保だと軽症であることがほとんどで、仮眠時間を取られ体力が削がれる以上に気力が萎えること甚だしい。

生保患者は救急車で来る

時間外のうち救急車で来る人は1-2割だが、生保に限れば4-5割程度になる。

救急隊から入電「○○○さん、△歳、男性、自宅で気分不良…」

スタッフ間に漂う、ああまたあいつか、という空気。

自宅で気分不良?たいがい酒酔いか過量内服、それかいつもの不定愁訴である。酔って転倒する奴も多いな。

生保患者は軽症・無所見者が多い

救急車から歩いて降りてきたって、それどんな冗談ですか。

生保患者は何回も来る

週に3回とか普通。日に二回もたまに。

「あそこじゃ十分診てくれなかった」と日に複数施設をハシゴする者も。もちろん全部時間外なのは言うまでもない。

生保患者は入院を迫る

残念、それを決めるのはセンセイたちの仕事です。

きついから入院させてくれ?だってあんた検査も診察所見も全部正常ですやん。

生保患者は勝手に退院する

以前救急外来から引き取った生保患者、次の日には勝手に帰ってやがった。

病室に仲間を呼び込んで苦情が来たり、トイレで煙草吸ったりする者も。

生保患者は何箇所も受診する

生保が診察券を出すところを目にしたことがあるが、財布の中は「○○整形外科」「△△ハートクリニック」「××内科」…と診察券でパンパン。

方々で鎮痛剤や向精神薬を過剰に処方されてるのは明白。

以前、生保の医療費が3倍というニュースがあって、怪我や病気が多いからそのくらいは普通なんて言われてたけど、

これだからお花畑は困るんだよねー。

ここで、困った人が普通よりちょっと多いだけか、一部の人間が極端な悪さをしているだけで多くの生保患者は日中普通に受診してるんだろ?

という声が聞こえてきそうである。そうであればよかった。

俺の通常外来に来てる生保患者の大半が服薬もきちんとしてないし、予約した時間に来ないし、とにかく病気に対する意識が薄い。

それを指導するのがお前の仕事だろ、って?ええ。頑張ってましたよ、これまではね。でももう飽きた。

いままで何してたの、って感じの人ばっかだし。慎ましい難病患者、貧困患者、高齢者、なんてのは幻想。

もうこいつらに必要な医療といったら、疫病の感染源にならないとか、不慮の事故で死なないとか、その程度っしょ。

Y本病院みたいに囲い込んでカテーテルの実験台にしたとか、いいじゃん。もうどっかで囲い込んでくれ。そして外に出さないでくれ。

俺が助けたいのは善良な人間なんだ。ちゃんとした人たちのためなら、当直明けの勤務だって頑張れる。でももう無理。

てなわけで今年いっぱいで辞める旨を院長に伝えてきた。病理、放射線、臨床検査などの、診察のない部門での再出発を考えてる。

俺自身最初は戦おうとしたこともあった。

こっちにきてからも三人、悪質生保をブラックリスト送りにしたけど、物凄く大変だった。

殴ってくれたら無条件で受診拒否なんだが、奴らその辺は上手いんだ。

今の職場には世話になったし、感謝している。だから最後にもう一仕事、今も続く不逞の輩の受診をなんとかしたいと思う。

最近、悪質生保の受診行動を福祉事務所や民生委員に通報すべく、資料集めを開始したところ。

最近ニュースになってる、受診回数の制限は是非実施してほしい。救急車有料化、施設の指定も併せてね。

俺が踏みとどまるのには、ちょっと遅かったけど。