法律の元での作業療法士像と、実際の作業療法士像の間のギャップ

作業療法士の定義

法律上以下のように定義されています。

作業療法」とは、身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行なわせることをいう。

「作業療法士」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、作業療法士の名称を用いて、医師の指示の下に、作業療法を行なうことを業とする者をいう。

つまり、作業療法士とは、医師がいないと成り立たない仕事なんですね。

法律上は。

実際の作業療法士

現実には、リハに関して医師の関与が薄い場合もあります

極めてリスクが高かったり、医療上のケアが細やかに必要な場合を除くと、作業療法士の方から医師に発信するという逆方向の発信がメインになっていることもあるようです。

今後は、田舎の病院では確実に医師の数が不足します。

ひょっとすると、段階の世代の高齢化に伴って、都会の病院でも不足するかもしません。

そうなると、作業療法士主体のリハビリテーションは、今より増えていくでしょう。

ギャップを埋める

作業療法士がきちんと、多方向に発信を行っていくこと。

で、結果を出す。

医師をはじめとする他職種から信頼を得る。

受ける役割を増やす。

患者さん、対象者さんのためにできることをやっていく。

こうして、世の中を変えていくことが必要ですね。

膳立てしても「なんちゃって作業療法」はつづく|リハビリテーション新聞

理学療法士さんが書いた記事ですが、いち作業療法士としてグサグサくる素敵な記事のご紹介です。
作業療法士がある意味で仕事をサボってきちんと役割を果たさないから、絶望した!という記事です。
個人的な感想としては「ありそうだなあ」という危機感でした。
作業療法士の仕事は実働とマネジメントの両方が出来てはじめてスタートラインだと感じて久しいですが、なかなかできるもんでもありません。
しかし、それは単に環境の問題というものでもなく、作業療法士自身の姿勢によるところも大きいのかもしれません。
作業療法士は、やっぱり生活にハリを与えることが役割だなあと再確認させていただきました。
それにしても、ブログのサブタイトルが「リハビリテーションの可能性を信じる皆様へ」なのに、この不信感ですからね。著者の裏切られた感はハンパ無いですね。
他人のふり見て我が振り直しましょう。
記事はコチラ

医療・介護・福祉の現場も、地方の中小企業の企業と同じタイプの人材不足が起こっている。

中小企業の場合、どんな社員であっても
貴重な戦力。

昨今は、医療福祉介護の現場も同じです。なかなか人が来ないからですね。

もし、誰かに止められると、施設基準すれすれで回しているので即マンパワーが不足する。

だから強く言い出せない。止められると困るから。

そうすると、逆に組織内の人で他のところでも十分にやっていける人間は、ちゃんとしている人っていうのはどんどん辞めていくという。

後に残るのは、責任感が強い人と、その職場でのお局さん的な人ばかり。

あとは、新人がパラパラ入ってきては辞めていく。

淡白だけど仕事がバリバリできる人も辞めていく。

とまあ、いろんな人材問題が巻き起こる訳で、簡略化によって質や量が犠牲になったり、根性論でサービス残業が増えたりという事態が巻き起こることになります。

そうなるとどうなるか。

人材の循環がますます停滞するのですね。

例えば、「サービス残業が山ほどあるぜ」という評判のある病院や施設に就職する人は、何か止むに止まれぬ事情があることが多いでしょう。ひょっとしたら、他に働ける場所がないとかそういう理由かも知れません。

そういう方が、まあ、やっぱりすぐにやめていかれることが多かったりするんですよね。あくまで、傾向の話ですが。あくまで傾向はあるかもなあ、という。

そして、人材の停滞は、端から見て異質に映るような独自の文化の発展や、チェック機能の麻痺につながりやすいです。

もちろん、きちんと我がふりを振り返ることができる人もいます。が、そんな人はとっとと辞めてより条件の良い職場に移動していかれることが多いです。

すると「まあいいか」で、だんだんズブズブな仕事をするようになっている自分に気がつけない人が増え、いつの間にか施設の文化がそういう風になってしまうことってきっとあると思うんですよね。

競争の激しい都市部の病院を除けば、田舎の病院なんて、介護も看護も、ドクターもリハビリも、こんな感じの傾向になっていないでしょうか。なっていないなら杞憂です。

ただもしも自分が経営者だったらと考えると、施設基準ギリギリのスタッフしかいなかったら、今いる人にやめられたら、機会損失につながりかねないので、よっぽどでない限り職員に対して注意もできないですよね。

でも自分が経営者だったら、優秀な人材には適当に役職を作って、給料を差別化して増やしますね。

適当な事務仕事に対して対価報酬を支払うようにしてもいいかもしれません。

いわゆる能力主義ですが、これが最善ではないでしょうけれど、やっぱりこれしかないのかという気がしています。

人材が有り余っている昔ならばいざしれず、先輩後輩関係に頼りきりの職場環境は、人員の充当が簡単で優秀な人が自然と集まりやすい都会以外ではやっぱり通用しなくなってきていると感じます。以上、あんまり作業療法関係無いようで、結構リアルなお話でした。

患者さんや利用者さんに向き合うということ

相手を中心にするという、パーソンセンタードケアの考え方が認知症の分野を中心に一般的になりつつあります。

一方で、実践はまだまだ、一般的ではないといった印象です。
できることなら、みんなが当たり前のようにパーソンセンタードケアができたら素敵なのですが、そうできないのは、やっぱりケアを提供する側の気持ちがネックなんだと思います。
相手に巻き込まれてストレスフルな状況になるというところも大きいように思います。
ケアをする側の人間としては、きちんとリフレッシュして、自分の中のバランスをとることが必要になると思います。
というところを踏まえて、今日もいち作業療法士として頑張りたいと思います。

作業療法士のアイデンティティは、実践の内容で決まる

こんな記事を読みました。

作業療法士1年目。 ぱらり

作業療法士のアイデンティティは、どこにあるのかということについての悩みがつらつらと書かれていました。

それは、主に、リハビリテーション職として仕事をしていく上で、OTらしさがなかなか発揮できないという、そんな思いからきているのだと思います。

先日こんな記事も読みました。

作業療法士がエセ作業療法をやっているというのです。

作業療法士が行うべきレクリエーションなどの役割を実践できていないという指摘をされていました。

精神障害系の施設であれば、当たり前のように行う集団活動も、身体障害系の病院や、施設などでは行われていないなど、同じ資格を持つ仕事にもかかわらず、行う業務内容が全く異なるのも、面白いというか、よりわからなさを深めている原因の一つかもしれません。

さておき、結局、作業療法士が「自分の仕事って何だろう」と考える背景には、させられ体験があるのではないかと思います。

作業療法士が、これがこういう理由で必要だから、これをやってみよう、ときちんと医学モデルや、作業療法のフレームワーク、人の心の動き、その人らしさ、問題点などをトータルに勘案して決めたことであれば、誰がなんと言おうとそれは作業療法です。

それを自信を持って行うことができるかどうか。

それが、作業療法士のアイデンティティがきちんと形成されるかどうかに関わってくるのではないかと思います。

作業療法士の職場世界は、未だに師弟性や先輩後輩関係に超厳しい

作業療法士になりたい、なってみたいと考えている人は、知っておくべきかもしれません。

もちろん職場によりますし、厳しいところのほうがちゃんと仕事ができるとかそういうわけではないと思いますが。

しかし、その厳しさをたどっていくと、OT界の凄い人たちに行き当たるケースがあります。

そういう施設は、長期的に見てあなたにとって良い施設です。

超厳しいかもしれませんが、石の上にも3年、頑張って下さい。

3年経って、馬が合わないならやめましょう。

さて、なんで作業療法が縦のラインが強いかというと、やっぱり作業療法の技術に職人技的な要素が強いからだと思います。

見て盗むというか、特に実習でもそうですが、教えてもらうというより自分で身につけようとする姿勢が強く要求されますね。

昨今の学校教育のシステムと、要求される姿勢との非常に大きなギャップがあるので、学生から割と敬遠される傾向にあるのですが、まあ仕方ないです。

学生側からすると、非常に理不尽な要求に見えますが、現場は学生に割く時間を作り出すだけでも一苦労です。同じような理由で、やる気があるかないかもわからない後輩にいちいち時間を割いて育てることは結構難しいです。やはり、新入社員側からすると理不尽に感じられますが。

本来なら、この辺のギャップを丁寧に埋めていく部分にOT力が問われているのだと思います。

教える側も、教えられる側も、頑張りどころですね。

作業療法士の立場は、治すことではなく癒すこと

治らない病や怪我を生きる人が、前向きになれるように支援をする。

それが作業療法士のあり方や、役割です。

治すことや、治ることがベストであるという価値観にとらわれず、あるがままの中の選択肢から最善を目指し、どんな結果になっても、「それでいい」と肯定する。

「今度はどんなことをしよう?」

「今度はこんなことがしたい」

という思いを引き出して、実行につなげる。

生きる力と生きがいにつなげる。

で、問題は果たしてこれは医療なのかということ。

医療とはなにか。

どの範囲までが医療なのか。

医療であるかどうかが問題になるのは、例えば保険がつかえるかどうかの問題が関わってきますね。

ここについては、胸を張って先人の方々の過去の実績から「医療である」と言い切れるのですが、その辺についてはまた詳しく書いていきたいと思います。

社会と隔絶されていたら、作業療法じゃない

作業療法として提供されるものは、全て、社会活動や外の誰かと繋がりを持ったり、またそれが感じられるようなものでなければならないと思っています。
なぜかというと、前回の記事でまた書きますと言いましたが、作業療法は医療の一端だからです。
それは狭い意味での医療ではなく、これからの時代により必要とされることになる、社会的医療だからです。
社会的医療とは、その人の社会的な回復を目指すということです。
ICFという枠組みは、まさにそのことを雄弁に語っています。
病気になった時に提供さるべきものは、これまでの医療の枠組みにとどまらず、その人が社会とのつながりの中で自分らしく生活できるようなありとあらゆることであるという考え方です。
これは、世界の医療保健の統括団体であるWHOが策定勧告したものですが、まさに作業療法の理念そのものです。
この理念の実践には当然、作業療法は積極的であらねばならないと思います。そして、そのためにはありとあらゆる作業はその人と誰か、もしくは社会との繋がりが先になければなりません。
作業療法と称して、いつまでも無目的にROM訓練を行うのが、良い顔されないのはそういうわけです。
逆に、その先にきちんと目指すものがあり、それが社会参画につながるものであれば、だれもなにも文句を言わないと思います。
そうした枠組みから外れた作業療法は医療ではないです。

作業という言葉、たぶん普通は専門用語として理解出来ない

作業療法士が用いる、「作業」ということば

作業療法士が用いる「作業」という言葉は普通の作業と意味が違うのです。

そういう説明をされても、しっくりこないと思います。

そこで、最近は「作業」を「生活行為」と言い換えたりしてます。ようするに「作業」という言葉は、「人間の行う活動」くらいのざっくりとしたイメージをもっていただければ、あたらずともとおからずです。

そこから、ちゃんと限定するとしたら、たとえば「作業」を行う主体である人自身にとって何らかの意味があることは「作業」になります。 そんな「作業」を、対象者の人がより良く生活できるようにうまく用いるのが作業療法士の仕事です。

うまく作業を行ってもらうには、把握しないといけない変数がたくさんあるので、本当にクオリティの高い作業療法をするためには感覚的な要素と論理的な要素の両方を高いレベルで統合できる必要があります。

要するに、頭デッカチでも、なんとなくでもだめです。

そういう、いろいろな要素をたくさん詰め込んだ言葉が「作業」です。

作業療法の実践には、 クリエイティブな発想と、実行力、マネジメント能力が求められます。

余談ですけれども、そうして必要な能力と比較した時の作業療法士が得られるお 給料は、全く割に合わない仕事だと思います。

そんな作業をもちいておこなう作業療法ですが、実践の内容からかけ離れたイメージを持たれてしまうことがあるようです。日常語としての作業という言葉が持つイメージが影響しているのは間違いありませんが、やっぱり仕事とか、単純作業とかそういうイメージによっていくところがあるのが残念です。

その辺もきっちりと作業療法士が実践を伴って、社会に対して説明をしていけるかどうかが大きなポイントになるのだとおもいます。

直接契約ができるようになれば、OTの質は絶対に高まる

同時に自然淘汰も進んで、競争は激化するでしょうけれど。

現在、作業療法を提供する人とされる人の間には施設があり、顧客である患者様や利用者様は施設に対して対価を支払い、作業療法士は施設から報酬を支払われるという形態を取っています。

その分、施設は中ぬきを行い、利用者と作業療法士の間を取り持つと同時に、何か問題が発生した時の責任を取るという立場や働きをしています。

良し悪しあるのですが、現在、優秀な作業療法士が地域社会に足りません。

もしも、作業療法士が自分で顧客と直接契約をし、そこに保険点数が適用できるようになれば、きっと地域で働く作業療法士の質は劇的に高まると同時に、必要な保険点数は激減すると考えられます。

なぜなら、顧客の支払い分が全て、作業療法士の売り上げになるということは、国としては同じ点数の支払いで働く作業療法士の数が劇的に増やせることを意味するからです。

今後ますます、作業療法士が地域や病院で必要になると言われているのであれば、直接契約は是非検討するべき仕組みだと思います。

チェック機能に不安があるというのであれば、行政が形だけでも直接雇用する形でもいいと思います。

作業療法士は今後そういう視点を推し進める人が、リーダーシップを発揮できると、ますますOTが社会にて活躍できる機会を作り出すことができるのではないかと思います。