漫画大好き
マギです


自己決定の重要性 with 作業療法
自己決定の重要性を伝えるのは難しい
「マギ」は名著

ストーリー

以下、自己決定の話とネタバレ

「作業」を介して人を癒し、治療する「作業療法」のサイト
作業療法の源流の初版が刊行されてから16年の歳月が過ぎた。あの本が出た1975年当時は理学療法士、作業療法士法が施行され、作業療法専門職の資格認定制度ができ、新しく誕生した作業療法士が、まだその数は少なかったが、我が国の医療施設で行われてきた旧式の、「患者作業」を改革するために苦闘を続けていた時代であった。
エビデンスに基づく作業療法(EBOT)は、エビエンスに基づく医療(EBM)のひとつであり、現在ホットな考え方であります。
EBOTにもいろいろな捉え方がありますが、データの蓄積を作業療法の中に生かそう、普段の作業療法の臨床にきちんとした根拠を持っていこうというそういう考え方です。
つまり、作業療法実践に後から理由をつける(考察する)だけでなく、それらの蓄積をきちんと統計処理したデータとして根拠に変換していこうじゃないか、それをもとにして作業療法の介入を行おうじゃないかというそういうこころみ。これがこの記事で使うEBOTの意味だと思ってください。
そのエビデンスには「質」があるという考え方はご存知でしょうか?
簡単にいうと、どの程度信頼が置けるか、ということの格付けです。
そもそも、エビデンスとは根拠のことです。根拠とは、人が何かの行動をしたり判断を下したりするときの判断材料となるような情報のことですから、「質」とはつまり、こういうことです。
判断を下すうえで、
とても参考になる情報は、エビデンスとして質が高く
あまりあてにならない情報は質が低い
こういうことになります。
「何を当たり前のことを」
と思われるかもしれませんが、とても大切なことです。
なぜなら、自分の感覚であてになると確信して判断したことが、実際にはあんまりいい結果につながらなかったという事はよくあることだからです。
たとえば、目の錯覚は、人の視覚が現実を歪めて認識するために起こる現象です。
感覚の歪みと同様に、歪みは人間の思考や判断にも起こり得るため、どんな情報が根拠として優れているのかということを主観的に判断する事はあまり得策ではありません。
どういった情報があてになって、どういった情報には価値が低いのかということを客観的に明らかにしておくことにはとても意味があるのです。
前置きが長くなりましたが、本題の研究エビデンスの質の話です。
皆さんは、自分が書いた事例報告と、権威ある先生がいった一言はどちらがよりエビデンスとしての質が高いと思いますか?
研究エビデンスの質のクラスは、以下のようになります。(上から順に質が高い
1a 複数のランダム化比較試験(RCT)の体系的レビュー
1b RCTが一つ
2a 複数のコホート研究の体系的レビュー
2b コホート研究が一つ
3a 複数のケースコントロール研究の体系的レビュー
3b ケースコントロール研究が一つ
4 事例研究、報告
5 権威者の意見
ご覧の通り、権威者の意見は、裏付けとなる証拠がない場合や批判的吟味がされていない場合、あなたが書いた事例検討に劣るエビデンスしかありません。(と、EBM Oxford Centerは言ってます
ランダム化比較試験というのは、統計学的な研究手法の一つです。
素晴らしい手法なんですが、その理由が気になる方は、下記参考文献をご参照ください。
コホート研究は、影響を与える因子の投入・暴露の前後を比較対照する実験で、放射線の健康調査などでよく行われます。
ケースコントロール研究は、後ろ向き研究ともいわれ、結果が得られている状態で、その結果を左右した因子は何かを比較対照によって明らかにする研究です。
研究法の詳細については、各種研究法の教科書が出版されているのでこちらもとりあえず下記参考文献にてご紹介します。
作業療法のエビデンスの最新情報は、やっぱりインターネット上で、しかも英語で確認ができるとのことです。
英語、大事ですね。
文光堂;作業療法士 プロフェッショナル・ガイド 作業療法とは何か;編集主幹 杉原素子 古川宏
三輪書店;作業療法士のための研究法入門;鎌倉矩子
医学書院;作業療法研究法 (標準作業療法学 専門分野);山田孝
ダイヤモンド社;統計学が最強の学問である[実践編]—データ分析のための思想と方法;西内 啓
作業と人は不可分のものとして良く説明されるし、そのとおりだと思う。
しかし、ひょっとするとあえて独立させてみるとちがった視点が得られるかもしれない。
また、本来不可分なはずの作業と人とが、分たれた状態になっていることもある。
作業療法士の役割は、そうした状況を円滑に解決することにあるのではないだろうか。
人は、何かをするためにいきている。
それを「生き甲斐」とよぶ。
何を生き甲斐とするかは人それぞれで、それは反社会的な内容でない限りなんであっても認められている。
疾患や障害によって、それまでの生き甲斐を喪失した人や、環境の変化によってその人の生き甲斐となる活動の継続が難しくなる場合がある。
そんなときに作業療法士は、素早く問題解決のために動けることが求められるように思う。
作業と人は、渾然一体となって始めてその魅力を発揮する。
実行に移す人がいないと、いかなる作業もただの概念でしかないし、作業を行わない人は自分の存在意義を確認することが難しい。
それは踏まえたうえで、あえて作業と人とを分けて評価できることが、とてもたいせつだと最近思うのです。
その方が自他ともに構造が分かりやすいし、その結果再現性も高まるから。
再現性の高さは、上記の様な場面で素早く動けることに繋がる重要なポイントだと思っています。
分けることによる他のメリット
依存などの問題に対処する際に役立ちます。
還元主義的な手法なので、コレに頼りすぎるのは人と作業をトータルで把握することをさぼってしまうことにつながるかとおもいます。
技術はあくまで手段であって、目的ではないので、自分が何の為にその手段を用いたのかをしっかりと意識しておくことが大切なのかなと思います。
時間とマンパワーが不足しているなかで、どのようにしたら、作業療法士としての仕事が全う出来るかなあと考えたことをつらつらと書きました。
あえて、作業と人を分けて評価の視点などを語ると、作業療法でやろうとしていることが単純化されてわかりやすいとおもいます。
逆に、作業療法士は人も作業もしっかりと評価してみれないといけないので、本当に国語力の問われる仕事ダなあと思います。
有効なアプローチだったり視点だったりを、発表して他の人と共有するのって簡単なようでかなり難しいことだなあと思います。
いろんな先生の素敵な発表を見るにつけ、「こんなことが大切なんじゃないかなあ」と感じたことをまとめてみます。
コメント欄にて、突っ込み大募集。
「あれ?」と疑問をもち不思議がってみることが大切なんだと思います。
自分なりの視点や考え方で、それを分析してみること。
時間がかかることなので、ついついとおざけてしまったり。
現状に満足してしまったり。
そもそも、言語化が困難な領域で仕事をしているせいか、ついついそんな状況に陥りがちです。
日常業務のふとした引っかかりを大切にして、きちんとその分析に力を入れることが公表するに足るネタを準備するためには必要不可欠だと感じています。
自己顕示欲でも何でもいいのです。
とにかく、自分のアイディアや発見を誰かと共有したいという強い思いが必要です。
なぜなら、公表するための準備は、地味でめんどくさい作業が多いからです。
実習の成果とも言える、「評価レポート」について「二度と書きたくない」と言っているOTRの友人は多いですが、ひろえもん個人としてはそれが「地味でめんどくさい」作業だからだと思っています。
それを乗り越えるだけの「モチベーション」が必要です。
自分の何気ないところからのアイディアが他の人が困っているときに活用されて、それで誰かが幸せになれるって素敵なことですよね。
そんなことをモチベーションにしてもいいかもしれません。
人は話すときについつい自分の言葉を使ってしまうものです。
それは、相手にとってはよくわからないことばかもしれません。
自分にしかわからない言葉で発表することほどムダでむなしいことはありません。
極端に言えば、英語しか分からない人に、日本語で理屈を説明しても無意味なのと同じです。
せっかく頑張って、書いてまとめたのに、誰もその素晴らしさを分かってくれないとしたら、多分その次はないでしょう。
モチベーションが続きません。
自分自身の経験を振り返ってみても、分かりやすい言葉に置き換えたり、シンプルな文章にすることで自分自身気がつかなかったことがみえてくることもあるように思います。
魅力的な論文というのは、だれもが分かりやすい言葉をつかって書かれていたり、主張することがシンプルだったりします。
とにかく分かりやすいのです。
だから、推敲をがんばることが必要だと思います。
この段階で、他の人から違う目で意見をたくさんもらえるかどうかというところは、発表の善し悪しにずいぶん大きく関わるのではないでしょうか。
自分自身の具体的な内容を書くだけでなく、他の人が使えるように一般化することにはとても意味があるなと思います。
具体的な事例から、ポイントを抽出して抽象化すると、それはモデルになります。
次に、同じような構造の問題に自分が出会ったときに、すぐに解決の糸口を見つけることが出来たり、だれかとその糸口を簡単に共有できるようになります。
自分自身の実践の根拠ともなり得るので、この一般化までこぎ着けることが出来るかどうかはとても大切な視点ではないでしょうか。
この言葉を使ってしまうと、一気に取っ付きにくさが増すのであんまり使いたくなかったのですが、他にふさわしい言葉も見つからなかったので使わせていただきます。
疑問を解決するというのは、すなわち「研究」です。
研究と聞いて、「難しそう」という印象を持つことは仕方の無いことだと思います。
実際、疑問を解決するのは難しければ難しいほどに価値があると見なされます。
疑問を巧く解決するためには、その疑問がどういう構造の物なのかをきちんと分析し、適切な研究手法を選択する必要があります。
良く言われる大きな分類としては、「量的研究」と「質的研究」があると思います。
少なくとも、この二つの特性と違いはきちんと把握しておくことが、価値ある公開のネタを作れるかどうかの大きな鍵であることは間違いないと思います。
よくわからない場合には、大学とかの作業療法学の権威に聞いてみるのも手だと思います。
優秀な先生であれば、その辺の手法については、きっと丁寧に説明してくれるとおもいます。
自分のアイディアや実践を公開まで、こぎ着けるのはかなり骨の折れる仕事です。
心も折れそうになることは多々あると思います。
ですので、やっぱり一番大切なのは、公開までのモチベーションをいかにして高い状態で維持し続けることが出来るかだとおもいます。
そういう意味では、著名な医学雑誌への掲載を目指してみるというのも、一つ有効な手だてかも知れません。
あとは、誰か仲間と協同研究するとか。
いずれにしろ、たくさんの賢いOTRやOTSの皆さんの面白いアイディアがもっともっと世の中に出回ったら、この世はもっと面白くなるんだろうな、そう思う今日この頃です。
作業療法というのは、きわめて個別性の高い療法だとおもいます。
対象者中心ということばで表現することになると思いますが、作業療法を受ける事になる人の価値観や生活歴、それから今までどのようなことに取り組んできたかという作業歴によって、その人が作業療法内で行うことになる作業は異なるからです。
という文章で、わかるのはきっと作業療法士とかOTSだけだと思うので、日常生活上だれもが経験したことがある事で説明したいと思います。
たとえば、右腕を骨折したとして。
右効きのひとであれば、箸を持ったり、字を書く練習をすることは、作業療法として成立します。
左利きの人であれば、もしカメラが趣味ならシャッターが押せるようになるとか、絵を描くことが趣味ならパレットが持てるようになるとかそういうことが作業療法になり得ます。
右腕の機能を骨折前の状態まで機能回復する過程において、作業療法の対象その人が何を希望するかによって、またそのひとが右腕にどのような役割をもって生活していたかによって、「作業」として選択するアクティビティは異なる訳です。
さて、その個別性の高さは作業療法の強みであると同時に、ウィークポイント、弱点でもあります。
個別性が強みとして発揮されるのは、治療の過程がオーダーメイドになることによって対象者1人一人の状態や、個性にマッチした内容に治療をデザインできるからです。
それがどうして、弱点になるかというと、短期的な視点で見ると一見効率が悪いからです。
一人一人の治療をデザインすることには、意外と労力が必要です。特に、新人作業療法士にとっては、一つの大きな壁ではないでしょうか。
ひとりひとり違う内容を考える為には、まずきちんと対象者の評価がなされる必要があります。
しかし、新人であるほど、つまり経験が浅いほどに参考にできる過去の経験は少ない訳で、適切な評価が行えるまでには 、ベテラン作業療法士と比較して多くの時間を必要とします。
たとえ、中堅以上のOTRであっても、担当が20人以上ともなると、その全ての対象者に個別性の高い治療プログラムを立案するのは、時間的にも物理的に制約が非常に大きいと言わざるを得ません。
単純な機能回復を狙った場合には、ROMなどの手技や筋力増強トレーニングなどにある程度分かりやすい道筋があるのですが、そうでない場合(たとえば認知症)には、きちんと評価が出来るような仕組み作りを行っていく必要があります。
作業療法の理屈上、コレを個々の対象者一人一人におこなっていく必要がありますので、作業療法士の業務は超短期的にはかなり大変です。
ベテランになればなるほど、過去の患者様のプログラムを改良したり、参考にしたりと言ったことが出来るようになるので、その辺りはスムーズになるようです。
しかし、この個別性の高さはリハビリテーションの質の高さや有効性にかなり影響する要素だと確信しています。
先ほどから、「短期的には効率が悪い」と書いていますが、長期的視点に立った場合にはむしろ効率が良いとさえいえるでしょう。
急性期、回復期が終了して、病院から自宅へ復帰してからも継続して行うことが出来るような「作業」をアクティビティとして見いだすことが出来れば、その人が自分で自分を「治療」することが出来るようになります。
そこから先は、作業療法士は必要なく、作業療法の対象者だったそのひとが、「自分専属の作業療法士」となるのです。
こういった視点は、医療費や介護費用の削減が国から叫ばれている中で、非常に重要になってくるものだと確信しています。
それを、実践によって示すことが出来ることが、コレからの作業療法士に求められていることだと思います。
そして、作業療法士以外の職種にも広めていくべきことだとおもっております。
とはいえ、まだまだ自分自身の実践が甘いので、精進したいと思う今日この頃です。
このわかりにくさは、作業療法の強みである「多様性」の裏返しでもあります。
作業療法士的視点で矛盾しない事柄が、具体的な実践レベルではぶつかり合って矛盾するように見えてしまうことって実は日常茶飯事。
理論レベルでは、同じことをしようとしても、その手段が異なれば当然やることは異なるわけですから。
そして、その手段の説明が異なれば、他職種や作業療法対象者からは、
「何がなんだかわからない」
ととられるわけです。
同じ理論で、同じゴールを目指しているとしても、手段が違うので、てんでバラバラに見えてしまうのです。
山登りにも似ているのですが、現在地点と山頂までの登山コースが違えば、同じ山に登るという事柄でも、違った体験をすることになります。
しかし、山頂という目指すべきところは同じであり、コースは違えど目指す方向性や「歩いて登る」という方法は同じだったりします。
理論は地図のようなもので、目指すべき方向性や、方法を指し示すものです。
地図というのは、実際の地形を抽象化して俯瞰できるようにしたものでもあります。
話を作業療法に戻し、あてはめてみるとどうでしょうか。
つまり、作業療法士の重要なスキルとして、より高次の概念で物事を語れることが求められるということになります。
そもそも、作業療法の介入は、応用動作や人間の感情といった、さまざまな要素が入り乱れる複雑な事象をより良い方向に導く手助けをするために行われます。
そこで、何よりも重要になるのは、最も重要なレベルで欠くことができない要素はいったいどれで、それらはどのように関連があるのか、どんな因果関係があるのかをシンプルかつ論理的に語ることができることだと思います。
それは、作業療法対象者や他職種にとってもわかりやすいものでなければなりません。
そのためには作業療法の根拠となっている理論が、きちんと矛盾のない論理的なものであることを示せることが必要です。
また、自分自身で自分が使っている理論の有用性に納得できることも必要だと思います。
また、それがきちんと意味のあるものであることを示せるような、証拠も積み上げていく必要があると思います。
作業療法は具体的になればなるほど、実はわかりにくくなるという、そういうジレンマが宿命としてついて回るようになってるのが、一作業療法士としては煩わしくもあり面白くもあったりします。
よのため、ひとのため。
ということばは、結構深いとおもいます。
世のためってのは、システムで。
人の為ってのは、感情論で。
その二つが重なるところを見極められると、人を幸せにする方向に世の中を変えていけるのかもしれません。
最近、作業療法界隈で、
「生活行為向上マネジメント(MTDLP)」
という言葉を最近よく耳にするのですが、正直「???」でしたので調べました。
追記:2017/12/24 加筆修正
なんとなく、現在進行形の概念なんだなあということは、知っていたのですが、積極的に関わる事の無いまま現在まで来てしまいました。
が、とある本の著者に実際にお会いしまして、「これ(生活行為向上マネジメント)を積極的に活用しないなんて!!」という趣旨の発言を頂きました。
ひろえもん、いち作業療法士として、個人的に何となくショックでした。
ので、勉強してみることにしました。
以下そのまとめです。
作業療法士の取り組みを説明する新しい枠組み
の一つということになるそうです。
そもそも、このあたりから全くわかっていませんでした。
要するに、
「生活行為向上マネジメント」という概念は、
『作業療法のプロセスを表すツール』
らしいです。
また、
「作業療法の標準的な形を一般の人に示すための物である。」
とのことです。
いわば、作業療法士でないと今ひとつピンと来ない「作業療法」という概念について、世間一般に積極的に発信をしていくために新しく作り出されたツールであるようです。
概念図は以下の通りです。
人間の生活が、「生活行為の連続」によって成り立っていることを示す図ということになるそうです。
この「生活行為」という言葉は、作業療法におけるいわゆる「作業」の意味と等価だそうです。
「作業」という言葉だと、誤解や認識の齟齬が発生する可能性が高いので、新しく「生活行為」という言葉を作り出したと、こういうことになるようです。
生活行為はこの概念図では5つに分類されています。
ADL
IADL
仕事・生産活動
余暇活動
社会参加活動
「日常の身の回りの活動」にあたりますね。
服を着替えたりとか、食事を食べたりとか、自己維持活動とか言われるやつです。
「家事などの生活を維持するための活動」にあたりますね。
買い物とか、そういうやつです。
「仕事などの生産活動」にあたります。
要するにお金を稼いで、生活を維持するための原動力となるような生活行為ですね。学生だったら、ここに勉強が入ってくるのかなとも思いますが、どうなんでしょう。
「趣味などの余暇的作業」にあたります。
人生のお楽しみというか、人生に潤いを与えてくれる、そういう活動のことですね。
典型的に紹介されるのはスポーツや、レジャーなどでしょうか。
とにかく、その人が楽しいと思えるような活動だったらなんでも当てはまると思います。
「地域活動などの作業」にあたります。
通学路の交通整理のボランティアとか、祭りの実行委員会とか、そういう活動が地域活動などの作業にあたると思います。
他人と何か社会的意義のある活動を展開すると、ここに入ってくると思います。
生活行為向上マネジメント(MTDLP)が、出来るまでには、「一般社団法人作業療法士協会(OT協会)」と国との間に、以下のようなやり取りがあったみたいです。
・OT協会、高齢化社会ふまえて、国に対して提言行う
↓
・国から「OTの社会的認知度および影響力って正直大した事ないよね?」とストレートかつ容赦のない返答
↓
・OT協会「んじゃ、社会的認知度あげるし有効性示すわ」
↓
生活行為向上マネジメント作成
こんな感じらしいです。
あくまで、伝聞ですけれど、日本作業療法士協会の偉い人にたまたま聞いたので多分あってると思います。
最初は、高齢者への作業療法の有効性を示すをコンセプトに始まった「生活行為向上マネジメント」は2010年に完成したのですが、
「急性期をはじめとする医療の現場や入所施設、介護職とOT連携ツールとしての活用の可能性を検討して」
完成させたとのことです。
あくまでわかりやすさ最優先な感じですので、齟齬ありまくりだったとしたらご容赦いただき、より良い記事を書いていただきたくお願い申し上げます。
「生活行為向上マネジメント(MTDLP)」は、作業療法のフローを抽象化したツールになってます。
だから作業療法士には、違和感の無い内容と言えます。
「意味のある生活行為」とは、「意味のある作業」というやつです。
まあ、「意味がある」から「作業」なのです。
それらをどのように支援するか、という作業療法士のプロセスをある程度固定化させたものが、生活行為向上マネジメント(MTDLP)なのです。
「生活行為聞き取りシート」「生活行為アセスメント表」「生活行為向上プラン表」の3つのメインシート
作業療法士の支援プロセスを具体化したものということで、
生活行為向上マネジメントには、「生活行為聞き取りシート」「生活行為アセスメント表」「生活行為向上プラン表」の3つのメインシートが存在します。
これらのシートは作業療法士が一般的に行う
作業療法対象者への聞き取り
評価
介入プログラムの立案
という3つがそれぞれ、集約されたものになっており、内容にも連続性があります。聴取や、支援プログラムの立案の際には、対象者の方の家族の意見にも焦点を当てており、より柔軟に双方の意見の調整やそのマネジメントを行うことがそれらの要旨です。
以前参加した講演の中で、講師の方が面白いことを言われておりました。
なんでも、「将来的には、シートをOT利用者が自ら記入し、OTのもとに相談に来」てもらえるような構想もあるのだとか。
そういう人は、作業療法士の助言を必要としない可能性が非常に高いという点を除けば非常に良いアイディアだなと思いました。
その辺が、生活行為向上マネジメントの難しさなんだろうなと思います。
生活行為向上マネジメントの用紙をまとめると
生活行為向上マネジメントは、
いままで作業療法士がやってきたオーソドックスな作業療法の形を
ツールとして誰でもできるように形にしたもの
「生活行為向上マネジメント」は現在進行中のプロジェクトであり、これについては調べたら調べただけ新しい情報が得られるような状況だとおもいます。
要するにきりがない感じがいたしました。
ので、今回はきっかけ程度の内容にさせていただきます。
申し訳ございません。
代わりといってはなんですが、今回参考にさせて頂いた内容についてご紹介させていただきます。
要するに国や社会に対して、作業療法の認知度を如何に高めていくかというテーマに対する一つの答えが、「生活行為向上マネジメント」なのだとおもいました。
そういう意味で、このサイト「作業療法.net」のコンセプトと丸かぶりで、ひろえもんとしては、今後も応援していきたいなーと思うところです。
「作業療法」の認知度が高まると、それを必要とする人に作業療法というコンテンツをリーチする事が出来る可能性が格段に高まるはずなので、作業療法の認知度を高めるという試みは、誰かが何らかの形でやらないといけないんだとおもいます。
ひろえもんはひろえもんで出来る事を、ちまちまとでもやっていきたいです。
はい。
生活行為向上マネジメントは、
作業療法を実践を(で)語るためのツール
移乗がすっかり板について、とんでもなく上手になりました。
ひろえもんです。
実習のときに、あんなに苦手だったのに、短期間でこんなに上達するとは思ってませんでした。自分で思い返してみても、とても不思議です。
先輩にいつか腰をやると言われたのは今は昔、同僚の先輩方から「うまいね」と素でほめられる程度には上達しました。
思わず自画自賛してしまうくらいにうまくなってしまいましたので、そのままの勢いで突っ走って記事にしてみたいと思います。
きっと、わりと多くの人の役に立てるのではないかと思います。
OTSもちろん、介助職のかた、看護師の方にもよかったら、見ていただきたいなあと思います。
てなわけで、拡散希望す。
あと、我流な面もあるので、間違っている場合には指摘いただけると大変嬉しく思います。
あと、長くてすみません。
ご存知のかたも多いかもしれませんが、この6月に厚生労働省は「職場における腰痛予防対策指針」って言ういうものを改訂しておいでです。
そのなかには、介護や看護作業による腰痛って言う部分に対しての明確な言及があり、厚生労働省的にも「腰痛問題やばいなあ」と認識していると言う事が伝わってきます。
抱き上げに関してなどは、「労働者の腰部に著しく負担が掛かることから、リフトなどを積極的に使用し、原則として人力による抱き上げは行わせないこと」と明記している。
また、「福祉用具の使用が困難で人力で抱き上げざるを得ない場合には、適切な姿勢においてできうる限り身長差が少ない2人以上にて作業すること」
(from http://www.qlifepro.com/news/20130623/revised-low-back-pain-prevention-measures-guideline-ministry-of-health-in-the-workplace.html)
はい。
ということで、まあ、厚生労働省的には、
「1人でがんばった結果腰痛になられて、使い物にならなくなったら損失なんで、物で工夫するなり、2人でがんばるなりしてくださいね」
という感じです。
より詳しく知りたい方はこちらどうぞ。よくまとまってます。
厚生労働省の「職場における腰痛予防対策指針」改訂について 公益社団法人 全国有料老人ホーム協会
現実問題として1人でなんとかしないといけない場面は多い
とはいえ、道具が無い現場も、道具を使う時間がない現場も、人員が十分に確保できない現場も山ほどあると思います。
要するに、ケアの対象となる方の移乗を1人でスピーディーに、かつ自分も相手も安全に行う事が求められます。
なんだかんだいって、介護市場の経営者って労働者側に対して、結構シビアに時間と金のノルマを科してくる人も多いですよね。
んだもんで、そのためには、ある程度の知識と技術を身につけておく必要があります。
それが、自分と対象者の方の安全と快適さを保証する事に繋がっていくのではないかと思います。
では、どんな知識や技術を身につけたら、腰を痛めず、ひいては、余計な力を使わず、楽に介助ができるのでしょうか?
ひろえもん小柄で体作りもろくにしていないので、技を使わないと移乗なんか絶対に無理です。逆に言えば、技を知ればだれでもラクに移乗できるようになります。
ありとあらゆる移乗動作は、細かい部分は違えど、意識しなければならないポイントはどれも大きくは同じです。
ですので、今回は、「ベッドから車いすへの移乗」を意識して記事を書かせていただきたいと思います。
さて、それでは、ひろえもんが普段使ってるテクニックと意識している部分に基づいて、書いていきます。
というか、段取りの問題カモ知れません。
とにかく、一番最初に車いすをベッドに寄せたり、多機能な車いすが使用できる場合には、手すりやフットレストを外してみたり、リクライニングや座面の傾きを調節してみたりして、移乗する際の妨げにならないようにします。
慣れないうちは時間がかかりますが、できるようになると、移乗の際対象者の重心を自分が高く持ち上げる必要がないため、腰をやるリスクがかなり変わると思います。
車椅子をあれこれするためには、ある程度触れてみてからの知識が必要になるので、OTSの皆さんは、休み時間とかに許可をもらって、バラしたり傾けたり自分が乗ってみたりをお勧めします。
すると、移乗に対する理解がより深まるように思います。
介護が必要な方が利用する最近のベッドは、電動で動くものが主流になりつつあります。
これらは、大体腰の位置を中心として「頭の高さ」「足の高さ」「ベッドの高さ」がリモコン操作で変更できるようになっています。
移乗の際、車いすによっては、手すりが外せないため、対象者の重心を高い位置に持ち上げる必要がある場合があります。
このとき、ベッドの高さをあらかじめ高くしておけば、自分で持ち上げる必要がないので、腰を壊すリスクは低くなります。
てこの原理ってのは、あれです。
「してん、りきてん、さよーてん」
のあれです。
これを毎日、唱えているといつの間にか、ほとんど力を使わずに、患者さまがおこせます。
嘘です。
唱えるだけでなく、実際に使う事が必要になります。
「いまいちよーわからんですのう」というOTSさんはこちらの本がおすすめです。
直接移乗については書いてないですが、てこのついでに運動学が学べる上、就職してからも役立つ充実の内容なので、変な教科書2冊買うよりかなりお買い得です。
最悪、中学校の理科の教科書を引っぱりだしてもいいかもしれませんね。
自分と相手の体重を使うと言い換えてもいいかもしれません。
ベッドから、患者様を座位にする際に、この原理と合わせてつかうと、ラクができます。
自分の体の重心上に、相手のからだの重心を持ってきましょう。そのために、きちんと対象者に正しく密着する必要があります。
これがてこの原理の真骨頂です。
すると、普通に立ち上がる動作をするように、下半身に力を入れるだけで、ラクに対象者のからだを持ち上げることができます。
これをマスターすると、移乗の対象者がわりと大柄な人でも全然イケるようになります。
解剖学で習ったカモ知れませんが、回旋での脊椎の可動域はお世辞にも広いとはいいがたいですね。
患者様を持ち上げ、移乗する際、足を動かさずに腰をまわすと、いつか靭帯をいためる気がします。
移乗対象者の体の向きを変更する際には、しっかりと自分の足を動かして、時分ごと方向転換するのが良い気がします。
対象者ができる事を引き出すために、こちらがしんどい思いをするだけというのはつまらないと思います。
どうやったら、自分もラク、相手もラクに移乗ができるかを考えます。
下肢の筋力が残存しているのであれば、きちんと自分の足をつかって立ち上がっていただきましょう。
機能維持に繋がるだけでなく、共同して一つの課題に取り組むときのあの充実感がお互いに味わえるのではないでしょうか?
そのためには、移乗対象者のことがしっかりとわかっていないといけませんのでいろいろと情報収集が大切になりそうですね。
その場合には、2人がかりでやるなり、道具を使うなりするべきだと思います。
無理した結果として、対象者さんがけがをしてしまうような事態だけはなんとしてもさけなければなりません。
介護やPTOT看護は、移乗動作、病棟によっては多分毎日やる事ではあると思うのですが、2人で、「平行移動」するばかりでは、上達しません。
経営者サイドの都合で、いつ人員が削減されるとも限らない訳で、1人で正しく移乗できるようなテクニックを身につけておくことには、自分自身にとってもメリットがあることだとおもいます。
なにより、対象者の方ができることを奪わないために、できる事なら、多くのひとに1人での移乗についてマスターしてもらいたいなあと思います。
学生さんにおかれましては、色々経験不足、知識不足等で大変かとは思いますが、「なにがリハビリテーション?」と考えながらがんばっていただきたいと思います。