【成功例?】昨年実習指導させてもらったOTSからの貴重な意見も含めた、実習指導についての個人的ノウハウのまとめ

備忘録です。今後とも、いち作業療法士として実習生を指導させていただく機会があるので、OTSを指導する側のOTRとして言語化を試みます。

作業療法士の側に、確かな臨床技術と、「しょうがないやるかあ」くらいの最低限のモチベーションがあれば可能な方法だと思います。

まえがき

本当はちゃんと論文にして発表すればいいんでしょうけれど、面倒くさいのでネットでいいやと思いました。

ただし、自分なりに誠実に書いてます。

実習での体験はおそらく、実習生のその後の人生を大きく左右します。自分の一挙手一動が、実習生の考え方になんらかの影響を与えます。そのへんは、いち作業療法士として妥協してはいけないところだと思います。

実習生指導に死ぬほど悩んだ去年までの自分と、今回も悩むであろう今年の自分と、どうせこまることになる将来の自分と、悩みを同じくするみなさまへ、参考になりますようにという祈りを込めました。

特にコロナな日々で、なんでも密にならないように、負担が軽くなるようにという方向で物事がすすんでいくようですので、そのあたりも踏まえて実習指導していければいいなとおもっています。

筆者背景

ここに書いていくのは、もうおわかりのとおり、あくまで個人的体験談に基づく情報でn=1ですから、大したエビデンスにもなりません。

しかし、私の個人的な背景については多少説明が必要と思います。

作業療法.netの中の人、ぼくhiroemon。サラリーマンといいますか、一応組織に属して働いておりまして。いろんな案件が、天から降ってきます。

すると、時に実習生OTS指導のお鉢がまわってくるのであります。

近しい同僚には、こっそり申し上げるところなんですが、「正直、学生の実習ができるような人間ではない。」と生来の自分自身については評価を下します。

ですが、組織人の辛いところは、向いているいないにかかわらず好む、好まざるにかかわらず、実習指導をしないといけない時がくるのでございます。

なにより、学生は実習担当OTRを選べません。かわいそうに。私なんかのもとに回されて、という感じです。

本当に、日々作業療法士の卵たる、学生さん相手に一生懸命教育しようと試みる先生方には本当に頭が下がる思いです。学生時代の自分みたいな学生が来たら本当に困るなあと思うので、私に教育は無理と自負しております。無理というか。

「何がなんでも、教えてやりたいというモチベーションが低い」というのが正しいでしょうか。

ですが、一応、本人にやる気がある学生にはとことん報いてあげたいし、そうすることでOTSの成長が加速すればそれはやがて、その人が関わる患者様が高い質のサービスを提供されることにつながるし、ひいては作業療法自体の全体の質の向上につながると思っています。

作業療法士が、OTS実習生指導で特に困る状況の一般論

じゃあ、実習で作業療法士と学生とが、どんなことに困るのかということを考えて対処法も考えておけば、ある程度スムーズにこなせるのでは無いかと考えました。

上記のような感じで作業療法士として働くうちに実習生を指導する機会に恵まれることがあります。

作業療法士側が好む好まざるにかかわらず、です。

学生もいろんなひとが実習にきます。

実習をとおして成長したい人もいます。そうかと思えば、カリキュラムで仕方なくっていう人もいます。

特に、「できることなら、実習にはいきたくないけれど、合格、卒業はしたい。」という矛盾した感情図のOTSの指導はじつに大変ですね。いまの教育システム上、卒業には実習合格が必須です。

本人に実習での成長のモチベーションが全くなくて、かつ不合格を恐れて「失敗したくない」が先に立つから動けない、何か言えば言うほど、引き出そうとこちらが関わるほどに萎縮してしまうタイプの学生さん。

一般論として、作業療法士が実習場面でOTS指導する時にこまるのはこの手の学生さんだと思います。

決して素行不良というわけでも、不真面目と言うわけでもないけれど、エネルギー低めで挑戦が苦手で、動きが悪く、指導されたことを忘れがちで、処理できない課題も溜まりがち。

そういう人には指導する側の期待と要求との間のギャップでフラストレーション溜まりがち。

そういう構造が、作業療法士とOTSの間で、お互いこまるんだろうなあ、という仮定のもと、うまくいく方法を模索して、去年実践し、その結果がちゃんと出て、後のち本人に聞き取りもさせてもらえたので、一事例として報告します。

指導法は、いつでもだれでもどんな領域でもOTRがOTSの指導に使える方法が良い

細かい条件が変わるとできない指導方法なんて正直臨床しながら取り組むのは無理ですし、そのせいで発生したOTR側のストレスがOTSにいくとナンセンスです。

ですから、実習生のタイプによって指導法を変えるとかそんなめんどくさいことはできないので、指導法はだれにでも使えるものでなければならないとおもいました。

今回備忘録として残すやり方は、実際去年と今年と、その前とで実習指導のやり方は自分の中では、一貫させてますし、学生から特にそれで困るということも聞かないので、それでいいのだと思います。なによりちゃんと結果が出てます。結果については後述します。

そもそも論として、やる気が全くないOTS実習生を早めに評価、特定する

作業療法士って真面目なひとが多いので、なんともできないこともなんとかしたいと祈りがちです。

しかし、作業療法士が実習指導のモチベーションをへし折られないためには、「全くやる気がないOTS実習生の指導はしない、諦める」の線引きが大事かなと思います。実習という、目の前に貢献すべき患者様がいるような状況にもかかわらず、まったくやる気を示せない人がOTRになっても将来の患者様が困るだけなので、冷静にバッサリやるべきです。

このやる気がないというのは、本人のメリットになる要素への改善を要求に対し、改善の動きが全くみられないことです。全くみられないというのは、文字通りゼロです。改善の要求は極めて具体的でなければなりません。しかも、本人の最大努力の1〜2割くらいの力でできるものである必要があると思います。要するに割と簡単にできることを、全くやらないのであれば、やる気がないとみなすという簡単な理屈です。

我慢して最低でも2週間は様子を見たいですが、それでも上記の条件で指示を出して、行動変化が現れてこないOTSは、作業療法士に向いていません。さっさと実習中止にして、学校に送り返します。

なんとかしたいと願っても、作業療法士が臨床の場でそのような学生を相手にするのは、相当の教育的知識技術が必要です。いち作業療法士には正直臨床やりながらの二足は相当難易度高いです。

改めて、実習生OTSの実習に向けてのやる気の有無の確認方法です。

詳しくは、後述する「改善のやり方」について、きっちりと具体的に実習生OTSに説明をしておきます。マニュアルとして手渡します。いつでもその気があれば参照して、最悪、手続きで思考ゼロでもできるレベルで、動きが見られない時に「できない」という言い訳を封じるよう、「やらない」が明確となる形で渡します。

そうすれば、判別が非常に簡単になりますので、あとは説明マニュアル化した内容をを取り組む気があるかどうか、能力の有無の影響を極限まで減らした状態の課題を渡します。それでもなお、変化に向けた行動が全くできない場合には、やる気がないのだ、と判定します。とにかく、課題は実習生OTSにとって非常に簡単で「できない」のではなく「やらない、やっていないのだ」ということが明らかになるように構造化します。

いち作業療法士として、業務と並行して指導・育成できるOTS量には、どれだけ最低限の指導法でと言っても、限りがありますので指導不能の判断はしょうがないと思います。さすがにやる気ゼロの学生さんはやりようがないです。賛否あると思いますが、本当は臨床に費やすべき時間や労力をボランティアで策以上、コストパフォーマンスの良い学生に労力は温存しておくべきという考え方です。

学生の側としても、引導は実習終了ギリギリになって渡されるよりも早めのほうが納得できるのでは無いかと思います。

OTS実習生に改善の行動が見られるが、一切結果につながらない上に同じようなミスを繰り返す、学習に困難さを認める場合

作業療法士の側が何度言っても、同じミスは繰り返すわ結果にはつながらないわ、となると本人のやる気を疑うのは致し方ないと思います。が、上記のようにちゃんとやる気の有無は判別してあげるべきと思います。やる気はあってアクション起こすことができるけどうまくやるだけの学習スキルが乏しい場合もあります。やる気があるなら、実習はできるとみなします。

たとえ、実習指導側の作業療法士の言うことがうまく理解できず、誤解してしまい「わかりました」がそうでなく、同じ失敗を何度も繰り返し、根本的に解決に至れない枝葉の部分にとんでもなくたくさんの時間を費やしてしまうOTS実習生だったとしましょう。

だとしても、改善しようとして起こすアクションがあるならば、うまくできないだけでやる気はあるのだと判断して、やり方を教えるなどしてハードルを下げます。

決して、就職して使い物になるレベルまで育てることは、実習指導者の責務ではないと思います。本人に要求できる能力の量があまり多くないのに、あれもこれもと要求しても、OTS実習生の中には、おそらく何も積み重なりません。

実習を指導する作業療法士の側が要求ハードルを高いままにしてほうっておくと、実習生OTSはストレスが高い状況のままになってしまいますし、作業療法士のほうも無駄にイライラしてしまいます。

作業療法士は、そうした学習に困難さを抱えるOTSに対して多くを求めることは諦めましょう。どうせ、OTRの側にもともと大して教えるモチベーションは大きくなんてないんですから。それよりは、下記の大方針に基づいて各実習生の身の丈に応じた指導を行うべきと考えます。

大方針 背中で語って、学生に生じた疑問に答える時のみ、言葉で説明

やる気のある学生も、やる気のない学生もいます。

私のように、臨床に対するモチベーションと比べると比較的やる気のない作業療法士もいます。

では学生とOTRの一番の違いは何かというと、成長の方法と、その源となる「改善のやり方」について知っているということです。実習生OTSを指導する時に、作業療法士がやるべきことはただ一つです。それは、作業療法士になってからも、患者様にとって優秀な作業療法士という方向性に向かって成長するための「改善のやり方」とその哲学と方法について教えてあげることが一番だと思ってます。

ですが、本心といたしましては、恵まれるというよりもお鉢が回ってきたのでしゃあねえという感じです。あんまりモチベーション高くないので、ふだんから実習生さんが来た時のために準備をあれこれして備えるタイプじゃないんですよ、ごめんなさいね。

ですが、学生さんにおかれましては、どんな人間が実習指導につくかによってその後の人生が大きく変わってくるっていうのは正直あると思います。つまり、実習が自信を形成する土台となるかどうかによって、実習生やOTSであった人が、OTRとなったその後、作業療法を好きになって頑張れるかというところに大いに影響することは間違い無いと思います。

働く作業療法士のやってることをまずはそのままOTS実習生に見せる

指導する側の作業療法士がちゃんと働いていれば、それをみせるだけでよいのです。ぐだぐだと能書きを垂れる必要もありませんし、たれたところでうまくいきません。

経験の量に違いがあることを抜きにして、作業療法士がOTSにあれこれ説明してもどうせOTS実習生は消化できないからです。自分が普段やっていることを、そのまま見せるだけなら時間も手間も必要ありません。

これなら、身体障害、精神障害、老年期、発達、就労、行政、どこであっても関係ありません。作業療法士の側はちゃんと仕事をして、その仕事内容を見せるだけ。

この段階は、言葉がいらないので簡単だと思います。

実習指導作業療法士は自分の臨床を見せた後に質問があれば、背景とエビデンスを説明する

その後、実践に関して実習生OTSから質問があった時のみ、実践や介入、さらにはその背景について言語化したものを渡します。

とはいえ、指導する側の作業療法士の側としても、いつも考えてることだったりすでに知っていることだったり勉強済みのことを、聞かれた範囲で一問一答型で答えるだけなので簡単だし、簡潔です。

なおかつ、作業療法士側が説明することは、学生本人の興味関心気づき疑問をベースにしてすでに引っ掛かりがあるところの周辺についての情報なので、OTS本人の中に残りやすいのでコストパフォーマンスが良いのが最大の魅力です。実習指導で大切なのは、実習が終了したときに学生の中にどれだけの学びが残っているかで判定されるべきだと思うからです。

要するに普段の臨床の流れと同じ流れで実習指導するだけ → 簡単

実際問題エビデンスや根拠、確からしさに基づく作業療法は、普段から作業療法士ならみんなやっていますし、説明責任によって患者様相手に説明もします。そもそも、作業療法士は、今現在患者様に対して自分がやってる治療介入アプローチがどうしてそのようなものを選択しているか、なぜそれを選び取っているのかについての根拠に基づく臨床、評価介入を普段から仕事として実践しています。

ですから、あとは簡単で、実際にやって見せて、「なにか聞きたいことありますか」で、質問あれば答えるしなければそれで終わりです。作業療法士側はOTS実習生本人の質問、疑問が解決するように自分の意見を正解では無く一つの意見であることを明示した上で伝えます。もしも、質問がなければ、それ以上こちらから「質問はないのか」と問う必要もないと思います。

メリットは違いに、短時間、軽負担で実習指導が可能になる

この実習方法は、OTS実習生側に、臨床場面を五感を通して具体的に体験をしてもらいます。その体験を自分で言語化してもらうことで、OTS側の学習を効率化するのが狙いです。それが、本人疑問をもとにして説明する理由です。

実際、その方が、短時間で済みます。今時の潮流にも合致していてそのあたりの整合性も問題ありません。

やる気や能力のある人への個別フォローも十分可能

また、本人の興味関心モチベーションの高さ、技量能力に応じて量や密度を調整しながら本人に情報を渡すことが可能になるので、説明する側のOTRとしても、非常にやりやすいです。負担軽減が時代の流れとはいえ、やる気のある人の学習機会が奪われるのもかわいそうなので、その余地も残せるということでこのやり方が良いと思っています。

実習も臨床も長距離走であることを学生には伝える

ただし、大切なことは、学生に短期的なハイパフォーマンスをもとめてはいけないし、実際にそこは求めないことを言語化して伝えることです。

本人の疑問を主軸とした実習指導は実際やってみると、やる気やモチベーションを刺激しやすい手法ですが、その反面息切れを起こしてしまいかねないほどの頑張りを引き出してしまうこともあります。

本来実習とは、あくまで、今後の作業療法士人生を、OTS本人とその顧客である患者様にとって有利となるように行動できるその基礎づくりのための貴重な体験となるべきものが実習だと思います。

ですので、実習のパフォーマンスに全力投球して、振り返りの余力が残っていないようでは話になりません

そのことについては、実習の始めに言語化して伝えるようにしています。いくらその瞬間のパフォーマンスが高かろうと、積み重ねる余力が残っていなければ、長期的には、低いパフォーマンスを着実に積み重ねる人の長期的成長に必ず追い越される日がきます。

作業療法士が実習生OTSに実習中で指導のポイントにすべき3つのこと

すでに臨床経験がある作業療法士が実習中のOTSに実習指導をするうえで大切にするべきは、3つのポイントで説明できます。

①短期的パフォーマンスよりも長期的な成長が重要であることへの理解

②持続可能性な成長に必要な自発性とモチベーションを高める方法をつかませること

成長のサイクルの回し方についてやらせて体感させること

以上3つです。

①については、既に上記で述べたとおりで、積み重ね続けるほうが長期的なパフォーマンスは絶対に高いですので、着実に積み重ねることが大切と理解を促します。

②については、人から言われなくても自分で動き出せるようになるための方法をつかみましょうということで、そうするために必要な自己内省を求めます。

③については、本人の言葉でPDCAをやらせます。

めちゃくちゃ優秀なOTSの場合にのみ 完全アクティブラーンニング

要するに、本人の自律思考能力の強化の比重を極端に高めます。

即戦力育成モードとでもいいましょうか。

具体的には評価から、介入までのプロセスを完全に自己決定させます。

つまり指導者であるはずのOTRは、ほとんど説明指導しません。

何も教えない。

聞き役に徹する。

肯定と否定の代わりにこちらは、問いかけを投げ返す。方向性に関するヒントになりうる問いを投げ掛け続けるのみ。

不安定で曖昧な状況下のなかで、少しずつ曖昧さを仮定仮説に基づく実践によって取り除き、その結果さらに積み重ねた実践のみが教師という極めて実践的な内容です。

議論と反芻と推敲によってトライアンドエラーで車輪の再発明を行う感じです。

普段自分がやっている頭の中と行動原理を習熟してもらうことをイメージした内容です。

ですが、そもそもこれが実践できる大人って、そんなに多くないかなと思います。

能力云々ではなく、実践し続けることがしんどいからです。答えが明確になるかどうかわからない状況下で常自分を鼓舞し続けて取り組み続けるのは、自分自身との対話が欠かせません。

楽に生きることを肯定される世の中においては、なかなか難しいのではと思いますので、後輩にすらあまり勧めませんし、自分もメンタル落ちてる時にはしんどすぎてできません。

まして、自分の意思決定と指導者からのプレッシャーを混同しやすい実習という状況下においては、アクティブラーンニング的に勧めるには、学生が潰れないよう実習指導者側のOTRに相当な配慮が必要になると思います。

特に、学生が一人しかいない実習の時には精神的孤立感を深めてしまうリスクあると考えます。要注意です。

学生事例と結果

昨年までに受け持たせていただいたとある方ですが、上記までの方法で、実習指導を行いました。

見学実習と本人質問への回答から開始して、どの程度実習を進めるかは実習生OTSの自主性にまかせました。

たまたま、やる気と能力が非常に高い方でしたので、こちらが学生さんと関わらせていただく時間も質問量の増加や、質問の質の深さが増すに伴って自然と長くなりましたが、学生さんの主体性と能動性とモチベーションは比較的高く推移し続けたかと思います。必要以上に、こちらから与えないことは、教わる側の成長を促進することもあるなということを学びました。

教えたい欲求に任せて教えると、本来の意味で助長してしまう、かえって成長速度を低下させることにつながるのだと、そう教えてもらったように思います。

最終的には、アクティブラーンニングできる方でしたので、実習も終盤の頃、介入とレポートを考える段階に差し掛かった時には、こちらは問いかけを投げる程度で、自分で関わりその体験をもとに自分で考えて評価してもらい、その評価をもとに既存知識から仮説推論を行ってもらい、それらが正しいという仮定のもと介入をおこなってもらい、結果から有効性の判定までしてもらうという、今考えると鬼のような内容の実習でした。

もちろん、学生さんの失敗の全責任は、指導者作業療法士である自分にあるのでそのあたりの意味でも自分自身の成長にとってもよかったと感じています。

おかげさまで、無事に実習終了となり、無事卒業試験も合格し、国家試験も合格し、コロナの中でも無事に働いておられるとのことですが、正直どう思ってたのか実習終了してしばらくしてから(つまり、利害関係がなくなってから)聞いてみました。

曰く「実習の時には、自分で判断しなければならず、結果確信が持てずに困った」一方「今確かに経験が役に立つ場面も多く、肯定はできる」というありがたいお言葉をいただきました。

一銭の得にもならないのに、こうして教えてくださったことが、まずうれしかったですね。もう少し頑張ろうと思いました。

実習生OTS本人の学習効果は高い

この情報過多社会において、臨床に出てからも役立つというのはなぜでしょうか。

間違いなくそれが本人が自分で体験し、そのなかでのひっかかりを疑問という形で言葉にして発信し、そこから深まった情報をもとに行動する、その結果をもとに評価を再構成する、あるいは継続の判断をする、という改善のやり方を実践したからだと思います。

こちらが答えを提示して、トップダウンで行うだけでは、誤りなし学習だけでは、就職後の臨床の場面での役立ち度合いはあまり高くなかったのではないかと思います。

注意すべき点

同時に、いくら優秀でやる気があって実習生OTSがアクティブラーンニング的な学習スタイルができるからといって、正解不正解を全く示さないというのはやはりやりすぎだったのでは、とずっと悶々としていました。思い切って聞いてみると、じっさいそういうお言葉を頂いたので、本人の成長を阻害しない程度にもうちょっと確信の持てる要素をなんらかの形で手渡すのが心理的負担を軽減する上で大切だなあと思いました。

実習生OTSへの指導で大切にしたいことは自己教育への自発性を身につけさせること

実習中にたくさんのことを教えるよりも、自分なりに一人で勝手に成長していく方法を身につけてもらえればいいと、そう思っています。

実習中にたくさん食べさせても、自分一人で調達できるようにしておかないと結局痩せ細っていってしまう、そんなイメージです。

魚をあたえるより、取り方を教えろっていう話があったのではなかったでしょうか。それはきっと作業療法士が取り組むべき作業療法の本質の一つだと思います。

そのためには、それなりに自分自身のことを知り、見つめ直して貰う必要があるんですが、なんだかかなり長くなったので、それはまたの機会に譲ろうと思います。

そのための必要最低限の要素が、この文章の冒頭の実習生OTS本人が自分自身に行動を強いれるだけのやる気なのではと思っています。

まとめ

実習指導は本人が自分で頑張れたら評価する

それでいいし、それだけでいいと思います。

作業療法士も実習生もラクに効果的な実習ライフを

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今更聞けないけど、作業療法士にとって重要な「エビデンスレベル」を理解する記事

エビデンスが大切と言われて久しいですが、エビデンスレベルというものが理解できなくて困っている作業療法士はいませんか?

なんとなく大切そうだなーというレベルから、なんとなくわかったわ、というレベルまで、作業療法士がエビデンスレベルの概念を理解できることを目標にした記事になります。

エビデンスレベルの概念は、臨床においても論文においても非常に重要ですので、なんとなくでも理解しておきましょう

エビデンスレベルがわかることのメリット

作業療法の研究では、臨床を文章に落とし込むというのが一つの大きな流れとしてあると思います。

これらが、症例報告、ケーススタディ、ケースシリーズなどと言われるものです。

こうした症例報告が、きちんとエビデンスとしての影響力を持つようにするにはどうしたらいいかがわかります。

また、論文を読むときに、その論文がどの程度信用できるのかをざっくり理解することができるようになります。

臨床では、確かな根拠を持って介入ができているという自信を強化してくれるものでもあり、きちんと自分の臨床に客観的な根拠を与えてくれるものであるといえます。

また、研究においては、自分の主張を強化するには、どうしたらいいかということがわかるようになりますので、論理的な思考力が身について、研究における無駄が減るはずです。

具体的なエビデンスレベルについて

以前、作業療法とエビデンスという記事を書きましたので、そちらで確認していただければと存じます。

作業療法(OT)とエビデンス

見ていただくと、専門用語のオンパレードであり、初見では何が何やらわからないことがわかると思います。

専門用語の意味

まずは、エビデンスレベルの説明に登場する専門用語について、一つずつ注目していきます。というか、統計で出てくる言葉なので、ちゃんと説明しようとすると統計に対する理解が必要なはずなので、ここでもざっくりとした説明で勘弁していただければと思います。

専門家の意見

専門家の、長年の経験、個人的な勘、予測を含んでの意見ということになります。漁師さんとか農家さん、伝統工芸の職人さんなどの、「こうしたらこうなるよ」という見解などがこれにあたります。

作業療法でいえば、先輩やら上司やらの発言だったり、講演会の講師の発言だったりするでしょう。

研修会などに積極的に行く作業療法士も多いと思いますので、そのエビデンスはどうなってるのかを確認するのも意義があると思います。

症例報告

何かをする前と後を前後で比較して、「ここがこんな感じで変わりました」という報告が症例報告です。

要するに専門用語でかかれた、ノンフィクションの物語です。

事実を書き溜めるという意義があります。

処置群

作業療法でいうところの介入をする、対象者、または対象者たち、ということになります。

一人ではなく、特定の作業療法を受けた人をひとかたまりとみなしているから、群なのですね。

対照群

処置群に対して、比べるための基準になる人たちの集まりですね。多くの場合は、偽薬だったり、何もしなかったりします。

処置をすることの効果を比較によってあぶり出したいからです。

ケースコントロール研究

作業療法の効果で変わったのか、それとも自然にそのような変化が見られるのか。

それを証明するのは難しいと感じたことがある人は多いと思います。

しかし、それを証明するのがこのケースコントロール研究です。

ある人の集まりの中から、作業療法の特定の介入の影響がどの程度あるのかを分析することができます。具体的には、作業療法の有る無しと、変化の有る無しも分析して、4つの群ができるのです。

バラバラに書いてみると

  1. 作業療法受けた 変化があった
  2. 作業療法受けた 変化なし
  3. 作業療法受けてない 変化があった
  4. 作業療法受けてない 変化がなかった

の4パターンの群ができる

ので、ある変化が介入によるものなのか、相関関係があるのかということをあぶり出したいときに使います。

計算の理解には、多分ベイズ統計の理解が必要なのではしょります。

これは、物事が起こってしまったあとから、ある変化は何が原因だったのかの因果関係をあぶり出すのに使えるので、作業療法の特性上は便利な方法だと思っています。

ランダム割付

無作為化といったほうが、意味が直感的にわかりやすいと思います。

作業療法する人としない人を、恣意的にならないように、偏らないように対照群と処置群にランダムに分けるという作業です。

同じ母集団からランダムに取り出したら、それぞれの集団は条件が似通ったものになるでしょうという統計学マジックです。

コホート研究

ケースコントロール研究は起こってしまった出来事を振り返ってする研究でした。

コホート研究は、起こる前からずーっと追いかける研究です。

つまり、作業療法をする人としない人の群をそれぞれ処置群と対照群として用意して、何らかの変化が起こるまでの一定期間、継続的に追跡調査をする研究ということになります。

また、同じ時間の中で、同時に行うことができるので、その辺りの年代的な条件を揃えることができるのも強みです。

要因対照研究とも呼ばれています。

時間も人手もかかるのでコストがかかるのが問題な手法ですが、わかりやすい研究手法であり、多くの人がしっくりくるのがこの研究手法ではないでしょうか。

過去のコントロール

比較対象ですね。

時間軸を問わないので、昔の比較対象という意味でしょう。

同時コントロール

同じ時間軸の中の、比較対象という意味でしょう。多分。

ランダム化比較試験

デザインされた研究でないと難しいのですが、エビデンスレベルはかなり高い試験方法です。

なぜデザインされた研究でないと難しいかというと、あらかじめ作業療法をする群と作業療法じゃないそれっぽい何かをする群をランダムに割り振りして、研究者と対象者にはどの対象者に作業療法が行われていて、行われていいないのかがわからないようにする工夫が必要になるからです。

これを作業療法の臨床でやるのは、ぶっちゃけ無理です。

効果のない作業療法もどきを対象者にするってのはありえないからです。

さておき、ランダム化比較試験というのはつまり、誰に作業療法がされていて、誰にされていないのかがわからないようにして統計処理にかけるという方法をとることで、分析する側が恣意的にデータを統計処理することを防ぐことを意図した研究方法になります。

とにかく、純粋な因果関係をあぶり出すという話です。

メタアナリシス

ランダム化比較試験をたくさんやればやるほど、信頼性が高まるようにするためのそういう方法です。そういう方法をメタアナリシスと言います。

各種データを俯瞰して、導き出す手法のことをメタアナリシスと言います。

この方法では、ランダム化比較試験では、現れてこないようなエビエンスの誤りを正すことができる力があり、より正確性をきすことができます。

矢とは違って、1本なら折れないけど、三本束ねるとおれることもあるのです。

つまり、複数のランダム化比較試験をまとめて、メタアナリシスすることでより精密にエビデンスを精査し、その真偽をはっきりとさせることができます。

今、エビデンスレベルの最も高い研究・検証の方法ということになります。

何はともあれ「症例報告」からはじめよう

さて、用語を見ながら、エビデンスとはどういうもので、エビデンスレベルの高低はどのようなものかを見てまいりました。

勘違いして欲しくないのは、エビデンスレベルが低いから、参考にするに値しないという話ではありません。また、取り組むのに値しないというものでもありません。

千里の道も一歩からです。

分析をするにも、材料がいるのです。

その材料は、なんでしょうか。

たくさんの症例の報告ということになります。

そうした報告の糸をより合わせて、太い綱にしていくことが必要です。

そう考えると、作業療法のエビデンスのもとになるような、作業療法の論文はまだまだ数が足りないでしょう。

もちろん分野にもよるとは思いますが、症例報告がたくさん集まれば、あとはいろいろな研究をいろいろな作業療法士がしてくれると思います。

エビエンスが出てくれば、きちんと国に働きかけることもできます。

本当に作業療法が必要な人への作業療法の重要性を、誰に対しても明確にすることができます。

まずは、「事実をありのままに書く」という症例報告から作業療法士は、「エビデンス道」の1歩目を踏み出す必要があると思います。

コラム エビデンスレベルの高い論文を読むには

ランダム化比較試験のメタアナリシスかどうかを判別して読めばいいということですね。

もっとも、作業療法の介入に関する論文は、日本語のものはほとんどランダムか比較試験のメタアナリシスに至るものはないでしょう。

ですから、英語で論文検索されることをお勧めします。

世界レベルならちらほら、そういう論文もあります。

まとめ

エビデンスレベルは

統計とランダムと尺度がきっちりするほど

上がる。

となんとなく理解してたら、とりあえずOKです。

 

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作業療法の論文を、作業療法士は英語で書くべきか?

大相撲の初場所で、白鵬がさすがの勝利を見せて、「ああ、やっぱり強いな」と思った次第です。土俵際でも、落ち着いて冷静に裁くだけの余裕があるなあということで、冷静に対処するってのはやっぱり安心と信頼と実績につながると思いました。

さて、そういう安心と信頼と実績において、作業療法士にとってはその裏付けとなるのが、臨床での安定したアウトプットであり、その実績を論文にして書き留め公表共有することです。

さて、作業療法士が書くこの論文は、英語で書くべきでしょうか?

結論:英語で書くべき

私は、作業療法士は論文を英語で書く方がいいと思います。

実は、この話題について、論文雑誌「作業療法」2017年8月において、巻頭言で日本のOTのパイオニアの一人である清水一先生がご意見を述べておいでです。

ちなみに詳細は各人読んでいただければと思いますが、清水先生は「別に英語じゃなくてもいいじゃない」というご意見です。

ちなみに先生は、英語バリバリできる人です。

経歴みていだければと思いますし、本の翻訳とかもやってますし。

そんな先生が作業療法士は、別に論文発表は日本語でも良いじゃないのって言ってるのに、英語で書くべきと主張するのはかなり勇気がいるのですが、多分大事にしてることは一緒なんだと思うので、思うまま書きます。

作業療法士は、論文を英語で書くべきです。

理由:英語を扱えるメリットがでかいから

英語ができるメリットは、情報を扱う仕事をしている人にとっては、非常に意義が大きいのです。

例えば、英語がわかれば、海外の論文を英語で読めますよね。

英語で論文を読むことができたら、どうだというのでしょうか?

日本語で読めるのとなにが違うでしょうか?

もうお分かりと思いますが、例えば、情報が手にはいるスピードが圧倒的に違います。

具体的には、海外のOTが書いた本の翻訳版が出る前に原書を読むことができます。あるいは、海外のOTが書いたブログを読んで、向こうの動向を日本にいながらにして知ることができます。

量も違います。英語の論文の方がはるかにたくさんの、それもエビデンスレベルの高い論文があります。

メリットはあげればきりがありません

デメリットはありません。

英語で論文書けるようになるためには

英語で論文を書けるようになると、海外の作業療法士に自分の論文を批判してもらえるメリットもあります。

英語で論文を書けるようになるには、いろいろな方法があると思います。

おすすめなのは、英語の論文を読むことから始めることです。

読んでいくと、繰り返し出てくるフレーズやらパラグラフの構造なんかが見えてくるので、それらをパk…参考にさせていただくと書きやすいと、こういうことでございます。

マネから始めるのは、王道であり基本ですね。

とはいえ、最新の論文とかは、結構統計のオンパレードで、英語もさることながら、内容自体が難しいという悲しい現実もあります。正直、簡単な論文と難しい論文の見分けもつかないと思います。

では、論文読めるレベルの英語を身につけるにはどうしたらいいでしょうか?

そのためには、自分が論文を書くことを意識しながら、それに関連するキーワードを検索して翻訳しながら読んでいくのが良いと思います。

つまり、自分が書きたい分野の論文を読んでいくということです。

昔に比べて、いちいち辞書を引くことなく、英文を読むことができる環境が整っている今、英語の勉強をしないのは、もったいないと思います。

要するに、習うより慣れろなところはあると思います。

英語が必要かどうかは人それぞれ

ここまで書いておきながらなんですけれど、英語が必要かどうかは、人それぞれです。

作業療法士が、要するに世界と繋がりたいと感じるかどうかだと思います。

世界レベルの情報を取りにいきたいと考えるのであれば、やはり英語は必須アイテムです。

ですが、作業療法士として、自分の臨床を自分の中の基準でじっくりやっていきたいと考えるのであれば、英語の優先順位はそんなに高くないといえます。

むしろ必要なのは、検証可能性を向上させるための、日本語での論理的な思考能力と、それを何らかの形で人と共有し、チェックを受けることだといえます。

もし、英語が自分にとって必要だと思った作業療法士は、やはり英語でものを書く、読むを習慣化させる必要があると思います。

逆に、いらないと思うなら、いらないと思います。それよりももっと大切にするべきことがあると考えているからだと思います。そして、こういう人に向けてのメッセージが、清水はじめ先生の先の巻頭言ということになるのだと思います。

英語を勉強するためのツール

とはいえ、いきなり論文を読み出すと心がおれる人がほとんどだと思いますので、段階づけにこんな素敵な本がありますので、活用を考えてみてください。

Amazonで買うだったら、今日現在残り一冊らしいのでお早目に。

 

まとめ

作業療法士としての広がりが欲しいなら英語で論文を書いた方が良い。

作業療法を深めたいなら、英語よりも論理的な思考力を大事に。

 

参考

清水先生が英語できる証拠とか

この本の最新版とか

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リハビリテーションはお手伝いじゃない 作業療法にも通じる人助けの奥義と 人助けがテーマの漫画「スケットダンス」最終巻より

(2020/07/06  割と大幅加筆修正)

作業療法士の語る「リハビリテーション」はなかなか理解されないことが多いです。でも、同じ意味を「すっ」と言ってる漫画のセリフがあるのでご紹介します。

というわけで、この記事には、まんが「スケットダンス」最終巻の壮大なネタバレが含まれています。

もし、出来れば、このスケットダンスという漫画、素敵なので、一巻から、最終巻まで自分で読んで、噛み締めていただきたいので、読むつもりがある人は、そっとブラウザバックしてください。

前置き 実体験した過剰なお手伝いを医師から提案された件

まずは、作業療法の対象者の方と一緒に作業療法中に、とあるドクターの先生から、言われた衝撃的な一言の話から入りたいと思います。

その発言とは、

「なんでやってあげないの?やってあげる方が親切だよね」

という一言。

人助けに関する見解の相違を感じた瞬間でした。

患者様が、貼り絵をやっていたのですが、確かに作業ペースはお世辞にも早いとは言えず、その先生がやれば10ぷんくらいで終わる内容に30分以上の時間をかけて取り組まれていた場面でした。その方は手伝って欲しいとも、もうやりたくないとも一言も言われていませんでしたし、むしろ楽しそうに黙々と取り組まれていました。

その時は、正直かなり戸惑いながら、「どうしようかな」と思いながら、リハビリテーションとはという話をその先生とすり合わせる作業をしました。

ぶっちゃけ、

先生それをやっちゃあ、リハビリテーションとしちゃあおしまいでしょう。

ということがありました。ご説明したら、納得はしていただけましたが、リハビリテーションの構造は継続的に説明しないといけなくてそのコストが都度発生すると、改めて確認することになりました。

困ってるのになんで代わりにやってあげないの? という呪い

リハビリテーションの現場を他職種が見た時に、

困ってるんだから、代わりにやってあげないの?

とか

ともすると、

なんで意地悪するのさ?

なんてニュアンスで、尋ねられることもあったりします。最近は、おそらく協会レベルの認識がかわってきたのでほとんど言われることがなくなってきたのですが、それでも、そのあたりは世の中の雰囲気に影響を受ける部分ですし、リハビリテーション・作業療法を語るのは難しいです。

飢えてる人に食べ物を与えるのは正しいか

スケットダンスはもうしばらくお待ちください。

たとえ話をひとつ。

先ほどの話ですが、つまり、いち作業療法士としては、直接的な対処療法は、個人的には緊急的なもので、状態安定したらすぐにやめるべきと感じています。

無用な援助の継続は、本人能力の低下に直結するからです。

とある小説に

『食べてない人に

「人はパンのみに生きるにあらず」

って言っても

うるせえ馬鹿ってなもんだろ』

という、一節がありまして、妙に気に入っているのですが、これは対処療法の重要性を端的に表現しています。対処療法は極めて有力な選択肢の一つです。

一方で、飢えてない人物にいつまでもパンを低コストで供給するのは違うだろ、って思うのです。それは、その人が、自分で自分の人生を管理する力を奪うことにつながるからです。

飢えている人には、自分でパン、もしくはそれに代わる食べ物を自らゲットする能力を身につけてもらうことが、その人の生活の豊かさを増やすことになります。

作業療法における支援の量も、評価の元に、適切な量と質で提供されないと、無用な依存を引き起こしてしまったり、逆に栄養失調を引き起こしてしまうことになります。

リハビリテーションとは、再構築である

そもそも作業療法は、リハビリテーションの方法論の一つです。ですから、リハビリテーションの枠組みを踏まえて、勝負しなければならないと思います。

つまり、その人の人生の復権に貢献しないことがらを、「手助け」と称して実行していても、それはもはや作業療法とは呼べない、別の何かということです。

それは人生の再構築とも呼べる過程の一旦であると思います。その人の人生を再構築する手助けをするのが、リハビリテーションであり、作業療法と考えます。

作業療法と人助け

繰り返しになりますが、作業療法士は、ある面では確かに「人助け」を行う仕事です。

しかし、直接的な援助をいつまでも質と量を調整せずに、供給し続けてはいけないということです。

なぜなら、当事者である作業療法の対象者が、「じぶんでできるようになる」、つまり、主体的に選択、行動、決定が行えるよう支援するのが作業療法士という仕事だからです。

ですから、生活の再構築の支援を行う作業療法士は、支援とは何か、作業療法における「人助け」とは何かを理解していなければなりませんし、それを対象者や家族、他職種と共有しておく必要があります。

漫画 「スケットダンス」最終巻における人助け

お待たせしました。スケットダンスです。この漫画のセリフが、リハビリテーションにおける人助けの根本を表現していると確信します。

ちなみに、冒頭でも多少触れましたが、スケットダンスという漫画は、高校生三人組が、いろんな問題に面白おかしく時にはシリアスに挑むなかでの、成長を描いた学園ものです。シリアス回は、いろいろと考えさせてくれる漫画だったので結構好きで、連載中から読んでおりました。

その中でも、特に感銘を受けたのが、最終巻で、主人公が自分の人助け観を語る場面でした。

それが、学園理事長から「人助け」とはなにか、と問われての以下のセリフになります。

©︎篠原健太/集英社

「理解者になること

乗り越えることは 変わることじゃなくていい

その人が 今いる位置を認めて 愛しいと思えるように

背中を押すこと」

どうでしょうか。

私個人は、初めて読んだ時に、ああ、その通りだな、と思いました。うまく言うものだなあと思いました。

このセリフは、まさに作業療法とか、リハビリテーションの理念そのまんまです。いろいろな要素を内包しています。支援する側とされる側が互いを対等な存在と感じないと、なかなか理解できないでしょう。その意味で、微妙なニュアンスをうまく伝えうる貴重なセリフだと思います。

冒頭の医師とのやり取りにこのセリフを当てはめると見えてくるものが今回伝えたかったことです

冒頭エピソードを少し振り返ってみたいと思います。

対象者さんが大切にしていたことは、「やってる、やれてる感覚」とそれを実現しつつある自分自身という存在なんですよね。決して、貼り絵がクオリティ高く仕上がることでも、ラクに出来上がることでもないんですよね。

いまの自分ができる精一杯を取り組んでいる自分自身を肯定する力こそが、作業療法対象者の主体性であり、それをそっと支えるのがリハビリテーションないし、作業療法士の仕事なのではないでしょうか。

人助けとは

「理解者になること

乗り越えることは 変わることじゃなくていい

その人が 今いる位置を認めて 愛しいと思えるように

背中を押すこと」

作業療法士にできる手助け

本人ができることを本人がやって、本人がそれでいいと思えるように支援・応援することが作業療法士の仕事と思います。

極論、方向性が正しいのであれば、直接的な介入がなくても、ちょっとした声かけを適切なタイミングで適切な量と質で行うことで、その人の支援が完結するかもしれません。

©︎篠原健太/集英社

いわゆる勇気づけってやつですね。

足りないのはもちろんいけないし、支援しすぎるのはもっとよくない。

だから作業療法士は、専門職なんですよね。その量的質的コントロールが職人技だから需要があるのだと思います。

ほんとうのところは、作業療法士なんていう職業がなくても、困っている人の周りのひとが「大丈夫だよ」とちょっと応援してあげて、本人も「ありがとうでももうちょっと頑張ってみるね」と、その相互作用でいけたら一番いいんです。作業療法士なんていらない世の中が一番いいんです。

世の人がみんなそれに代わる行為を日々行うことができるのが一番望ましいと思ってます。

でも現実はそうじゃないから、その辺はわきまえて作業療法士として対象者の方にできることをやり過ぎないようにやっていくことが大切だなーと思ってます。

ということで、以上スケットダンスから教わった「人助け」の極意でした。

蛇足

その他にも、作業療法士として参考になるなあと思った内容はたくさんあります。

たとえば、最終巻で、主人公たちが文化祭の出し物を考えるシーンがあります。そのシーンでの、やり取りや思想はまさにユニバーサルデザインを体現しています。

みんなが、個性を発揮して参加できるためにはどうしたらいいか、そのためのありようはどうあるべきかと知恵をしぼる。決してシンプルなだけでは実装が難しいため、このコストを現実では渋るんだよなあと、でも大事なんだよなあ、改めて痛感するいいお話です。

そのあとの、スイッチのあれこれとかも感動的なんで、最初から最後まで、ぜひ全巻読んでいただきたい。スケットダンス。

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ごく最近「作業療法士冥利につきるな」とやりがいを感じた瞬間

作業療法士には、それぞれ色々なやりがいを感じる場面があると思います。

先日、自分がやりがいを強く感じたのは、自分の対象者の方が、ご本人の言葉で、実際の体験の気づきを言語化できた時でした。の巻。

作業療法ってなんだ?

作業療法とはでも触れましたが、作業療法ってなかなか一言で言い表すのが難しいのです。

確かに、やってもらうこと、やること自体はとてもシンプルです。

だからと言って、

「作業療法って、絵を描いたり、塗り絵するんでしょ」

と言われて、なんとなくそれを肯定するのに引っ掛かりがあります。

別に、活動をしてもらうこと自体が目的ではないし、全員が全員に創作活動をしてもらうわけではないからです。だから、自分の中で、そこを素直に肯定できない時があります。

大切なのは、ちゃんと「作業」かどうか

対象者の方にとって必要なことを獲得してもらうために、とか、

やりたいことや自己実現の手段や目的として、とか

作業としてアクティビティを用いるというただそれだけのことなのですから。

作業療法というのは、やはりどうして作業を使うのかが大切です。

意図を見抜かれた「作業」

そして、その目的をきちんと達成できるように協働することはもっと大切です。

作業療法として提供した作業の目的に対象者の人が自分で気づいたんです。

この間。

どういうことかと言いますと以下のようなことです。

やや、若干活動性の低い若い男性がおられました。

最初はおたのしみとして、とある活動を「作業」として提供していました。

「ちょっとやってみない」

なんて言って。

すると、ある程度定着して、自分から積極的に取り組めるようになってきていたんですね。

そして、別の集団活動に参加して、その人の成長ポイントの話になりました。

ふと、

「ああ、これって、◯◯(「作業」の名前)と一緒ってことね」

対象者の方の変化のきっかけを手伝えると楽しい

今回関わらせていただいたこの男性、おたのしみとして導入した作業を通して、自分の課題に気づいて取り組めるようになっていたのです。

そこに対する言語的な介入はほとんど行っていません。

むしろ、非言語的に、感覚的に本人が成長して変わっていることを実感できるような構造で、「作業」を提案し、そのための環境を提供しました。

「作業」を通して、蓄積された感覚が経験となって、その人の気づきにつながり、より良い決定や選択肢の幅を広げていく、そんな瞬間を目の当たりにしました。

この時はガッツポーズしたくなりましたね。本当に。

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作業療法士の仕事のやりがいをすっと感じた瞬間でした。

本当にすごいのは当事者・対象者

別に、作業療法士がすごいわけでもなんでもなくて、それは対象者の方の努力や頑張りだったり、センスだったりなんです。

本人の自発性がないと、作業療法として関わるのはかなり難易度が高いですので、作業療法士は常に対象者の方のやる気や頑張りに助けてもらってるわけです。

ですけれども、対象者の方が、作業療法としてやってるアクティビティを、自分とその活動、「作業」の意味を整理して、「ああ、こういうことなんですね」と、理解できて一歩進めた時は、それは本当に嬉しいですね。

嬉しかったです。

確かに、やってることは、切ったり、貼ったり、塗ったり、みたいな一見単純な活動なんですね。

ですけれど、そこには明確な目的と、目標設定に向けた訓練としての意図もちゃんとあるわけで、実際にそれを感じ取って、対象者の方が自ら感じ取ったものを自分の言葉で言語化してもらえる瞬間はたまらないですね。

それが聞けると、作業療法として一緒にやってることが、積み重なってる感があり、成長や回復の過程の手伝いが多少なりともできているという確信めいたものが持てるので元気が出ました。

要するに

治療としてそのアクティビティを選択した意図を、こちらから説明する前に、自分でしっくりきてもらえて、ご本人が言語化できて、そこで自発性やら積極性がてできて、自立度も高まって、汎化できて、習慣化して、生活の基盤ができて、リカバリーが高まって、リハビリテーションとして成立すると、本当に作業療法士冥利に尽きます。

なんか、そういう狙いが、うまくコーディネートできた時は、

「やったった」

感はあります。

正直。

自由ゆえの作業療法

作業療法士の仕事は、法律で規定されています。

もちろん大枠は、医師の指示の下、です。

しかし、医師が示すのはあくまで方向や大まかな結果であって、そこにどのようにして至るかという道筋は、作業療法士に委ねられるわけです。

ですから、なるべく対象者の方の作業療法の成果が最大化できるように、介入・支援を最適化しようとします。

そうした積み重ねは、単に良い治療成果がもたらされたというだけでなく、対象者の方と治療者の関係性や信頼性を強固にしてくれて、より大きな結果に繋がる提案を行いやすくなる気がします。

そうした、関係性などのトータルコーディネートも含めて考えて、作業療法ができる環境が最近はあるので、ああ、本当にありがたいなあ、と、感じています。

介入・支援の切り口は無限にあった方がいいので、やっぱり自由度って大切だなあとつくづく思います。

やっぱり勉強大事

唐突にブッコミましたが、勉強は大切だな、とその前の自由度に関連して思います。

勉強て言うと、専門知識の学習とかイメージされるかもしれません。それらは、当然大切です。

それはスタートラインとして、

けれど、それだけじゃなくって、色々なことを吸収して自分のものにしておくことはすごく大切だと思います。

人生なんでも経験とはよく言ったものです。

残念ながら、経験してないことは、思いつきで実践することは難しいです。

だから、作業療法士としては、色々なことに興味を持っておく習慣が必要です。

それさえあれば、より良い作業療法を行うために作業療法士自身ができることが増えるかもしれません。

そうすると、色々な活動を作業として使いやすくなります。

活動を作業として用いるのに、作業療法士が熟練している必要性はありません。

ありませんが、熟練している方が、作業として提供するのは楽に行うことができます。

用いる作業の幅が広がれば、作業療法対象者の方へのサポートを最大化しやすくなります。

具体的かつ、感覚的な気づきを持ってもらいやすくなります。

それは、強力な学びや経験となって、その対象者の方の判断や思考パターンをより本人の希望に沿うものに近づけ、その後の人生を自らが望む方向へコントロールする力を大きく左右することになります。

だから、勉強が大事だな、いろんな人生勉強はしておくべきだなあ、と思ったりします。

作業療法の実践にやりがいはいらない

ここまで書いておいて、じゃあ今までの文章はなんだったのかということを書きますが、作業療法に作業療法士のやりがいを持ち込んだらアウトだと思います。

客観的な判断ができなくなるし、「作業」の影響をきちんと評価できなくなるからです。

やりがいありきではなくて、たまにご褒美としてやりがいが降ってくることがある。

それくらいに思っておかないと、自分の場合はすぐに調子にのるのでいけません。

あくまでクライエント中心が、作業療法のモットーですから、それを完遂できるかどうかがまず大切です。もし、作業療法の対象者の方が、その人の望む方向に進むやくに立てたと明確な時だけは喜んで良いかもしれません。

結局この記事はなんだったのか

作業療法の場面での、対象者の方の発言に嬉しくして、調子に乗って舞い上がりそうな自分を客観視するために書きました。

現場からは以上です。

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OT評価実習生:OTSにOT五年目が感じた 実習中の成長を左右する要素の「ヤバさ」

短期(評価)、長期(総合臨床実習)に関わらず、実習中の学生目線だと理解できることがあります。

一方で、経験年数が増えて、経験値もそれなりに増えると、ここ最近はじめて感じることがありました。

その2つの間のギャップの話です。

「何をしに、実習にきたの」

実習を通して、成長する学生と、

あまり変化なく帰っていく学生との間には、いろいろな違いがあります。

その違いは、普段の臨床にも通じる大切な「違い」だと思っています。

後者の学生がよく言われるのが、

「何しに来たの」

です。

これが、その理解のためのキーワードであるように感じています。

何のための実習かがわからない

「実習に行くことになっているから、実習に行く」

という学生が少なからずおります。

実習のための実習、実習が自己目的化している学生です。

こういう実習生が、上記のような質問を実習中に繰り返しぶつけられて、あまり成長なく、実習に対する傷つきだけを感じて帰っていくことが、ままあります。

そのタイプの実習生は、なぜ生まれるのでしょうか。

そしてなぜ、実習生は傷つくのでしょうか。

作業療法学生:OTS目線での実習

申し訳ないのですが、引用できる資料もないので自分語りになります。

でも、自分の学生時代、OTSのときの実習を振り返ると、その傷つきのヒントにはなると思います。

学生の頭の使い方の典型とおもうのですが、

「学校で学んだことを、臨床で生かす」

という思考回路があります。

学生の作業療法観は、授業の中の情報や、講師の話によって構成されます。

それのみによって構成されていることがほとんどではないでしょうか。

すると、学生の行動原理は、

「いままで自分が学んできたことを実践してみること」

になります。

そして、それができることによって、実習が合格となるというモデル(妄想)が頭にあります。

これが、実習の為の実習であると、臨床家のOTRのみなさまから批判されるところだと思いますが、学生の側からすると、むしろ自然ながんばり方なのではないでしょうか。

それなりに臨床経験のある作業療法士:OTR目線での実習

一方で、かつてOTSであった作業療法士:OTRの側に立つと、今、実習で学生に求めることはシンプルです。

目の前の対象者に対して、いち作業療法士、いち臨床家としての今の自分での最善を尽くすこと、です。

作業療法士として、実地で経験をかさねていくうちに、自然と評価できるようになることはたくさんあります。

それは、養成校で学ぶこともたくさんありますが、養成校で学ばない、学べないこともたくさんあります。

身体障害領域で例にとると、ポジショニングの常識も日進月歩です。

かつては、

「隙間をうめる」

がポジショニングの王道でした。

しかし、やり方をまちがえると、日々のポジショニングの積み重ねが屈曲拘縮をつくりだしてしまうということがしられるように、徐々になってきています(多分知られて来て、浸透していると信じたい)。

別の例で言えば、かつて推奨されていた、教科書にも載っているような、移乗の方法が、実は自立度の低下につながる場合もあります。

このような学びが、学校でできたか。

告白します。

私個人の経験からすると、不真面目な学生であった私はできておりませんでした。

そして、その学びは、先進的なものであればあるほどに、教科書中心の座学授業の中では決して学ぶことができない、臨床による技術的なものや、それに基づく評価であったりします。

それは、国家試験を念頭に置いたものではない、日々の臨床、実践を念頭に置いたものだからです。

作業療法に正解はありません。現在地点が人それぞれで、ゴールも人それぞれだからです。

かつての正解が、状況によっては不正解になることもありえます。

そのことを、経験値として知っている作業療法士ほど、OTSに対して、将来の臨床家として、今現在の最善をつくすことを求めますし、実習とはそのようにするべき場所だと思っています。

だからこそ、臨床家として、実習態度がどうのこうの言うわけです。

それが臨床の結果に直結することを、経験則として痛いほどわかっているからです。

つまり、作業療法士:OTR目線での実習とは、

「実習中の事象から、素直に考えて、行動すること」

だと感じていると思います。

自分はそう感じるようになってきています。

このギャップ 「ヤバい」

実習の指導は、OTSとスーパーバイザーであるOTRの間の事象なので、目指すべき場所が共有できてないとこじれます。

作業療法士の側としては、自分の目線から、上記のような学生の実習への取り組み方を見ていると、

「なにしにきたの」

となるわけで、それを学生に伝えます。

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言われたOTSは、なんで自分がそんなことを言われるのかも、わけがわからず、萎縮してしまい、その結果としてスーパーバイザーが求める実習態度から乖離していき、その度に「なにしにきたんですか」といわれるという悪循環が生じてしまいます。

その結果として、実習中の表出が制限され、なにもかわらないままに実習終了、お疲れ様でした、となるわけです。

自分の理解としてはこういうパターンは少なくないと思ってますし、間違ってないと思います。

作業療法士としての仕事時間のほんとうに貴重な時間の一部をボランティアの実習指導に費やして何も学生が成長しないままに実習終了するとか、本当に悪夢でしかないのですが、少なくないと思います。

正直、やばいなーとおもいます。

やばいなーと思いませんか。

では何でこういうことがおきるのかというと、上記を踏まえるとOTSとOTRの双方に要素がありそうです。

作業療法士の労力に見合った分、学生がたくさん学んで、成長して帰るようにするには、どうしたらよいでしょうか。

OTSは、自分の将来像を考えると幸せになれる

いろいろあるけれど、たとえば。

実習に来る前に、どんな職場働きたいのかは、なんとなくでも決めておくことです。

べつに後で変更したってかまわないので、自分はどんな領域のどんな場所で働きたいのか、それを明確にしてそれをスーパーバイザーであるOTRに伝えることです。

そして、そこで働くためには、自分はどんなことが必要と考えているので、どんな学びをその実習で得て帰りたいかということまで明確にできると、将来の自分のために動けるので、多少能動的になれるかもしれません。

自分なりに、自分自身について、実習に行く前に真剣に考えておくことが、実習前に行う準備として必要だったのかなと思います。

自分の将来像について、明確にできるといろいろ幸せになれそうな気がします。

作業療法士が学生時代の自分の体験(忘れたい?)を思い出す

本当に真剣に取り組んでる作業療法士ほど、日々の臨床がとんでもなく忙しいので、かつての自分を振り返る機会なんてありません。

今の自分の感覚や感性を基にして学生と関わるので、上記のような問題が発生するのではないでしょうか。

過去の自分を思い出してゾッとすると、目の前の学生が少しは可愛く見えるかもしれません。

いち作業療法士として学生目線をいつか忘れる恐怖

個人的な感覚ですが。

学生のことがいつかわからなくなるのが怖いです。

そのリスクは、自分が作業療法士として経験を重ね、成長するほどに高まるものだと思います。

学生のことがわからない作業療法士は、その学生の3年後を見据えた効率のよい指導や助言ができないのではないかと考えています。

後進育成のへたくそな作業療法士にはなりたくないので、いつか自分が今の自分の感覚だけに頼りすぎることが非常に恐ろしいです。

謙虚に

自分のことは棚に上げないと指導ができない場面は、確かにあります。

だからといって、それが行き過ぎて、かつての学生時代の自分の不出来と乖離したような実習目標を学生に負わせるのは、あまりにも雑な指導だなと、自分と学生とのかかわりを通じて思います。

養成校側から、よく言われる

「学生を患者様だと思って指導してください」

というのは、

「患者様に関わるときと同じくらい謙虚な気持ちで」

と自分なりに読み替えることにして、学生の成長を自分の糧にもできたら、自分はより良い作業療法士になれるかな、と考えています。

そうしておけば、学生にも謙虚になーれ、と指導しやすいです。気持ち的に。

互いを知れば「ヤバさ」は軽減できる

認知症の方への介入は、相互理解の促進にありますよね。

OTRとOTSの関係も同じではないかと思うので、この記事を書きました。

すこしでも「ヤバさ」が軽減されれば幸いです。

やり取りがしたい

こんな独善的な文章を読んでくださり、ありがとうございました。

よんでくださっている皆さんは、なにかしらおもところがあるはずです。

なにか気になる点がありましたら、LINE@をやってるので、そちらでメッセージ飛ばしていただければ、私自身の学びになりますので、よろしくお願い存じ上げます。

作業療法.netのLINE@アカウントはこちら

特に学生諸君の等身大の意見があると非常にうれしいです。

わからなさや不安があれば、質問していただければ、答えられる範囲でクローズドにやりとりします。

年取ると頭が固くなるな、と感じる今日この頃です。よろしくおねがいします。

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日本作業療法士連盟は、「このハゲー」の豊田議員を応援していたそうです。

事実です。まあ、与太話というか、昼のワイドショー並みには誰も気にしていない話かもしれませんけれど。

日本作業療法士連盟のブログで読めます。

http://ot-renmei.sblo.jp/article/180693508.html

でっていう話なのですが、妄想が膨らんだので記事にします。

作業療法士連盟とは

そもそも、日本作業療法士協会と混同してもつまらないので、日本作業療法士連盟ってどんなだんたいなのってところから。

いわゆる「政治団体」「圧力団体」というやつです。

政治に積極的に働きかけて、作業療法を盛り上げるというお仕事をしてくださっております。

いや、ほんとによくモチベーションをもってやってくださってるなあと思います。

作業療法と政治力

ぶっちゃけ作業療法界隈の政治力なんて、ないに等しいです。たぶん。

というのが、作業療法士の数って少ないのですよね。

看護とか、PTとかに比べると。

そして、人材の質も高くない。経済力的な意味で。

医師や弁護士と比べると。

そういうバックグラウンドの中で政治に接触するのは、相当メンタルが強くないとできないのですごいなあと常々思うしだいです。なかなか政治家さんたち、票田から相手にするので、相手にしてくれないので。政治献金がしょぼいと相手にしてくれないので。

ということで、今後も作業療法の政治力が劇的に強まる未来はありえないと個人的にはおもっているので、日夜作業療法士の政治力強化のために尽力されている先生方には頭が上がりません。

決して、でこが禿げ上がってるからとか、顔を上げたら禿がばれるからとか、そういうわけではありません。

断じて。

作業療法士連盟の戦略

となると、政治団体なので勢力・影響力を強化・維持することが存在意義になるのですが、票田としても献金力もたいしたことないとなると、取れる戦略はその他の何かということになります。

青田買い

まずあるのが、青田買い。

早めに才能を見出す力があるかどうかですね。

才能があって、これから伸びそうだなーという人に早期に接触して、恩を売っておく。

結構有効だと思います。

人を見抜く力があれば、低コストで投資して、あとから大きなリターンが得られますから、有効ですよね。

作業療法士が経済力をつける

診療報酬の内側でがんばるだけだと限界があるので、企業する作業療法士が増える必要がありますけれどね。

作業療法士の数というか、他業界団体と比較したときの割合がそんなに増えるわけもないので、献金力を磨くしかないような気がします。

政治家を輩出する

作業療法士として、非常に優秀な人って大体政治力も一流です。

結果として。

臨床でいろいろやって自分を磨くうちに、その結果として政治力が勝手に身についているという感じ。

いわゆるたたき上げの、田中角栄タイプ。

そういう人を見出して、きちんとフォローバックアップして、政治家として育成するというは、以外と早道かもしれません。本人には、欲求がないし、汚れ役は誰かがや必要がありますけれど。

この方法をとるなら、作業療法界隈でお金がうなるほどあるという企業家さんがたくさん生まれる必要があるって言う点ではやっぱり代わりがないのです。

豊田議員の話

「このはげー」の人の経歴を見ると、厚生労働所とかのキャリアなんでしたっけ?

興味があんまりないので忘れました。

で、福祉・医療畑に精通しているんじゃないか、しかもそこそこ若手でこれからが期待できるという意味で青田買いだったのかもしれません。

日本作業療法士連盟としては、応援しておったそうです。

日本作業療法士連盟は、これまで氏の政治パーティに積極的に支援し、応援してきた。それは、氏の経歴が厚生労働省老人保健局に在籍していたことや「リハビリテーションを考える議員連盟」の事務局次長の任にあり、私たちの職種への理解者と考えたからである。

OT協会誌2017年8月号掲載 連盟便りより【倫理的文化を育む】 より

支援の根拠としては悪くないですよね。

しかし、豊田議員は問題を起こしてしまいました。

それに対して、連盟としてはこういう姿勢のようです。

氏の教育歴・学歴は実に輝かしい。
しかし、今回の出来事は、氏の知・情・意のバランスを40数年のこれまでの生活期間に整えることができなかったということなのだろう。私は、日本作業療法士連盟会長として、氏を私たちの理解者と考え、氏の政治パーティに複数回出席してきた。現時点で、連盟の公のお金を氏の政治活動のために供与したことを悔やむ。連盟会員の皆さんに、私の理解者選びの判断の誤りを深くお詫びする。

OT協会誌2017年8月号掲載 連盟便りより【倫理的文化を育む】 より

悔やむそうです。

残念。青田買いはやめるそうです。

最後には、見限りましたの意でしょうか。こんなこともかかれてありました。

さて、政治家が政治資金を集めるために開催する政治パーティは講演付と講演が付かないタイプがある。講演が付かないタイプは、派閥の重鎮や議員たちが代わる代わる壇上に登り、パーティ主催者の業績等を褒め上げる挨拶が繰り返されるものである。一方で講演付のパーティは自身が講演する場合もあるが、大抵の場合はテーマに関する専門家を呼び、弁当付きで話を聴かせてくれるものである。私のこれまでの経験では、専門家の話を聴く後者の方が、質問が許される場合もあり、学べるという印象がある。政治パーティは全て後者のようにしてほしいとずっと思っている。因みに豊田真由子氏の政治パーティは代わる代わる議員たちがお互いに褒め合う挨拶会のタイプであった。

OT協会誌2017年8月号掲載 連盟便りより【倫理的文化を育む】 より

残念。

政治って、ダーティーさというか狡猾さというか、粘り強さがないと、結局何も実現しないのですよ。

よほど勢いがあるときを除いてね。

そして、豊田議員に恩を売るなら今こそがチャンスだったのではないかと思うのですよ。

こんな感じで豊田議員を公然と支援する手もあったはずです。

「このたび明るみとなった豊田議員の言動・行為は断じて受け入れられるものではなく、当連盟としてははっきりと嫌悪感を表明せざるを得ない。しかし、氏の能力・手腕を当連盟としては非常に高く評価し、実際に政治パーティーなどで支援を行ってきた。

今回の事件が発覚して以降も、氏の能力や手腕への信頼はゆるぎない。氏が今後、人間的に成長しますます活躍されることを信じて、今後も連盟としては積極的に氏への協力関係を貫く」

とかね。

恩を売るってそういうことじゃないの。政治に必要な恩の売り方としてはね。

そうすりゃ、少ない金額でも、大きなインパクトを残すことができたかもしれない。

実際優秀な人なんだろうことは間違いないんだから、ちゃんとフォローを継続すればよかった。

「作業療法士がとばっちりを食うかもしれない」

というご心配にはあたらない。日本作業療法士連盟という組織をいったい何人が知っているだろうかしら?

きっとほとんどの人はしらない。特に一般の人たちは。

そして、たとえテレビでそのことが取り上げられて炎上したとして、上記のような表現での支援になんら後ろめたいころはないし、むしろメディアで拡散されることによる知名度向上のメリットのほうが大きかった。

残念ながら、日本作業療法士連盟はそういう規模の団体である。

だから、継続フォローを表明しておけばよかった。

組織として、ぶれない姿勢を示して、きちんと求心力を維持すればよかった。

という妄想が出てきたので、広告の裏にでも書いて置けばよかったのですが。

作業療法士の政治力とは

最後に真の政治力、超一流の政治力とは、自分のキャラクター自分のブランド、看板で戦える人たちである。

そういうのがない人々は組織にたよる。

どういう組織に頼るかというと、一人にお願いしたら、漏れなくたくさんの人が動く組織である。

それは、ワンマン経営者の企業だったり、強いリーダーのいる組織である。

そういう組織は、票田として効率がいいので政治家から相手にしてもらいやすい。

まあ、いち作業療法士にとり、あんまり縁のない話で、せいぜい将来起業の可能性も考えとかんといかんのかなあなんて思う、そんな話題でございました。

せいぜい「このハゲー」とののしられることの無いよう、世間の動きはおいといて、人として、作業療法士として大事にするべきことを大事にした臨床を心がけていきたいと思います。

もし、作業療法士が今よりも政治力を獲得するとして、一番最良のストーリーは法律や制度やお金に由来しない、技術や人格指導力などの社会的な影響力を作業療法士ひとりひとりが強固かつフレキシブルな政治力としてもつことで、作業療法士の総和としての政治力が向上することでしょうか。

つねづねそう思ってるので、とりあえず、凡人なりに臨床がんばろうと思います。

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実習について、実習終わった人と話をしましてからの話。

はじめに

本年度養成校を卒業される方々は、そろそろ長期実習が全て実習が終わる人が多くを占める時期かと思います。

最近、そんな今年実習おわった人話しをする機会がありました。

彼と話をしまして、自分自信が実習経験者ですのでいろいろと思うところもありました。

これから、実習にむけてがんばっていくことになる後輩君にとって役に立つ内容になるかどうかはわかりませんが、正直に思うところを書いてみたいと思います。

「運次第」な現状

結構話をしていてひろえもんが感じたのは、やっぱり実習先のあう・合わないって運次第なんだなあということです。

同じ学生が実習に行ったとしても、ある実習先によってはうまく行き、ある実習先によっては実習終了になるということは、割とあるようです。

本人の特性上の問題と、実習先の環境特性の双方によるところかとはおもいますが、運の要素もかなり高いなあと思っています。

安定的に作業療法士を養成するという観点からするとあまり望ましい事ではないなあと感じました。

実習時の経験は使える

養成校では、作業療法士になるためにいろいろな勉強をします。

ひろえもんもしてやした。

当たり前ですがいま、OTRとして働いている人々はすべからく、そのような勉強を経て働いています。

その勉強についてです。

ひろえもんは「座学で2年間学ぶよりも、数ヶ月の実習での経験の方が、日常の業務で使えるなあ」という実感をしてます。

座学も全くの無駄という訳ではないですが、長期実習の時に学んだ事がダイレクトに役に立っているなあと感じています。

無駄が少ないと言ったらいいのでしょうか?

んー。

なんと言えばいいのか。

どちらかといえば、言葉で学んだイメージよりも、具体的に経験したイメージのほうが、自分の行動を決断するときの材料にしやすいといえば、意味がストレートに伝わるでしょうか。

書籍に書いてあることを理解する際にも、実際の経験が先にある方が役に立つような気がしています。

実習と座学の順番は逆の方がラク?

実習に出るまでに、座学で学べるだけ学んでから出て行くのが現在のやり方です。

が、座学での学習コストは、実習してからの方が低くてすむような気がします。

理由は先にも述べたように、実習の経験を元にして書籍の理解を進める方がわかりやすいからです。

自分の同級生でも、国家試験の勉強をするときに、精神科の実習に行っていない人たちにとって精神疾患分野の勉強は相当手こずる感じでした。

一方、精神障害分野での実習経験がある人たちは、そんなに詰め込み勉強をしなくても直感的に問題を解く事が出来るという人が多かったです。

こんな経験から、やっぱりその分野についての症例をみる事が出来ていたり、実習として経験している事は、座学の学習効率を大幅アップさせるんだろうなとおもっています。

行ける場所が少ない

実習生にとって、実質失敗できない実習というのは非常に大きなプレッシャーになっていると思います。

ひろえもん自身「失敗したら、来年もういちどかあー」という、プレッシャーにやられそうになる事が実習中ありました。

実習中、学生自身の落ち度で実習中止になるのはある程度仕方の無い事なのかなあと思います。

しかし、現実にはとんでもない実習先もあります。

裁判沙汰にもなっています。

そのような場所に運悪くあたってしまうと、実習終了、もしくはその実習は勉強の場というよりも、苦行に耐える場所になってしまいます。

そうではなく、もしも実習先が6個くらいあって、それらの平均で実習の合否が決まるのであれば、より本人の実力が反映された合否結果が出るのではないかと思います。

加えて、学生の時点で視野を広げる意味でも、いろいろな場所で実習できる方がいいのではないかなあと感じています。

それは、就職先を考えるときにも役に立つはずですから。

実習の形の提案

総合するとこんなやり方が、実習生にはラクじゃないかなあと思っています。

いろいろ勘案すると、という意味でです。

色々欠点問題はありますが、上記の二つを改善する案のような何かです。

  1. 入学後、実習先でやる事や具体的な動き方について座学で勉強。
  2. 1週間程度 実習地で雑用業務
  3. みてきた事や経験した事について、レポート作成
  4. 今後学ぶべき事とその学習方法についての検討
  5. 基本的な業務ルーティーンについて、書籍と教授からお勉強
  6. 評価実習(3週間)
  7. レポート作成
  8. 長期実習(1ヶ月)を6カ所

非常に実習を重視した感じです。

OTSにとってのメリット・デメリット

メリット

①実習する施設が増えるので色々な所をみる事が出来る。

②変な実習施設にあたっても他の実習施設で挽回できる。

③卒業するまでには、それなりに即戦力

④実践的内容に即して、自分で学びを完成する能力が身に付く

デメリット

①座学をしてる時間がほとんどない

②体力面での負担が激増

③金銭面での負担が激増

④向いてない人は資格取得できる可能性が激減

結構金銭的なコストが現実的に大きな問題なんだろうなと思います。

すむところとか、食費とか、もともとすんでいたところの家賃だとか含めると結構な額が必要になりますものね…。

おわりに

実習の経験は、OTSのその後のキャリアプランニングに非常に大きな影響を与えるモノだと思います。

優秀な人材がその優秀さを発揮できるようなシステムが出来たらいいですよね。

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ほぼ毎朝利用しているセブンイレブンのオーナーっぽいひとに話しかけられた話とそこから学んだこと。

はじめに

人と人の関係性が日常生活の行動の積み重ねで作られるんだという例から、いろいろ考えたです。

毎朝よってる

皆さんは、セブンイレブンに最近ドリップコーヒーを提供するサービスが始まったことをご存知でしょう。

ひろえもんは、無類のコーヒー好きでして、まずいコーヒーはできるならば呑みたくない人なのです。

それなりにこだわりがあるので、できる事なら、出勤前に自分の家でコーヒーを淹れて、呑んで来れるのがベストなんですが、時間の都合上、自分でコーヒードリッパーからカップから洗う時間もおっくうでなかなかソレができない事が多いです。

で、コーヒー呑めないで出勤することがふえていたのです。

が、そんなおりにふと、セブンイレブンの、あの氷入りのコーヒーカップかって、機械にセットして呑むやつを試してみたら、これが案外おいしくて、「ああ、のめるじゃん」となりまして。

最近では、自分で淹れる事はめっきりと減りまして、出勤まえにセブンイレブンによって、アイスコーヒードリップしていく事が多いです。

最近あついので、気分をすっきりさせたくて、コーヒーががっつりと呑みたくて、Lサイズの氷を買って、ドリップしております。

この商品、物流とか、人件費とか、諸々考えてみても、どうかんがえてもぼったくりですが、手間の割においしいコーヒーが飲めるので、ついつい利用してしまいます。

こうして人間は怠惰になっていくんですね。

閑話休題

さて、そんな毎日利用するセブンイレブンの店員さんにふと話しかけられました。

店員さんの一言

その店員さんは、唐突にこんな風におっしゃりました。

「コーヒー好きなんですね」

一瞬「え?」と思いました。

「なぜ、ばれた。」

内心こんな事を思わなかったといえば嘘になるのでしょうか。

すると、そのひろえもんのΣ( ̄□ ̄;)という表情を見て、

「いつも大きい方を買われるので」

と、補足が入りました。

人間関係が変化するとき

店員さんとひろえもんの関係性を表す上で、もっともシンプルな図式はなんでしょうか。

それは、客と店員という立場に成ると思います。

コンビニというのは、非常に手軽に買い物ができる場所で、ありとあらゆる煩わしいと感じるよう名部分が簡略化されています。当然、接客マナーについてもマニュアルが存在していて、対応を画一化させる事によってある意味でシンプルにしています。

しかし、今日のやり取りは、そういったシンプルな図式に当て込めるような、単なる客と店員という関係を超えた物であると自分はそのときに思いました。

つまり、ひろえもんが、「単なる客」から「常連客」という存在になった瞬間だと感じました。

いや、事実としては、その前からひろえもんはたしかに、その店の常連客であることは間違いないのですが、今日のやり取りは、店の取り仕切りをしている人間から、そのお墨付きをもらうような物で、つまり、「あなたは常連客ですよ」という認定をされたような物だとおもいました。

また、「いつも大きい方を頼まれる」という事実を指摘した事は、同時に「あなたの事を見ていますよ」というメッセージを発している物でもあると思います。

これが、何を意味しているかというと、オーナーさんはひろえもんのことを「単なる買い物客」ではなく、「ひとりの人」として見ていたという事です。

ひろえもんという人間個人に興味を持たないのであれば、買い物客が何を買おうと知ったことではないと思います。

此れに対して、「商売をするためには、その人個人をみることが必要だ」という意見を抱かれる方もおられるかもしれません。あくまで、商売的な観点に立って必要な事だから、顧客が何を買っているのか覚えていたのではないかという人もいるのではないかと思うのです。

しかし、それであれば、個別の客に関心を寄せる必要性は、実は全くありません。POSシステムがあり、それによって蓄積されたビッグデータがあり、それを運用するための統計ソフトやデータサイエンティストが存在する昨今、セブンイレブンのような大規模な商業組織においては、個々の客の関心なんて全く売り上げにはつながらないのですから。

つまり、オーナーは何の金銭的メリットも無いにも関わらず、ひろえもんという人間に関心を寄せ、その嗜好を推測し、理解しようとしたのではないでしょうか。

ちなみに、そんな、オーナーの態度をひろえもんは好ましい物として受け取りました。

難しいことでなく、自分を人間として見てもらえたことが単純に嬉しいと感じました。

画一的な関係性に囚われるべきではない

今の世の中でヒットするプロダクト(商品)のテーマとして、シンプルということがあげられることが多いと思います。

シンプルなものには、必然余計な物が含まれないということになります。

すると、ついつい余計な物を増やさないようにしようとして、さまざまなアクションやアプローチが消極的になってしまいがちではないでしょうか。

シンプルなものが良いというのは、一つの価値観として素敵だと思います。

しかし、世の中、そんなにシンプルでは無いですし、きっとシンプルな物ばかりの世界はきっとつまらない物なのではないかと思います。

特に、対人間の関係性については、その事を強く肝に銘じておく必要があるなあとおもいます。それは、普段の作業療法士として働く中で、とてもとても強く思う事でもあります。

人間は、ひとりひとりにいろいろな面があって、そのいろいろな面の一つが、行動になって現れています。

人と人の関係性にしても、客と店員という関係性だからといって、そこに固執しないと行けない訳ではな無いと思うのです。

この事は、作業療法士と患者様についてもきっと同じ事なのではないでしょうか。

つまり、作業療法士と患者様という関係性は、決してそこに固執するべき物ではないですし、そこから新しい関係性を模索し、抽象的で一般的な関係性から、より具体的で詳細に分化した関係性を構築する事ができたらいいのではないかと思うのです。

そしてその中で、人間と人間という関係性がうまく気付けたなら、「私はあなたを一人のひととしてみていますよ」ということを相手に伝える事ができたなら、きっとその相手は非常に喜んでくださるのではないかと思うのです。

今日の、ひろえもんのように。

おわりに

作業療法士という仕事は、接客業ですよ、というのはいろいろな先輩OTRからもいわれている事です。一般の接客業から、学べる事はとてもとても多いと思います。

末端で具体的に働く人間でもある訳ですが、その業務をシンプルにし、業務効率を向上させる事が、経営者から求められる事もあるでしょう。

自分が大切にしたい事がなになのか、此れをしっかりと見失わないようにしたい物だと思います。

蛇足ですが、いつも人に見られているという事をしっかりと意識して行動していかないといけないなとも、改めて思いました。

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日常のコミュニケーションを誠実に行う事がセラピストとして有るための重要な基礎になると改めて気がついた

はじめに

働き始めてはや、4ヶ月が経過しました。

4ヶ月を早いと感じる人も、そうでないと感じる方もおられると思いますが、自分は早いと感じました。

いろいろと感じる事がありすぎて、混乱する事もしばしばなのですが、だからこそ、最近思う事がありますので、それについて言葉にしてみたいと思います。

まとまりなく、長々と書いてますが、よろしければ、ご意見いただけると嬉しく思います。

やっぱり、「周囲」はとても大切

自分が働いている現場の話になってしまうので、一般化はできないかもしれませんが、現在自分が勉強している精神科および老年期作業療法のアプローチにおいては、「その人らしさ」というものをその人の今までの人生経験、人生の文脈でとらえています。

たとえば、作業療法の対象となるような患者様がいたとして、作業療法を提供するためには、情報を収集する事が欠かせません。それは、その人に関するさまざまな情報であり、現病歴、身長、体重、性別、家族構成、生育歴、学歴、職歴、生活歴、といったさまざまなストーリーがとても重要な情報になります。仕事や、家庭での生活の中で、その人が行ってきていた役割はいったいどのようなものがあるのかなどの情報をどんどん集めていきます。そして、そのようにして集めたバラバラの情報を一つ一つを線で結んでいって、その人はどんな人なのかについてのイメージを膨らませていきます。

この行程は、自分にとってはまだまだ「大変だなあ」に感じるものでありますが、同時にその人の主観にたち、寄り添うためにとても必要なことだなあと感じます。

集める情報は、ストーリーに関するものばかりではありません。具体的な関わりの中で、その人の現在できる事だったり、している事について着目します。

それは、その人はいま、どんな生活をしているのか、どんな場所でどんな事をしているのか、ある時間にはどのようなことをして過ごしているのか、といったそういう具体的なことを、まず知る事から始まります。そして、今どんな事をしているのか、から、これからどんな事ができそうかという事をある程度予想していきます。(もっとも、この予想は現実と異なることが少なくないのですが)

その次には、その人がこれからどのような事をしていく必要があるのかという必要性を具体的に検討し、その後、その必要性をみたすためにはどのような方法が現実的なのかを考えます。そして、それを実際に行ってみて、その結果を評価し、実施するというプロセスを繰り返します。

以上のようなことは、自分も座学で、学生時代に学んできた事ではありましたが、実際に業務を行いながら具体的な形で感覚に落とし込んでいくという事が、作業療法のプロフェッショナルであるOTRとして働く上で非常に重要だなあと思います。

で、上のように長々と書いて参りましたが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に大切なんじゃないだろうかと、臨床で働くようになってから実感として感じ、おもうことがあります。

それが、患者さん本人の環境となる、周囲の人に関する情報です。

「人間として」の基本には他者との関わりがある

なにも、周囲の人の情報が大切だというのは、特別な事ではなく、むしろ当たり前の事だと思います。

自分自身について思い返したとき、自分自身を規定する物として、周囲の人間との関係性がとても重要な位置を占めるからです。

皆さんもそうではないでしょうか。

「あなたは何者か?」

という問いに対して、周囲の人間やその人との関わりというものは非常に重要な意味を持つのではないでしょうか。

それは、自分自身が生きる事や、そのために行うさまざまな活動が、ただ「生物としての生」を成り立たせるための行為であるという意味性を超えて、他の様々な物との関連性から、自分自身を位置づけ、意味を与えられるものになるために、周囲の人間とその自身との関わりが切っても切れない関係にあるからです。

言葉にすれば面倒ですが、現実はシンプルだと思います。

ある哲学者は、人間は様々な「役」を演じているにすぎないといいました。

母親としての自分、教育者としての自分、後輩としての自分、友人としての自分、子供としての自分…

ひとは様々な側面をもっており、その哲学者は人間のそうした側面を、劇における「役」にたとえたわけです。

そういった「役」は、しばしば、さまざまな人との関係性において、発生します。自然発生する事もあれば、人為的に形成されることもありますが、「役」にはそれが存在する事による何らかの意義が存在します。

そして、その意義は、それを必要とする人や、システムが存在する事によって保証されています。

逆を言えば、他者という存在がなければ、人は、親にも、教師にも、メンターにも、誰かの友人にも、成る事ができないということになります。

つまり、その人の人生が、その人個人を超えた意味性で価値づけられるためには、その周囲にからなず誰かが存在しなければなりません。その存在は、単に物理的に存在するというだけでなく、互いが互いを認識し合い、認め合っているという物である必要があると思います。

「人間として」生きるためにはこのような関連性が、必要不可分です

人と人を結びつける関連性

人は、様々な役割をもち、それにふさわしい行動をとりますし、またとる事が求められます。個々人間の様々な情報を正しく認識し、挨拶をしたり敬意を払ったり、共感したりといった態度が求められます。

この様式は、「推して知るべし」とて、言葉で教えてもらえる物でもありません。その場の状況や、相手の感情を、表情変化や様々な動作などから推察し、読み取り、その場にふさわしい言動をとる事が求められます。

つまり、感覚で学ぶ物で、具体的な関わりの中で経験を積み重ねながら、自分の中に蓄積していくものといえます。

関連性を構築するコミュニケーション

これらに関して、よく『「人間として」大切な事だよね』と職場の先輩方にフィードバックを頂くことがあります。

まさにその通りだと思います。

この関連性を形成するプロセスは、別段作業療法士に独特な物でもなんでもなく、社会的存在としての人間がだれしも日常的に行っていておかしくないものです。ですが、OTRが自分自身を治療的に使おうとするとき、あるいは、ある患者様をその人の周囲の人との人間関係という文脈からとらえようとするとき、このプロセスを普段の日常生活でどれだけ誠実に行っているかということが、大きく反映されるように思います。

いい作業療法を現実にするために

これは、ひろえもんが、実際に職場の先輩方の言動をみたり聞いたりする中であったり、ひろえもんが面白いとか、すごいと思ったOTRの方々の行動などを見ていて、ひしひしと感じる事です。

ひろえもんが「尊敬できるなあ」と思う作業療法士は、単純に作業療法学という文脈においても、すごいんですが、そのすごみの土台となる根本部分は、やっぱり人とどのような関わり方をしているのか、どんなことを意識して人との関わりを思っているのかというところに集約されるんだろうなと思います。

つまり、素敵な作業療法が提供したいのであれば、自分自身を人との関わりの中で具体的にどのように位置づけるのかという、そのリアルがとても大切になるという事だと思います。

そういう能力っていうのは、たとえば、挨拶ひとつにも現れていて、文字にしてしまえば同じ「おはようございます」でも、そういう人がする挨拶っていうのは、相手との関係性だったり関わりだったりから、口調、表情、体の動かし方といったさまざまな要素に意味性が付加され、表現されているものです。

こういった事が自然に、にじみ出るように行えると、きっと良い作業療法が提供できるのだと思います。できるように、日常生活から意識付けしないといかんなあと思う次第です。

おわりに

以上のようなことを最近よく思うのですが、他の人にわかりやすい言葉にできていない時点でまだまだだなあと思います。

でも、ニュアンスが伝われば、それで。

いろいろな関係性を、いい感じで構築するための努力を積み重ねる事が、就職後6ヶ月までの目標としたいとおもいます。

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