2017年 あけましておめでとうございます

どうも、昨年はお世話になりました。

もう仕事が忙しく、更新にぜーんぜん手が回らず、情けないやら、恥ずかしいやらです。
今年は、ちょいちょい更新して、人類発展に寄与できるように、作業療法の未来に貢献していきたいと思ってます。
北海道の学会には行けませんでしたが、今年の学会は行けるかしら。
色々楽しみでもあり、不安な年が幕をあけましておめでとう。
今年もよろしくお願いします!

変形性膝関節症の作業療法の基礎知識概要

精神疾患の方って、薬の影響や生活習慣などで、肥満の方がわりとおられます。

ということで、膝への負担が高く、結果として変形性膝関節を患っておられる方も少なくありません。

昨今、高齢化が進んでますますポピュラーになりつつあるこの疾患について改めて整理して見たいと思います。

変形性膝関節症とは

そもそも変形性膝関節症とは、(変形性関節症:osteoarthrits=OA)は、膝関節を構成する組織に慢性の退行性変化と増殖性変化が起こり、関節の形態が変形してしまう疾患です。

簡単に言うと、関節の構造が変化して、問題が起こる疾患です。

ということで、膝関節の正確な解剖学の知識が必要になりますね。

膝関節の構造

膝関節は、骨・軟骨・筋肉・靭帯・その他から成り立ちます。

膝関節を構成する骨は、大腿骨、脛骨、腓骨、膝蓋骨です。

軟骨

半月板があります。

筋肉

・大腿四頭筋(だいたいしとうきん)
太ももの表側の筋肉群。大腿直筋(だいたいちょくきん)、外側広筋(がいそくこうきん)、中間広筋(ちゅうかんこうきん)、内側広筋(ないそくこうきん)の4つの筋肉の総称で、主に膝を伸ばす働きをする

・ハムストリングス
太ももの裏側の筋肉群。半腱様筋(はんけんようきん)、半膜様筋(はんまくようきん)、大腿二頭筋(だいたいにとうきん)の3つの筋肉の総称で、主に膝を曲げる働きをする

・腓腹筋(ひふくきん)
ふくらはぎの筋肉。膝の裏側で大腿骨とつながっている。つま先を上げるように足首を曲げる働きをする

・膝窩筋(しつかきん)
膝の裏側にある小さな筋肉で、大腿骨の外側と脛骨の内側を結んでいる。膝の後方外側の安定性を守り、膝関節を伸ばしたり、内側から外側にひねる(内旋(ないせん))機能をもつ

靭帯

膝関節を構成する靭帯は、

  1. 外側側副靭帯(がいそくそくふくじんたい)
  2. 内側側副靭帯(ないそくそくふくじんたい)
  3. 前十字靭帯(ぜんじゅうじじんたい)
  4. 後十字靭帯(こうじゅうじじんたい)

の4つがあります。

組織

半月板(はんげつばん)
ひざ関節の左右に1対ずつある三日月状の軟骨組織で、それぞれ外側半月板(がいそくはんげつばん)、内側半月板(ないそくはんげつばん)という。半月板の上部は凹の形をしており、凸の形をした大腿骨の先端と合致する受け皿のようになっている。膝関節を安定させる働きと、ジャンプした時などの膝への衝撃をやわらげるクッションの役割をもつ

・軟骨(なんこつ)
関節を構成している骨の表面(先端)をおおう4~5mmほどのツルツルしたクッション材。コラーゲンが主成分でスポンジのような構造をしている。軟らかく弾力性があり、骨と骨が直接ぶつかるのを防ぎ、関節のスムーズな曲げ伸ばしを実現している。関節軟骨に圧力が加わると潤滑液がしみ出し、圧力が減ると関節液が吸い取られ関節液中の栄養が軟骨に補給される

・関節包(かんせつほう)・滑膜(かつまく)・関節液
「関節包」は関節を包む袋状の組織。その中には透明で粘り気のある「関節液」が入っている。
関節包の内側(関節腔)には滑膜という組織があり、関節液を分泌して関節の動きを滑らかにする。また、滑膜は関節の軟骨に栄養を供給する。関節液(滑液(かつえき))はヒアルロン酸を主成分とする液体で、その量は数ccと微量だが、関節がなめらかに動くための潤滑油として重要な役割を果たす

膝関節の分類

膝関節は細かく、「」と「」に分類されます。

変形性膝関節症の分類

  • 膝蓋大腿型
  • 混合型
  • 内側型
  • 外側型

という、損傷部位に基づく分類と

原因がわかっているかどうか(一次性:原因不明、二次性:外傷や、炎症)による分類があります。

患者さんや利用者さんに向き合うということ

相手を中心にするという、パーソンセンタードケアの考え方が認知症の分野を中心に一般的になりつつあります。

一方で、実践はまだまだ、一般的ではないといった印象です。
できることなら、みんなが当たり前のようにパーソンセンタードケアができたら素敵なのですが、そうできないのは、やっぱりケアを提供する側の気持ちがネックなんだと思います。
相手に巻き込まれてストレスフルな状況になるというところも大きいように思います。
ケアをする側の人間としては、きちんとリフレッシュして、自分の中のバランスをとることが必要になると思います。
というところを踏まえて、今日もいち作業療法士として頑張りたいと思います。

第49回 日本作業療法学会の反省

結構おもしろい演題とか、たくさんあり、非常に刺激的でした。

傾向として、人が集まってたのは認知症系の演題でした。

やっぱり、身体障害領域も精神障害領域も地域も、認知症の問題は非常に今危機感を覚えている人が多いんだなあという印象です。

認知症になる人が増えるだけでなく、働き手が減少する中で高齢者が増えることによって、必要な作業療法士の数が相対的に減少していくという話を聞いて「大変なことがおきるな」と思いました。

作業療法は今後、プレミアムなものになっていくか、もしくは(経済的な効用という意味で)だれからも必要とされないものになっていくか、どちらか一つだろうなと感じました。

作業療法士が、自分自身の持つスキルをうまく表現できることもこれから必須になっていくんだとも感じました。

臨床家だから研究をしないとか、逆に理論家だから臨床しないとかではなくて、その両方をきちんと修めて前に進んでいかなければならないし、質的研究から逃げてはいけないということも強く感じました。

精神障害と社会規範の関係性 ー 果たしてストレングスモデルは根付くか?

精神科作業療法士として、対象となる人と関わる内に、その人が社会にでて暮らせるかどうかは、結局許容範囲の問題だと思うようになりました。

これが、現在の個人的結論です。

つまるところ、どれだけ症状が重かろうと自宅に帰る人はいるし、精神症状が軽いわりに何十年も病院で生活してきて今に至るひともたくさんおられます。

こういった事例からもわかるように、精神障害者の社会復帰に関する大きなポイントとして、受け入れ先が存在するかどうかということが挙げられます。

受け入れ先となるのは多くの場合血縁者ですので、血縁者に負担やしわ寄せがいっているという見方もできなくはありません。

こういった状況を変更することを試みるのであれば、家族以外のひとが①精神障害者の方々にもっと積極的に関わって彼らを社会の規範に沿った生活ができるようにサポートする②社会規範の方を変更して今の状態でも精神障害をもつ方々が生活できるようにする。の2つに一つです。

大概そうだと思うのですが、レベルが高く洗練された社会規範を持ったコミュニティーは、社会的に地位を持っていたり資産を持っていたり、あるいは重要な仕事を任されるような非常に能力の高い人々の集まりだったりします。

そして、彼らは人間集団の組織の意思決定を担う存在と重なる可能性が非常に高いです。

まあ鶏が先が卵が先かという話ではありますが、社会としてはそういったクラスの規範を模倣する傾向がありますので、それが一般化すると障害のために社会規範の枠内で生活することが困難な人々は入院を継続せざるを得ない状況が続くことになります。

成功よりも失敗から学べることのほうが大切な理由

あなたは、うまく行っている人と、失敗ばかりしている人の話のどちらを聞きたいでしょうか。

ひろえもん調べでは、おしなべて成功した人やうまくいっている人から話を聞きたい人が多いのではないかとおもいます。

例えば、講演会に呼ばれるのは、失敗した人ではなくて成功した人です。

よね。

でも、ちょっと待って下さい。

人生における「成功」と「失敗」の割合ってどちらが多いでしょうか?

自分自身が未熟だったり、先行事例がないことがらにおいては、失敗の割合の方が多いはずです。

また、新入社員だけでなく、中堅やベテランになっていくに従って、コレまでの経験などから手探りで新規開拓していくことが重要になることは増えていくとおもわれます。

多分、既に成功している分野について、そこを何度も確認するよりも、未だ成功を見ない領域に関する失敗から、成功の確率を向上させることのほうが意義深いのではないでしょうか。

 特に、作業療法士は、対象者に挑戦を促し、変化を生み出すことが仕事な訳です。

だからこそ、失敗から成功のタネを拾えることにはとても大きな意味があると思います。

 

そのためには、自分自身が常に挑戦的な環境に身を置いておくこと、挑み続けることがとても大切なのではないかとおもうのです。

学生時代を振り返って、学生が持ってる職場環境などの情報について思うこと

あくまで、ひろえもんの個人的な視点ではありますが。

ひろえもんは、あんまり縦のつながりを学生時代には重視しておりませんでしたので、先輩を通じて職場の情報を集めるなどという視点が毛頭ございませんでした。

要するに、大変残念な学生でした。

人に尋ねるのはめんどくさいと思ったので、インターネットを検索してみて、情報を集められるだけ集めたのですが、今と違って作業療法に関するサイトは、どこもあんまり充実してませんでした。

書籍も、自分が出会ったものの中には、めあたらしい物が余りなく、ぶっちゃけ就職後を考える上ではあんまり参考になりませんでした。

それでもいくつかさんこうになったものはあって、たとえば、神奈川県作業療法士協会のホームページが、なんとなくいいなーとおもったのは覚えております。その当時、それ以外の県士会のサイトをみると、「情報公開がいまひとつ」でした。

学生のくせに、なんとも、偉そうですよね。現在は、リニューアルされているサイトも増えているようです。

なんで、「OT業界は、当時情報開示がいまい一つ」と感じたのでしょうか?

それは、当時は、作業療法士の仕事の忙しさなんて、これっぽっちも見えてやしなかったからだとおもいます。

「なんでもっと発信していかないんだろう」なんどと考えて、自分もこのサイトを学生時代に作ったのですが、さもありなん、あんまり本腰をいれて充実出来ていないのが現状です。

まったくもって嘆かわしい限りではありますし、学生時代の自分がみたら、きっと厳しい言葉を投げかけられそうな気がしております。

そうなんです、作業療法士の仕事は意外と大変なんです(実感として。)

とはいえ、裏を返せば、作業療法士の職場にかんする具体的な情報が、簡単に手軽に手に入らないことに対する不満が、学生時代にはあったのだとおもいます。

簡単にというのは、要するに、たとえば、書籍やインターネットなどをみれば、業務の良いところも悪いところもありのままを知ることが出来る的なそういうやつです。

自分にとって都合のよい情報源と言えば良いのでしょうか。

そういうものが無いのを嘆く気持ちでいっぱいでした。

今思えば、甘えなのかもしれませんが。

しかし、自分より後輩の世代にはそういうコが比較的多いように思います。

聞きたいこととか、知りたいことはあるんだけれども、面と向かって尋ねることが出来ない、っていう。

そんな感じは、母校を尋ねたりしたときに感じたりします。

だからもう、それはそれとして、前提として織り込んだ上で、彼らに情報を伝えられるような仕組みが在ったら良いのかなあと、元いち作業療法士養成過程の学生だった自分としては思うのです。

たとえば、学ぶべき内容の優先順位とか、就職後の各領域の様子とか。

「そういう内容について、知りたいけどそこまで労力かけたくない(ぶっちゃけ遊びたい)」という学生諸君に、きちんと届けられるような、情報のインフラを作っていかねばならんのかなあと最近強く思うようになりました。

先生が熱心な養成校であれば話は別だと思いますが、社会情勢とかを織り込んだ上で、今後の作業療法業界がどんな方向を目指しているのかについての発信を行っていくことが、時代に合わせた変化と言うか必要なことなんだろうなと思います。

そうして、情報をうけとってくれる学生さんの何割かでもが、いつか自分から情報を発信する側に回ってもらえたら、今は単純に情報が自分のところに落ちてくるのを待っているだけでもいいのかなとも思います。

ただまあ、就職後の視点からいえば、やっぱり自分で人から直接話を聞くのが、一番いいなあと思いますけれどね。

今後、社会から要求されるのは、そういう能力ですし。

それから、やっぱりネットとか本とかに書くことができるのは、書いても差し障りの無い内容だけですしね。

本当に面白い話が聞きたいのであれば、例えばリハビリテーション科の主任クラスとか、県士会長とか、日本作業療法士協会の理事さんとかと、食事にいったりするといいと思います。

今の、ひろえもん個人的には、厚生労働省の人といつか飲んでみたいですね。

獲得に対する意欲をどの程度準備、あるいは引き出せるか?

はじめに

子供を塾に行かせたとして、たいてい親の期待を裏切るのは子供達が積極的に知りたいとか、モノにしたいとか思っていないからです。
作業療法として、何かを対象者と一緒に行う場合も同じで、どれだけ「できるようになりたい!」とか「ほしい!」とか思ってもらえるかで、時間の価値が大きく変わってくるはずです。

「意欲を見落とす」という落とし穴

対象者の意欲が大切なのは言うまでもありません。
学生時代に、そんなん当たり前じゃんとおもっていた事ですが、いざ自分が臨床の場に出るようになると結構ハマりがちな落とし穴です。
実践の中で、やるべきことばかりに頭を使っていたら、そっちまで頭が回っていなかったっていうのは、一年目に働いていたとき、結構在ったりしました。

「意欲を引き出す」は言うほど簡単じゃない

作業療法が、治療として実際にやらなければならないことや、そのための考え方自体は結構シンプルです。
本人が、興味関心のあることや、本人にとって大切なことの重要性を共有し、それを使ってできることをすれば良いだけだからです。
しかし、具体的に行う活動(アクティビティ)について、どんな風に対象者にメリットを感じてもらうかという部分、いわゆる「プレゼンテーション」の部分が一筋縄ではいかないなと思うのです。
「感じ方」の問題なので、あたりまえですが人それぞれ一人一人違います。
それに合わせて、同じ活動をどのように提供するかという提供までの道筋を変えていく必要があります。
逆に言えば、そこまでこぎ着けてしまえば後は、一年目の新人や学生でもこなすだけなら四苦八苦しながらでも成果を出せるくらいの難易度にはなります。
ひろえもんは、結構安直に「意欲を引き出す」という言葉を使っており、非常に反省するべきところです。
それはやっぱり、「意欲」というのは感性、感覚のモノであって理屈で捉えようとする傾向の強いひろえもんには、修行の必要な領域だと思うからです。

「意欲」的になるには、あるいはなってもらうには

「こうかな」「ああかな」「このひとこんなことをがしたいかな」と感覚的になれるのが一番ですが、理屈っぽい人にはどうにも苦手な部分だと思います。
そんなOTRにとって手っ取り早いのは、自分が嫌なことをどうやったら意欲的にすすめられるかなと、自分の問題としてとりこんで、その問題を解決するための具体案をあれこれ試してみることだと思います。
ためしてみて自分が意欲的に取り組めるようになったことがあれば、それを今度は実際の現場で対象者に再現してみると良いと思います。
「まず隗より始めよ」です。

おわりに

きっと学生さんにも、ひろえもんと同じような人はたくさんいると思います。
「感覚」「感性」大事です。
特に実習中の方はそのあたり見直してみると、プログラムの実施や変更を含めた介入が驚くほどすんなりできるようになるかもしれません。

OTで一番大切なことは自分の仕事と、大切なこととの間に矛盾がないこと

はじめに

利潤の追求は、簡素化と合理化につながりやすい。

そうすると、人として大切なものを後回しにしてしまう。

喪失感はそこから生まれる。 と思います。

やりがいは?

いうまでもなく自、分の仕事にやりがいを持つことは、仕事を続けていけるかどうかの大きな要素の一つですようね。

そして、作業療法士にとってのそれが、お金であっても構わないと思います。

しかし、作業療法士の仕事をまじめにやってると、仕事内容に見合ったお給料なんてありえません。

その理由をネット上に書き込むことはできません。

しいていうなれば、経営について考えたときに、そろばんをはじいてみりゃわかるでしょうという話であります。

ですから、お金にやりがいを見出したい人には向かない仕事なんじゃないかと思うのです。

それ以外のところにやりがいはあるでしょうか。

自分が大切にしていることをどれだけ守れるか

ウォーレンバフェットという人をご存じでしょうか。

株の投資がとても上手なおじいちゃんですが、彼はとてつもない金持ちです。

そして彼がその資産を形成するに至ったのは、自分が決めたルールをしっかり運用したからと言われています。

作業療法士にとっての作業療法も同じだと思います。

自分自身がたいせつだとおもったことや、正しいと確信する理論や哲学に矛盾しない行動がどれだけとれるかというところが長期的な成果に結びつき、いつか結果や成果としてあらわれてくるのではないでしょうか。

短期的な成果を求めると、長期的に失敗してしまいがちなのが株式投資です。

まずは、自分に信念があるかと、その信念は貫くに足るものかという検証を日々行うことが大切と感じております。

検証

自分が「こうだったらいいのにな」と感じることと、していることの間にギャップがあるのはさほど問題ではないとおもっています。

向かっていく方向が間違っていなければ、いつかその差は自然と埋まっていくはずです。

問題なのは、「こうだったらいいのにな」と思うことと異なることをしていたり、それと矛盾する内容を実行していやしないかということです。

たとえば、「地域移行だ」「退院支援だ」といいながら、プログラムの内容が機能的訓練に終始したり、退院後の生活や本人の希望と全く関係ないようなエビデンスを集めるためだけの介入などがそれにあたると思います。

こうした矛盾が、日々自分が行っていることと自身の信念との間に生じていないかどうかを検証することが大切なのだと思います。

おわりに

矛盾があれば、それがひずみになり、自分自身の元気を削ぐ結果になります。

「医者の不養生」という言葉がありますが、作業で人が元気になることを支援する仕事をしている作業療法士が自分と仕事という作業のマネジメントもできないでは、まさにその言葉通りだと思います。

逆に、矛盾がなければどれだけ仕事がキツくてもなんだかんだ頑張れるものです。

そんなやりがいが自然と持てるような介入スタイルや信念、哲学を持つことが作業療法士としての仕事を続けていく上ではとても大切ではないでしょうか。

運転をやめない認知症の方に運転をやめてもらうには?その人の気持ちを支えることで問題を解決した事例の紹介

はじめに

とある作業が、本人のデマンドであっても周りからみて、さまざまな問題を引き起こしそうな場合なかなか、ソレそのものを支援するのは現実的ではない。

そんなジレンマを解決した、模範的な事例を見つけたので紹介。

事例

運転をやめない認知症男性がいます。

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どうしよう?

介入の方向性

認知症が進行すると、運転をすることのメリットよりもリスクが高まります。

大きな事故となる前に、運転をやめてもらう必要性があります。

しかし、運転のスキルはその人の社会性や、行動範囲と密接な関係性があります。車を運転できることで、郊外の店に買い物に出かけたり、旅行が出来たり。

運転の中止はそうした事が出来るという状態を禁止するわけで、対象者に強いストレスがかかること必至です。

その辺を含んだ介入が求められるはずです。

模範事例

今回の記事はこちらのツイートを参考にさせていただきました。

ありがとうございました。

思ったこと

運転卒業式とはすばらしいアイディアだと思いました。

認知症になると、いろいろな事を忘れてしまいがちです。

しかし、多くの人を巻き込んでイベント化し、さらに写真や記念品、感謝状など「目に見えるもの」をたくさん残すことで、「運転してきた人生に区切りをつけた」という記憶の想起を強化しています。

また、イベントを導入することで、対象者のさまざまな感情を喚起することができ、それが記銘を強化することにもつながっています。

本人にとってネガティブな要素ともなりえる「運転の中止」に「楽しい想い出」というポジティブな要素を付加することで、心理的なリスクを低下させたすばらしい解決法だと感じました。

おわりに

こんなイベント企画ができる作業療法士に私はなりたい。

そのためには、色々な人とおつきあいし、その関係性をより良い方向に持っていけるようなマネジメントがデキルための人間的な成長が必須だと感じました。

ちなみに、大手ネット書店ではこんな本が人気みたいです。