作業療法に必要なのはストラテジーと実践と情熱だと思う

はじめに

やり方は色々あるけれども、向かっていく方向性は様々在っていいじゃない。

ただし、そこにはやっぱり戦略とその実践、そして原動力となる情熱が必要。

と思います。

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何をしてもいい

作業療法は何をやっても良いのですよね、本質的には。

キチンと向かうべき方向性と判断さえ誤らなければ、手法は何でも良い訳です。

そして、

「何をしてもいいよ」

と言われたときに、

よっしゃーと思う人と、はてと困ってしまう人

大きくこの二つのタイプの人がいるのかなあと思います。

だから、個人的にOTRとしては「よっしゃー」とおもう人で在れる必要があると思います。

だって、そういう人のほうが、いろいろと生産性は高そうな気がしませんでしょうか。

とはいえ、何も無いところから何かに取り組める人はごくまれだと思います。

物事に取り組むには、たいていは何らかの戦略を必要としますし、その戦略が多ければ多いほど、より良い答えを提示できる気がします。

誰も最初から手持ちが多い訳じゃない

でもってここでも重要だなあと思うことが、手持ちのストラテジーの少なさを嘆かないこと。

そして、今自分が出来る範囲で取り組む努力をすることだなあと思います。

で今ある手持ちとちょっとの背伸びでやったことが、次の実践に繋がるんだろうなと感じています。

きっと、そのちょっとの背伸びを維持するために「こうしたい」「こうなりたい」という情熱が必要になるんだろうなあと思います。

おわりに

具体的なことは何一つ書いていないのでもやっとした記事になりました。

ですが、言いたいことは全部言っちゃいました。

戦略はたくさんあるにこしたことはありません。

そして、それを実践すること、それを支える情熱を持ち続けていきたいなあと思います。

繰り返して悪いことをしてしまう知的障害者を社会としてどのように遇するかという問題

はじめに

こんな記事を読みました。

「IQ25」の被告、見つからぬ社会の”居場所”…刑罰か福祉か (産経新聞) – Yahoo!ニュース

この記事では、罰するのか受容するのかという2択が示されています。

捉え方

記事中から抜粋すると

「再犯の可能性が高ければ、安易に社会に戻すことこそ無責任。障害のみを理由に犯罪を見過ごしてはならない」ー元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授(刑事法)

「善悪の区別がつかなければ刑法の範囲外。後見人をつけるなど福祉による監督強化と、本人の努力が必要だ」とした上で「刑務所に閉じ込めるという発想ではなく社会が寛容に受け入れることが望ましい」ー石塚伸一・龍谷大法科大学院教授(刑事法)

いう二つの捉え方が紹介されていました。

思ったこと

作業療法的な考えでいうと、本人が変わることが出来ないなら環境を変えましょうという話になると思います。

ですので、なぜ善悪の判断が出来ないのかという理由がわからないにしても、「社会に戻ると犯罪を繰り返してしまう」という現象が発生しているということは間違いないので、社会のありようを変えなければならないという風に思います。

本人の努力を期待するのは、やっぱり人としては当然のことかと思います。

しかし、その変化を待つのは福祉的な観点になるんだと思います。

つまり、コストパフォーマンスは度外視してその人の人生の質を高めるんだという、犯罪を何度も犯してしまうひとに寄り添うような思想になると思います。

村社会的な擬似的なコミュニティを作って、そこで実際に生活しながら、認知行動療法などを行いながら永い目で行動を修正していくといった対応が必要になると思います。

おわりに

とはいえ、そんな環境も無いですし、社会で暮らすには理解が足りないし、本人の行動も形作られてしまっているし、難しいと思います。

社会になじめないのであれば、新しい環境を作るという視点とその為の政治が必要なのかなあと思うと同時に、環境設定をしているつもりが障害者を差別しているだけなんではないだろうかという思いにとらわれて、思考の袋小路にはまり込んでしまいました。

精神OTRに身体的リハビリテーションを依頼しても大丈夫!?はい。大丈夫なはずです。

はじめに

現状、精神科でのOTって何でも屋です。

わからなかったら、知り合いのPTやSTに助言をしてもらってでもなんとかします。

作業療法の領域

作業療法は便宜上大きく、次の4つの領域に区分して語られることが多いです。

  • 身体障害領域
  • 精神障害領域
  • 発達障害領域
  • 老年期障害領域

これらは、あくまでざっくりと分けるためのものです。

たとえば、高齢者かつ精神障害者というOT対象の方はたくさんおられます。

ですので、必要な技能をちゃんとチョイスして実行できることが大切になると思います。

問題になるのは、「何が必要か?」

その人が何を求めているか、課題は何であるかということを重視して関わります。

ですので、名目上精神科のOTとしていようが、整形外科受診後に治療計画に沿った身体的なリハビリテーションが必要とあらば並行して行うことはもちろんあります。

例えばご高齢で、廃用予防のため活動性の維持が必要という場合には、積極的に身体リハを行ったり、ベッドサイドでのかかわりを行ったりすることがあります。

専門性は?

あんまりに気にしなくなりました。

気にする人に配慮する必要はあると思いますが、自分自身は何でもできるように準備しておくか、もっと巧い人につなげられるように広く繋がっておくとかそういうのが必要かと思っています。

自分より出来る人がいたら「その人に任せろ」が鉄則ですが、たとえば病院内に自分しかいないんだったら病院外の講習とか、あるいはOTRの集まる場所に行ってみてメンターを見つけてみるとかそういう方向性での動きは必要だなあと思います。

そして、ただ任せっきりにするのではなく積極的に情報交換したり、ノウハウを教えてもらうのもいいかなあと思っています。

ということで、やっぱりコミュニケーション能力が大切ですね。

おわりに

なんでもやるのは、大体人手不足のせいなのでこんな状況改善されないだろうかとはおもうのですが、多分STさんやPTさんといったスタッフが増員されることはあんまりなさそうなのです。

ときに、「精神的な支援に集中できたら」と心の底から思ったこともありますが、きっと甘えです。

患者さんに迷惑かけないよう自己研鑽しないと行けないと思います。

ということで、自分の戒めの為の記事でした。

ネガティブ思考はいきなりポジティブ思考に変わらない

はじめに

いわゆるネガティブ思考の人は脳の仕組みが、楽観的に考えようとする回路があんまり巧く働くようになっていないようです。

個人的実体験を交えて。

実体験

行き詰まったときに先輩から

「ここ、こうしたらいいじゃない」

と具体的な解決策を提示してもらうことがあるのですが、自分的にあんまりピント来なかったり、あれこれ考えてしまってうまく行かないことがありました。

今振り返ると、なんて事は無い問題だったようですが、そのときには失敗要因が頭の中を駆け巡り、不安が先行していました。

「失敗してしまうかも」という思いが過度になると、物事がうまくいくときのビジョンを巧く描けないように思います。

無理矢理ポジティブで混乱

「慣れないことはするもんじゃない」という言葉もありますが、慣れない考え方も無理矢理実用するもんじゃないと思います。

具体的な経験を積み重ねるうちに、うまく行く経験はだんだんと蓄積されて徐々に変化していく物だと思います。

急に考え方を変えようとすると、バランスを崩してしまう人はやっぱり多いんじゃないでしょうか。

自分も、どうしてポジティブな考え方が出来ないんだろうと悩んだりもしましたが、そこで悩んでる時点でネガティブです。

「そのうち出来るさ」で、あんまり深く考えなくても良かったんだなあと今となっては思います。

しかし、無理にポジティブに考えようとしたことで不具合が生じていたと思います。

応用

作業療法の対象者の方の精神状態は様々だと思いますが、その中には当然いわゆるネガティブ思考だったり「悲観的な」アイディアが優先してしまう方もおられると思います。

そういった人々には、もっと「楽観的になったら」と言葉で提案するのではなく、楽観的になるために必要な成功体験や自信、経験などを提供してモチベーションを増やして不安感を軽減することが必要なのだと思います。

また、もし自分自身がネガティブ思考に陥りそうになっているときには、自分が何に不安を感じているのかを整理して、問題点を切り出して整理してアプローチすることが有効だと思います。

時間が解決してくれることもあるので、深刻に悩むべきことかどうかということの見極めや、考え方の枠組みを少し緩めてみることが必要かなと思います。

おわりに

「都会では自殺する」

というフレーズで始まるラブソングもあるくらいですが、あんまりネガティブがすぎるとそんな行動にも繋がるのかなと思います。

ネガティブ思考はいきなりポジティブ思考にならないということを踏まえてもっとどっしりと変化をまてるといいなあと思います。

参考

ネガティブ思考の人に「ポジティブに」とアドバイスしても逆効果 | IRORIO(イロリオ) – 海外ニュース・国内ニュースで井戸端会議

感情と縦割りで見る、チームワークの壁と、リハビリテーションと主体性の関係

はじめに

昔のOTジャーナル(三輪書店)の巻頭言に思わず、うむむ、とうなったのがあったので紹介します。

『チームワークの壁 佐藤 剛先生』 の要約

  • かつてのリハビリテーションは海外からの直輸入品
  • 日本の風土に直して導入することが必要
  • 日本のチームワークは感情と縦割り組織が前提になってきた
  • リハの概念を実現するには日本のチームワークのあり方は変わらなければならない

感想

これをよんで、ひろえもんは「リハビリテーション」の概念を日本に輸入したのってやっぱり難しいところが結構あるんだなと感じました。

たとえば、当事者主体という概念が、あんまり日本では当人から必要とされていないかもしれないとおもったりします。特に高齢の方については、いままでの生き方もあるのでしょうが自己主張できる場面においても他人に選択してもらいたいと考える方を多く目の当たりにします。

「リハビリテーション」の概念には主体性や選択がその根底にあるように思います。

「リハビリテーション」を日本の文化風土の中で実現するためには、それが巧く発揮してもらえるような動き方を自分自身が出来る必要があると感じるます。

おわりに

と同時に、「リハビリテーション」のほうを日本式にカスタマイズしていくのもいいのかなあと思いました。

リハの概念とあり方は、その時代や分化に合わせて多様であるべきだと思います。

概念があんまりコロコロと変わると混乱してしまうかもしれませんが、自由度が高いのが作業療法の良いところだとおもいます。だから、OTRとして自分自身は柔軟でありたいと思います。

デジタルディバイド(情報格差)の何が問題か?

はじめに

よく、インフラや仕組み上の問題として取り上げられるデジタルディバイド(情報格差)ですが、「そりゃ本質とちがうんぢゃあないの」と思うと同時に、障害の構造ともそっくりだなとおもったので記事にすることで自分の考えを整理してみたいと思います。

ざっくりと。

ざっくり

情報格差が問題ではなく、アビリティの差が問題である。

べつに機会があろうが無かろうが、結果に差が生じていることを問題視している人が多い。

その差があんまり大きくないなら着目されないはずだから。

同じデバイスが手元に在っても、デキルことの差はどんどん拡大していく。

それは、一見誰にでも操作できるように見える機械類のほうが大きな差をもたらす。

企画や運用能力、狙いをもってそれを自分の目的にそって最適な形で活用できるかどうかに大きなさがあることが問題の本質ではないか。

おわりに

その本質は、個人主義にあるのではないでしょうか。

人が有機的につながる社会構造だとそこまでバランスの悪いことにはならないはず。

情報格差よりも、一見万遍なく共有できそうなツールや仕組みがありながら、深い部分でつながれずこぼれ落ちてしまう人たちの存在することがこの構造的問題の本質である。

と思います。

社会復帰という言葉は便利なのか不便なのかよくわからないと思います。

はじめに

障害を語るときに、良く社会復帰というモノが俎上に上がると思います。

安直に「社会復帰」という言葉を使うのはやめたいなと思ったので備忘録です。

社会復帰とは?

社会復帰という言葉は非常に曖昧だと思います。

その意味するところが曖昧だからこそ便利なのだと思います。

社会復帰というのは、具体的にどういう意味でしょうか。何を指すのでしょうか。

病院という場所から社会に帰る、というかつまり退院できる事でしょうか。

職場を得て、自分で生活する基盤を獲得することでしょうか。

きっと人に依って思う社会復帰のイメージは大きく異なるのだと思います。

誰が何の目的で使う言葉か

そもそも、社会復帰が重要視されるのはなぜでしょうか。

障害により支援を必要とする人たちが、社会復帰を望むからでしょうか。

それとも、社会が彼らの社会復帰を必要とするからでしょうか。

社会復帰という言葉が必要になるのは、その言葉が指すような病院や施設という特殊な生活の枠組みから多くの人が利用している生活の枠組みへの移行を推進したいという意思が存在するからです。

社会復帰の困難は何?

そもそも社会復帰は果たすモノなのでしょうか。

当人や周囲の協力な意思の力が無いと成し遂げられないものなのでしょうか。

個人的には、社会復帰という言葉の曖昧さがその困難さの一つになっているように思われます。

おわりに

社会復帰という言葉があるおかげで、方向性が大まかに共有できる一方で詳細で具体的なビジョンについてきちんと想像や想定をしないままに取り組みを行ってしまうことがあります。

取り組みながら、自分がどういうつもりで「社会復帰」という言葉を使っているのか、常に自分に問いかけていく必要があると感じました。

真剣に遊ぶと、失敗の確率が減る話

はじめに

作業療法の基本も、遊びのなかにあると感じています。

遊びっていうのは、人生にとって必要不可欠なものだとおもいます。

遊びの中での経験とその蓄積が、失敗を減らし新しいことへの挑戦を可能にしてくれるからです。

人の成長と遊び

人間の成長にとって、遊びはなくてはならない物です。

たとえば、小さいころにおままごとをしたことがある人は多いはずです。

あの遊びにはきちんと意味が在って、子供が自分の認知機能をフルに使って、人間の関係性を簡便化して役割を認識するのに役立ちます。

シュミレーションってやつですね。

おままごとやごっこ遊びは、一般的に単なる遊びで何の生産性も無い活動のようにとらえられることすらあるようですが、社会性の獲得や振る舞いの学習にとってそれらはとっても重要です。

遊びの中で、さまざまな役割をたくさん経験すればするほど、人間社会の新しい属性と役割を学ぶことが出来、認知能力や知的能力を高めることが出来ます。

おままごとをすることで、家族関係や、役割についての認識が強化され、そのコミュニティのルールを認識することになり、極端な逸脱や失敗をする確率は減少します。

そういう意味で、おままごとは一種の認知行動療法やSSTと言えます。

大人になっても、遊びがなんらかの課題解決に役立つ可能性があるのは、きっと変わらないはずです。

いろいろな遊びからは何らか、得られることがあるからです。

遊びから学びを得るために

ただし、遊びが何らかの問題解決や仕事に繋がるには一つ条件があるように思います。

それは、どれだけ真剣に遊べるかということです。

遊びに対して真剣になるというのは、自分の体や頭をどれだけ意識的に動かしたかということです。

テレビゲームでも何でもかまいません。

が、同じことをいつまでもやって遊ぶのではなく、格闘ゲームであれば昨日よりも1秒でも早くコマンド入力が出来るようになったり、育成ゲームであれば裏パラメータの存在を仮定検証したりできるかということだと思います。

つまりどれだけ、「こんなことがしたい」という思いに向かって、馬鹿みたいに試行錯誤を繰り返して一生懸命になれるかということです。

対象は何でも良いので、向上心をもって取り組めるかということです。

あるいは、会話などによって誰かとその体験を共有したり、文書化して整理することによって経験を蓄積し、次に繋げることです。

真剣に遊ぶってむずかしい

バイタリティが高くない自分のような人間には、真剣に遊ぶって結構ハードルが高いです。

最初は、真剣にやっているつもりでも、後々までなかなか継続しなかったりします。

そして、遊ぶんだったら楽しくないと意味ない訳でして、真剣さの中に如何に楽しみを見いだすことが出来るか、そのバランスが難しいです。

考えるまえに体や頭が動かせるようになると、真剣に取り組みながらも自然と楽しめるようになる気がします。

手を抜かないようにっていう意識づけはする必要があります。

おわりに

草食系な人が増えているといわれる昨今ですが、無駄なことなんて無いと信じて色々遊んだりやってみることが大切なんじゃないかと思います。

あと、遊びを念頭において書きましたが、「真剣にやる」のという感覚は、実は日常生活全般にわたって応用できるとはおもうのです。

遊びや仕事中はもちろん、色々と意識的になれたらいいなあと思います。

患者さまのための仕事ができるOTRになるための先輩とのやりとりの方法

はじめに

ひろえもんはOTR2年目に突入した訳ですが、1年間病院で働くなかでOTRとしての日常業務は、患者さまとの関わり以外にもたくさんあることをおもいしらされました。

業務が色々あるなかで、その中でまきおこるさまざまな問題に対処するためには、当然職場の先輩との様々なやり取りがスムーズにできることが望ましいとおもいます。

このことは、看護、PT、介護、PSW、相談員、臨床心理士なんだろうと変わりないと思います。

先輩とやりとりする自分なりの3つのtipsを書いてみたいと思います。

ほう/れん/そう

基本はやっぱり「ほうこく・れんらく・そうだん」です。

業務をスムーズにするには、その3つの抜け漏れがないかチェックすることが有効だと思います。

何喋ったら良いのかわからないときにも、その基本に立ち返ると会話がスムーズです。

自分の悩みや考えを、その先輩がどんなひとなのかも踏まえて、出来るだけありのまま伝えてみるのがいいとおもいます。

優秀な先輩OTRなら、きっとOTらしく刺激的な答えを返してくれると思います。

雑談

「日常業務と関係ないやん」

一見そう思われる内容が、いつどこで、患者様に還元できるかわからないのが、作業療法の面白いところです。

そして、何でもおもしろがるのは、作業療法士にとって大切な感性と思います。

先輩OTRとの雑談を全力でおもしろがってると、きっと色々繋がってくるところがあります。

業務時間外での関係性を大切にする

オフでの関係性が大切になるのはどの職場も同じとは思います。

でも、ひろえもんが働いているのが精神科領域なので、「特に」というところはあるかもしれません。

精神科OTRという仕事は、ごまかしがききません。自分の人生観だったり、価値観だったりというところがどうしても立ち現れてくるお仕事と感じます。

人としての総合力が必要になると言っても良いように思います。

とすると、精神科の場合 あんまり、仕事と日常を区別することに意味は無いんだろうなとおもいます。良くも悪くも。

ですので、業務時間外に一緒に飲みにいく機会を作ったり、食事に行く時間をもったりできるいいんじゃないかとおもいます。そのなかで、病院内にいるときには言えないことをぶっちゃけられると最高です。

自分も相手もすっきりしますし、信頼関係ってそういうもんだと思います。

おわりに

1年終えての、「いまのところ」で書きました。

自分の手持ちの情報がたくさんあったり、自分自身の特性について周囲が理解してくれていることによって、医療人としての幅は大きく広がると思います。

人間ドック学会「健康診断の正常値 緩めるべき」 NHKニュース

要約

  1. 5万人の健康な人のデータを解析
  2. 各バイタルサインや血中濃度などの数値に以下のような「ズレ」が判明

          現在値       学会発表値

血圧        84〜129   94〜147

BMI(男)             25                    27.7

BMI(女)             25                    26.1    

 

 人間ドッグ学会の山門實学術委員長は「この数値は、健康な人には当てはまるものの、何らかの持病がある人は参考にならない可能性があり、医師の指示に従って欲しい」と。

詳細

人間ドック学会「健康診断の正常値 緩めるべき」 NHKニュース