この記事のポイント
- 高次脳機能障害は「脳のネットワークの断線」として理解が進んでいます── 損傷部位だけでなく、脳全体のつながりが関係します
- 注意・記憶・遂行機能・社会的行動・半側空間無視・失行・失認など、症状は多岐にわたります
- 脳には「神経可塑性」という回復力があり、適切なリハビリテーションで機能が改善する可能性があります
- 回復の道筋には個人差がありますが、受傷後数年経っても変化は起こり得ます
- 本記事は「目に見えないものを支援する」シリーズ第1回です
はじめに── 「見えない障害」を理解するために
高次脳機能障害は、外見からはわかりにくい「見えない障害」です。手足の麻痺と違って、記憶の問題や感情のコントロールの難しさは、周囲からはなかなか気づけません。
「なぜ怒りっぽくなったの?」「なぜ段取りができないの?」── その理由を知ることが、支え方を考える第一歩になります。
この記事では、脳の中で何が起きているのかをわかりやすくお伝えします。家族向けの対応ガイドや暮らしの工夫もあわせてご覧ください。
脳はネットワークで働いている
「部位」から「ネットワーク」へ── 脳科学の転換
以前は「記憶は脳のここ」「言葉はここ」というように、脳の機能は特定の場所だけで働いていると考えられていました。
しかし最新の研究で、脳は複数の場所がネットワークのように連携して働いていることがわかっています。たとえば「集中する」という動作一つとっても、脳のいろいろな場所が同時に協力し合っています。
「配線の断線」というイメージ
高次脳機能障害は、「脳の中の配線が部分的に切れた状態」とイメージするとわかりやすいです。
脳卒中やけがで脳の一部が傷つくと、その場所の機能だけでなく、そこを通っていた情報の通り道も途切れます。そのため、傷ついた場所から離れた部分にまで影響が出ることがあります。
ポイントは、傷ついていない部分を使って「別のルート」で補える可能性があるということです。これがリハビリテーションの大切な考え方につながっています。
主な高次脳機能障害── 脳の中で何が起きているのか
注意障害── フィルターの故障
私たちの脳は、たくさんの音や景色の中から必要な情報だけを選び取る「フィルター」の役割を持っています。脳が傷つくと、このフィルターがうまく働かなくなります。
その結果、次のような困りごとが出てきます。
- 集中が続かない: 途中で別のことに気を取られてしまう
- 同時に複数のことができない: テレビを見ながら話を聞くことが難しい
- ぼんやりしやすい: 注意を保つこと自体に大きなエネルギーが必要になる
テレビがついた部屋で会話が成り立たないのは、「聞く気がない」のではありません。脳がテレビの音と会話の声を振り分けられないためです。
記憶障害── 「保存」と「取り出し」の問題
記憶には「覚える」「しまう」「思い出す」の3つのステップがあります。脳が傷つくと、このどこかに問題が生じます。
特徴的なのは、昔のことは覚えているのに、新しいことが覚えにくいという点です。これは、古い記憶と新しい記憶を扱う脳の場所が違うためです。
何度も同じ質問をするのは、情報の「保存」か「思い出し」に問題があるからです。本人にはまったく悪気がなく、本当にその記憶がないのです。「さっき聞いたでしょ」と責めるのではなく、そのつど穏やかに答えてあげてください。
遂行機能障害── 脳の「司令塔」の損傷
遂行機能とは、「計画を立てて、順番に実行する力」のことです。脳の前の方にある「司令塔」が担っています。
この司令塔が傷つくと、こんな困りごとが出てきます。
- 自分から動き出せない: 「ボーッとしている」ように見える
- 段取りが立てられない: 料理の手順がわからなくなる
- 切り替えができない: 予定が変わるとパニックになる
「何もしない」のは怠けではありません。「次に何をすればいいか」を判断する脳の回路に問題があるのです。「次はお風呂に行こうか」と声をかけるだけで動き出すことがあります。
社会的行動障害── 感情の「ブレーキ」の問題
脳には「この場ではこう振る舞うべき」と判断するネットワークと、衝動を抑える「ブレーキ」があります。これが傷つくと、次のような変化が現れます。
- 思ったことをそのまま口にする
- ささいなことで激しく怒ったり泣いたりする
- 相手の気持ちをくみ取ることが難しくなる
- 一つのことにこだわり続ける
「性格が変わった」と感じるかもしれません。でもこれは、脳のブレーキが壊れている状態です。本人はわざとそうしているわけではありません。また、本人が「自分は変わっていない」と言うのも、自分の状態を把握する脳の機能が障害されているためです。
半側空間無視── 世界の半分が「消える」
半側空間無視は、左側の空間にあるものに気づけなくなる症状です。目は見えているのに、脳がその空間を「ないもの」として処理してしまいます。
たとえば、食事のお皿の左半分を残す、左側から声をかけても反応しない、歩いていて左側のものにぶつかる── こうしたことが起こります。
食事の左半分を残すのは「お腹がいっぱい」だからではありません。お皿を回転させて右側に持ってくると食べられることがあります。
失行── 「やり方がわからなくなる」
失行は、手足は動くのに慣れた動作のやり方がわからなくなる障害です。歯ブラシを渡されてもどう使うかわからない、服の着方がわからない── こうした症状が現れます。
脳の中にある「動作の手順書」にアクセスできなくなっている状態です。
失認── 「見えているのにわからない」
失認は、目や耳に問題がないのに、それが「何か」を認識できなくなる障害です。
- 見えているのに、それが何かわからない(触るとわかることもある)
- 顔を見ても誰かわからない(声を聞けばわかることもある)
- 音は聞こえるのに、何の音かわからない
感覚そのものではなく、脳の中で情報と意味を結びつける部分に問題が起きています。
回復の可能性── 神経可塑性という希望
脳は変化し続ける
脳には「神経可塑性」という力があります。これは、脳が経験や学習によって変化し続ける力のことです。
「大人の脳はもう変わらない」と思われがちですが、それは間違いです。大人の脳にも変化する力があることが、科学的に確かめられています。
脳が傷ついた後の回復には、おもに3つの仕組みが関わっています。
回復の3つのメカニズム
1. 傷の周りが頑張る: 傷ついた場所の近くが、失われた役割を引き受けるようになります。けがの後の早い時期に最も活発に起こります。
2. 別のルートで補う: 傷ついていない脳の部分が、失われた機能を代わりに担います。たとえば言葉で覚えにくくなったら、絵や写真で覚えるなど、違う方法で同じことを達成します。
3. 環境の工夫で支える: メモやアラーム、チェックリストなど、脳の外側に「助っ人」を置くことで、日常生活をスムーズにする方法です。
回復のタイムライン
回復の経過には個人差が大きいですが、おおまかな流れは次の通りです。
| 時期 | 特徴 |
|---|---|
| 最初の1か月 | 脳の腫れが引くなどして、比較的早い回復が見られます |
| 1〜6か月 | 脳の変化する力が最も活発な時期。集中的なリハビリが効果的です |
| 6か月〜2年 | ペースは緩やかになりますが、変化は続きます |
| 2年以降 | 工夫やコツの積み重ねで、生活の質は向上し得ます |
「6か月で回復が止まる」「2年が限界」は必ずしも正しくありません。適切な環境と活動があれば、数年後でも改善が見られるケースが報告されています。「もう良くならない」と決めつけないでください。
最新の研究から── 理解を深める3つのトピック
1. 疲労と高次脳機能障害
「すぐ疲れる」「昼寝ばかりしている」── これは怠けではなく、「脳疲労」と呼ばれる現象です。
傷ついた脳は、以前なら無意識にできていたことを意識的に処理しなければならないため、同じ活動でもずっと多くのエネルギーを使います。いわば、普段の道が通行止めになって遠回りしているような状態です。
活動と休息のバランスを意識的に組み立てることが大切です。
2. メタ認知── 自分の状態を知る力
「自分の状態を自分で知る力」のことを「メタ認知」といいます。「記憶力が落ちている」と自覚できていれば、メモを使おうという気持ちが生まれ、回復につながります。
逆に、「自分は変わっていない」と感じている場合は、リハビリへの意欲が湧きにくく、回復が遅れがちです。これも脳の障害の一部であり、本人のせいではありません。
3. 感情と認知の相互作用
注意や記憶の問題と、不安や怒りなどの感情の問題は、別々ではなくお互いに影響し合っています。
不安が強いと集中力がさらに落ち、集中力が落ちるとミスが増えてさらに不安になる── という悪循環が起こりやすいのです。だからこそ、認知のトレーニングだけでなく、心のサポートも大切です。
高次脳機能障害の原因── 脳卒中だけではありません
高次脳機能障害の原因はさまざまです。
- 脳卒中(脳梗塞・脳出血): 最も多い原因です
- 交通事故や転倒による頭のけが: 若い方にも多く見られます
- 脳炎・脳症: 感染症などがきっかけになることがあります
- 低酸素脳症: 心臓が止まった後などに起こることがあります
- 脳腫瘍: 腫瘍そのものや手術の影響で症状が出ることがあります
特に交通事故などの頭のけがは若い方に多く、「見えない障害」のまま学校や職場に戻って、周囲に理解してもらえないケースが少なくありません。
診断と評価── 「見えない障害」をどう捉えるか
高次脳機能障害の診断には、CTやMRIなどの画像検査と、注意力や記憶力を調べる検査(神経心理学的検査)の両方が使われます。
知っておいていただきたいのは、画像で「異常なし」でも高次脳機能障害が存在することがあるという点です。画像に映らないタイプの脳の傷もあるため、「画像が正常だから大丈夫」とは限りません。
検査では、注意力・記憶力・段取り力・全般的な認知機能などを、それぞれ専門の検査で詳しく調べます。
家族が知っておきたい5つのこと
最後に、脳のメカニズムを踏まえた上で、家族に知っておいていただきたいことをまとめます。
1. 「できない」には必ず脳科学的な理由がある
怠けでも、甘えでも、わざとでもありません。脳のネットワークが損傷されたことで、以前は自動的にできていたことに多大なエネルギーが必要になっています。
2. 回復には時間がかかるが、変化は続く
回復期に最も大きな変化が見られますが、適切な活動と環境のもとでは、長期にわたって改善が続く可能性があります。「もう良くならない」と決めつけないでください。
3. 「日によって違う」は脳疲労のサイン
高次脳機能障害の症状は、疲労、体調、環境によって大きく変動します。「昨日はできたのに今日はできない」は、脳のエネルギー管理の問題です。調子が悪い日は、脳が休息を求めているサインです。
4. 環境を整えることは「甘やかし」ではない
メモやアラーム、チェックリストなどの外的補助手段は、「甘やかし」ではなく、損傷した脳の機能を外部から補う正当な代償手段です。眼鏡をかけることが甘やかしでないのと同じです。
5. 家族も支援の対象です
高次脳機能障害のリハビリテーションにおいて、家族は「支援者」であると同時に「支援の対象」でもあります。家族の心身の健康が保たれていなければ、本人への良質な支援も続きません。困ったときは一人で抱え込まず、専門職に相談してください。
高次脳機能障害は「見えない障害」ですが、脳の中では確かな理由があって症状が起きています。「なぜそうなるのか」を知ることで、ご本人への接し方が変わり、家族の気持ちも少し楽になります。
大切なのは、「もう良くならない」と決めつけないこと、環境の工夫は甘やかしではないこと、そして家族自身も支援を受けてよいということです。困ったときは、作業療法士やかかりつけの専門職に相談してみてください。
- 「静かな環境」を意識する: 大事な話をするときはテレビを消してみてください。注意のフィルターが壊れている方にとって、静かな環境は大きな助けになります
- メモやホワイトボードを活用する: 予定やお願いごとを「見える形」にしておくだけで、記憶の負担がぐっと減ります。これは甘やかしではなく、眼鏡と同じ「補う道具」です
- 「調子が悪い日」を責めない: 昨日できたことが今日できなくても、脳疲労のサインです。「今日は休む日だね」と受け止めてあげてください
次回予告── 作業療法士はどう評価するのか
高次脳機能障害は「見えない障害」です。しかし作業療法士には、この見えないものを「見える」ようにする技術があります。
次回の記事では、作業療法士が高次脳機能障害をどのように評価しているのか── 検査室でのテストだけでなく、実際の生活場面で「困りごと」をどう捉え、どう分析し、支援に結びつけているのかを詳しく解説します。
「目に見えないものを支援する」シリーズ第2回として、作業療法士の「評価の目」をお伝えします。
免責事項: 当サイトの情報は一般的な知識提供を目的としたものであり、医療上の助言を構成するものではありません。個別の症状や治療については、必ず医師やかかりつけの作業療法士等の専門家にご相談ください。