この記事のポイント
はじめに── なぜ車椅子の歴史を知るのか
前編では、現在利用できる車椅子の種類と選定のポイントを解説しました。
中編では、車椅子がどのような歴史を経て現在の形にたどり着いたのかを振り返ります。
「歴史を知ることに臨床的な意味があるのか?」と思われるかもしれません。しかし、車椅子の歴史を知ることには明確な意義があります。
現在の車椅子の形や機能には、すべて理由があるからです。なぜ大きな後輪にハンドリムがついているのか。なぜ折りたたみ構造が標準なのか。なぜ軽量化が追求されるのか──これらの「なぜ」は、すべて歴史の中に答えがあります。
そしてもうひとつ。車椅子の歴史は、障害のある人々が移動の自由と社会参加の権利を求めてきた歴史でもあります。この歴史を知ることは、作業療法士として「移動と参加」を支援する意味を改めて考える機会になるはずです。
前編では、車椅子の種類と選び方を紹介しました。この中編では、車椅子がどのように生まれ、進化してきたのかをたどります。
「歴史なんて、実際の介護に関係あるの?」と思われるかもしれません。しかし、今の車椅子の形や仕組みにはすべて理由があります。その理由を知ると、車椅子への理解がぐっと深まります。
古代── 車輪付きの椅子の誕生
最古の記録
車椅子の原型となる「車輪のついた椅子」の最も古い記録は、紀元前6世紀頃の中国にまで遡るとされています。当時の石刻画や文献に、車輪のついた家具に人が座っている様子が描かれています。
また、紀元前5世紀頃のギリシャでも、車輪のついたベッドや椅子が使われていた記録があります。ただし、これらは障害のある人のために設計されたものではなく、荷物や人を運搬するための道具でした。
古代の「車輪付き椅子」には、いくつかの共通点があります。
- 重く、頑丈:木製のフレームに木製または石製の車輪
- 自走は困難:基本的に他者に押してもらう、あるいは動物に引かせる
- 室内での使用:道路状態が悪く、屋外での移動には向かない
- 特権階級の道具:庶民が使うものではなく、身分の高い人の移動手段
この時代、障害のある庶民は「移動できない」ことが当然とされていました。車輪のついた椅子は「移動の自由」のための道具ではなく、権力者の「快適さ」のための道具だったのです。
車椅子の原型は、なんと紀元前6世紀頃の中国にまで遡ります。古い石の彫刻に、車輪のついた家具に人が座っている姿が描かれています。紀元前5世紀頃のギリシャにも、似たような記録が残っています。
ただし、当時の「車輪付き椅子」は障害のある方のためのものではありませんでした。木でできた重い構造で、自分で動かすことはできず、使っていたのは王侯貴族などの身分の高い人だけでした。
16〜17世紀── 「車椅子」の原型
フィリップ2世の車椅子
現存する記録で「車椅子」と呼べる最初の例のひとつが、1595年頃に作られたスペイン国王フィリップ2世の椅子です。
晩年に痛風を患い歩行が困難になったフィリップ2世のために製作されたこの椅子は、車輪、背もたれ、フットレスト、リクライニング機構を備えていました。現在の車椅子の基本要素が、すでにこの時点で揃っていたことは注目に値します。
ただし、この椅子は一国の王のためにオーダーメイドで製作されたものであり、一般の人が使えるものではありませんでした。
「車椅子」と呼べる最初の例のひとつは、1595年頃のスペイン国王フィリップ2世の椅子です。痛風で歩けなくなった王のために作られたこの椅子には、車輪・背もたれ・足置き・リクライニング機能がすでに備わっていました。
ただし、これは王様のために特別に作られたもので、一般の人が使えるものではありませんでした。
バース市の「バースチェア」
17〜18世紀のイギリスでは、温泉保養地として知られたバース市で、「バースチェア」と呼ばれる車輪付き椅子が使われるようになりました。
バースチェアは、療養のために温泉に訪れた富裕層の病人や高齢者を、市内の温泉施設や宿泊先まで運ぶための乗り物でした。大きな車輪が3つ付いた椅子で、使用人が後ろから押すか、前方に立って引く形で移動しました。
バースチェアの意義は、「病気や障害のある人を外に連れ出す」という発想が生まれたことにあります。それまで、移動が困難な人は屋内にとどまるのが当然とされていましたが、バースチェアの登場によって「移動できない人も外出できる」という概念が少しずつ広まりました。
17〜18世紀のイギリスでは、温泉で有名なバース市で「バースチェア」という車輪付き椅子が使われるようになりました。温泉に療養に来た富裕層の方を運ぶための乗り物です。
大切なのは、ここで「歩けない人も外に出られる」という考え方が生まれたことです。それまでは、移動が難しい人は家の中にいるのが当たり前でした。
18〜19世紀── 自走の発想と量産の始まり
自走式車椅子の萌芽
1655年、ドイツの時計職人ステファン・ファーフラーが、自身が麻痺のある下肢を持っていたため、手回しクランクで自走できる三輪の椅子を設計・製作したと伝えられています。
これは、車椅子の歴史における重要な転換点です。それまでの車輪付き椅子はすべて「誰かに押してもらう」ものでしたが、ファーフラーの椅子は「自分の力で移動する」という発想を初めて形にしたものでした。
ただし、この設計が広く普及することはありませんでした。製作コストが高く、量産の技術もなかったためです。
1655年、ドイツの時計職人ステファン・ファーフラーが、足が不自由だった自分のために手回しハンドルで自分で動かせる三輪の椅子を作りました。
これは大きな転換点です。それまでの車輪付き椅子はすべて「誰かに押してもらう」ものでしたが、初めて「自分の力で移動する」という発想が生まれたのです。
産業革命と車椅子
19世紀の産業革命は、車椅子にも大きな変化をもたらしました。
- 鉄とゴムの利用:木製フレームから鉄製フレーム、木製車輪からゴムタイヤへの移行が始まる
- 量産の可能性:工場での大量生産により、コストが低下
- 自転車技術の応用:1860年代以降の自転車ブームで発展した車輪・タイヤ・ベアリングの技術が車椅子にも応用される
特に自転車技術の応用は重要です。空気入りゴムタイヤ、スポーク車輪、ボールベアリング──自転車のために開発されたこれらの技術は、車椅子の軽量化と走行性の向上に直接貢献しました。
19世紀後半には、病院や療養施設で車椅子が一般的に使用されるようになりました。しかし、この時代の車椅子はまだ重く、大きく、主に屋内で使用されるものでした。利用者が自走するというよりは、看護師や介助者が押す「搬送用の椅子」としての性格が強かったのです。
19世紀の産業革命で、車椅子も大きく変わりました。
- 素材の進化:木製から鉄製フレームへ、木の車輪からゴムタイヤへ
- 量産:工場で大量に作れるようになり、値段が下がった
- 自転車の技術が応用された:空気入りタイヤやスポーク車輪など、自転車のために生まれた技術が車椅子にも使われるようになった
ただし、この時代の車椅子はまだ重くて大きく、おもに介助者が押すものでした。
20世紀前半── 2つの世界大戦と車椅子革命
戦争がもたらした需要の爆発
車椅子の歴史を語るうえで避けて通れないのが、2つの世界大戦です。
第一次世界大戦(1914〜1918年)と第二次世界大戦(1939〜1945年)は、膨大な数の戦傷兵を生みました。脊髄損傷、四肢の切断、神経損傷──戦場から帰還した若い兵士たちが、歩行できないまま社会に復帰するという現実に、社会は直面しました。
戦傷兵のリハビリテーションと社会復帰を支援する必要性から、車椅子の需要は爆発的に増加し、技術革新が加速しました。
車椅子の歴史で大きな転機となったのが、2つの世界大戦です。
戦争で負傷した多くの兵士が、歩けないまま社会に戻ることになりました。この現実が、車椅子の需要を一気に増やし、技術の進歩を加速させました。
E&Jの折りたたみ車椅子(1933年)
1932年、アメリカのエンジニアであるハーバート・エベレストは、鉱山事故で脊髄を損傷し、車椅子ユーザーとなりました。当時の車椅子は重くて折りたためず、自動車に積むことも困難でした。
エベレストは機械工学者のハリー・ジェニングスと協力し、1933年に世界初の折りたたみ式車椅子を開発しました。X型フレーム(クロスブレース)を採用したこの設計は、車椅子を横方向に折りたたむことを可能にしました。
この発明の影響は計り知れません。
- 携帯性:自動車のトランクに積載可能になった
- 外出の自由:車椅子ユーザーが自動車で外出できるようになった
- 量産:標準化されたフレーム設計により、大量生産が可能になった
- 設計の基本形:X型フレームの折りたたみ構造は、現在の標準的な車椅子にも受け継がれている
E&J(Everest & Jennings)社は、その後数十年にわたって世界最大の車椅子メーカーとなりました。
1932年、アメリカのエンジニアハーバート・エベレストが事故で車椅子ユーザーとなりました。当時の車椅子は重くて折りたためず、車に積むこともできませんでした。
エベレストは仲間のエンジニアと協力し、1933年に世界初の折りたたみ式車椅子を開発しました。X型フレームで横に折りたためるこの設計は、今でも多くの車椅子に使われています。
この発明により、車椅子を車のトランクに積んで出かけられるようになりました。車椅子ユーザーの行動範囲が大きく広がった、歴史的な発明です。
第二次世界大戦後── ストーク・マンデビル病院
第二次世界大戦後のイギリスで、車椅子の歴史にもうひとつの重要な転換が起きました。
1944年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院に、ドイツから亡命した神経外科医ルートヴィヒ・グットマンが脊髄損傷センターを設立しました。
グットマンは、脊髄損傷者のリハビリテーションにスポーツを導入しました。車椅子バスケットボール、車椅子アーチェリー、車椅子レース──これらのスポーツは、身体的な回復だけでなく、精神的な回復と社会復帰への意欲を高める効果がありました。
1948年、ストーク・マンデビル病院で開催されたスポーツ大会は、後のパラリンピックの起源となりました。
グットマンの業績が車椅子に与えた影響は大きく2つあります。
1. 車椅子に「スポーツ性能」が求められるようになったスポーツ用車椅子は、軽量で、機敏で、身体の動きを最大限に伝えられる設計が求められます。この要求が、車椅子の技術革新を強力に推進しました。
2. 車椅子ユーザーの「アクティブなイメージ」が生まれたそれまで車椅子は「病人の道具」「受動的な存在」というイメージでした。車椅子スポーツは、車椅子ユーザーが能動的に、力強く、競技する姿を社会に示しました。
第二次世界大戦後のイギリスで、もうひとつ大切な出来事がありました。
ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で、医師ルートヴィヒ・グットマンがリハビリにスポーツを取り入れたのです。車椅子バスケットボールや車椅子レースなどが始まり、1948年に開かれた大会がパラリンピックの起源となりました。
車椅子スポーツは、「車椅子=病人の道具」というイメージを変えました。車椅子に乗って力強く競技する姿は、車椅子ユーザーへの社会の見方を大きく変えるきっかけになりました。
20世紀後半── 軽量化、個別化、そして権利運動
軽量車椅子の登場
1970年代以降、車椅子の軽量化が急速に進みました。
背景には、車椅子ユーザー自身の声がありました。戦後世代の脊髄損傷者が社会で活動するようになり、「もっと軽い車椅子がほしい」「もっと速く動きたい」「自分の体に合った車椅子がほしい」という要求が高まったのです。
- 1970年代:アルミフレームの普及。スチールフレームに比べて大幅に軽量化
- 1980年代:リジッドフレーム(折りたたまない固定フレーム)の登場。折りたたみ構造を廃したことで、さらなる軽量化と駆動効率の向上を実現
- 1990年代:チタンフレーム、カーボンファイバーフレームの導入。競技用だけでなく日常用にも超軽量素材が使われるようになった
1970年代以降、車椅子はどんどん軽くなっていきました。
- 1970年代:鉄からアルミへ。大幅に軽くなった
- 1980年代:折りたたまない固定フレームが登場。さらに軽く、漕ぎやすくなった
- 1990年代:チタンやカーボンなど、もっと軽い素材が使われるようになった
この進化の原動力は、車椅子ユーザー自身の「もっと軽く、もっと動きやすく」という声でした。
障害者権利運動と車椅子
1960〜70年代にアメリカで盛り上がった障害者権利運動(Disability Rights Movement)は、車椅子の位置づけを根本的に変えました。
それまで車椅子は「医療器具」──病気や障害の結果として使う受動的な道具──と見なされていました。
障害者権利運動は、この認識を転換しました。車椅子は「移動の自由を実現する道具」であり、眼鏡が視力を補うように、車椅子は移動能力を補う道具にすぎない。障害は個人ではなく社会の側にある──この「社会モデル」の考え方が広まるなかで、車椅子に対する社会の見方も変わっていきました。
この運動は、具体的な法制度の変化にもつながりました。
- 1990年:ADA(Americans with Disabilities Act)がアメリカで成立。公共施設、交通機関、雇用における障害者差別の禁止と、バリアフリー整備の義務化
- 2006年:障害者権利条約が国連で採択。「個人の移動を容易にすること」が権利として明記
- 日本では2006年:バリアフリー新法が施行。公共交通機関や建築物のバリアフリー整備が進む
これらの法制度は、車椅子ユーザーが街に出る権利を保障するものであり、それに伴ってエレベーター、スロープ、ノンステップバス、多目的トイレなどのインフラ整備が進みました。
1960〜70年代のアメリカで障害者権利運動が盛り上がり、車椅子の見方が大きく変わりました。
それまで車椅子は「病気の人が使う医療器具」と思われていました。しかし、障害者権利運動は「車椅子は眼鏡と同じ。移動を助ける道具にすぎない」という考え方を広めました。
この運動は、法律の変化にもつながりました。
- 1990年:アメリカで障害者差別を禁止する法律(ADA)が成立
- 2006年:国連で障害者権利条約が採択
- 日本では2006年:バリアフリー新法が施行
こうした法整備によって、エレベーター、スロープ、ノンステップバスなど、車椅子ユーザーが街に出やすい環境が整えられていきました。
個別化── 「一人ひとりに合った車椅子」へ
20世紀後半のもうひとつの大きな変化は、車椅子の個別化です。
E&J社の折りたたみ車椅子が画期的だった理由のひとつは「標準化」でしたが、同時にそれは「全員に同じ車椅子」を意味していました。身長も体重も障害の部位も異なる利用者が、同じサイズ・同じ形の車椅子を使っていたのです。
1980年代以降、モジュラー型車椅子やオーダーメイド車椅子が登場し、座面幅、座面奥行き、背もたれ高さ、フットサポートの位置などを個別に調整できるようになりました。
「車椅子を人に合わせる」のではなく、「人に合わせて車椅子を作る」──この発想の転換は、前編で述べたモジュラー型車椅子の基本哲学であり、現在の車椅子選定の基盤です。
もうひとつの大きな変化は、車椅子の「個別化」です。
かつては全員が同じサイズの車椅子を使っていましたが、1980年代以降、体に合わせて調整できる車椅子が登場しました。座面の幅や奥行き、背もたれの高さなどを、ひとりひとりに合わせられるようになったのです。
「車椅子に人を合わせる」のではなく、「人に合わせて車椅子を選ぶ」──この考え方は、前編でも紹介した今の車椅子選びの基本です。
シーティングの概念
車椅子の個別化と並行して、シーティング(seating)という専門領域が確立しました。
シーティングとは、車椅子上での座位姿勢を科学的に評価・設計する技術体系です。座面の形状、クッションの素材と形、背もたれの角度と形状、骨盤の位置──これらの要素を、利用者の身体状態と活動目的に合わせて最適化します。
シーティングが重視される理由は、前編で述べた通り、不適切な座位姿勢は褥瘡、変形、痛み、そして活動制限につながるためです。
作業療法士は、シーティングの中心的な担い手のひとつです。身体機能の評価、活動分析、環境評価──これらを統合して「その人にとって最適な座位環境」をデザインすることは、まさに作業療法の専門性が発揮される領域です。
車椅子の個別化とあわせて、「シーティング」という考え方も広まりました。シーティングとは、車椅子に座ったときの姿勢を専門的に調整する技術のことです。
座面やクッションの形、背もたれの角度などを体に合わせることで、お尻の皮膚トラブルや姿勢のくずれを防ぎ、活動しやすくなります。作業療法士は、このシーティングの専門家でもあります。
電動車椅子の進化
初期の電動車椅子
電動車椅子の歴史は、1950年代にまで遡ります。戦後の技術革新の中で、バッテリーとモーターを車椅子に搭載する試みが始まりました。
初期の電動車椅子は非常に重く(50kg以上)、バッテリーの持続時間も短く、操作性も限られていました。しかし、上肢の機能が低下し手動車椅子を操作できない方にとって、電動車椅子は初めて自力で移動できる手段でした。
電動車椅子は1950年代に登場しました。初期のものは50kg以上もあり、バッテリーも長く持ちませんでしたが、腕の力が弱い方にとっては初めて自分の力で移動できる手段でした。
操作方法の多様化
電動車椅子の進化で特に重要なのは、操作インターフェースの多様化です。
- ジョイスティック:手指で操作する最も一般的な方式
- 顎操作(チンコントロール):顎でジョイスティックを操作する。頸髄損傷で上肢機能が著しく制限された方向け
- ヘッドアレイ:頭部の動きでスイッチを操作する
- 息吹き操作(シップ&パフ):ストローに息を吹き込む・吸い込むことで操作する。最重度の四肢麻痺でも使用可能
- 視線入力:近年では、視線追跡技術を用いた操作も研究されている
操作インターフェースの多様化は、「どのような身体状態でも、残存する機能を活用して自力移動ができる」可能性を広げてきました。これはまさに、作業療法が大切にする「残存機能の最大活用」という理念と一致します。
電動車椅子は、操作方法がとても多様になっています。
- ジョイスティック:小さなレバーを手で操作する(最も一般的)
- 顎での操作:顎でレバーを動かす
- 頭の動きで操作:頭を傾けてスイッチを押す
- 息で操作:ストローに息を吹き込む・吸い込むことで動かす
- 視線で操作:目の動きで方向を指示する(研究段階)
体のどこかが動けば、自分で移動できる可能性がある──電動車椅子の進化は、そんな希望を広げてきました。
日本における車椅子の歴史
戦後の日本と車椅子
日本における車椅子の普及は、第二次世界大戦後に本格化しました。
戦傷兵のリハビリテーション施設で車椅子が使用されるようになり、1950年代以降、国内メーカーによる車椅子の製造が始まりました。
介護保険制度の影響
2000年に施行された介護保険制度は、日本の車椅子普及に決定的な影響を与えました。
福祉用具貸与制度により、要介護認定を受けた方が低い自己負担で車椅子をレンタルできるようになりました。それまで車椅子は「買う」ものであり、高額な出費が必要でした。レンタル制度の導入は、車椅子へのアクセスのハードルを大幅に下げました。
さらに、レンタル制度には「身体状態の変化に応じて機種を変更できる」というメリットがあります。回復に伴いより活動的な車椅子に乗り換えたり、状態の変化に伴いティルト式に変更したりすることが容易になりました。
日本の車椅子普及に大きな影響を与えたのが、2000年に始まった介護保険制度です。
それまで車椅子は「買う」ものでしたが、介護保険のレンタル制度により、少ない自己負担で借りられるようになりました。体の状態が変わったときに別の機種に交換できるのも、レンタルの大きなメリットです。
バリアフリー整備の進展
2006年のバリアフリー新法以降、日本のバリアフリー整備は加速しました。
- 鉄道駅のエレベーター設置率の向上
- ノンステップバスの導入
- 商業施設・公共施設のスロープ設置
- 多目的トイレの普及
これらのインフラ整備は、車椅子ユーザーの外出の選択肢を広げました。とはいえ、日本のバリアフリーは先進国の中では必ずしも十分とは言えず、特に既存の住宅・建築物のバリアフリー化は依然として大きな課題です。
2006年のバリアフリー新法をきっかけに、日本のバリアフリー整備は進みました。
- 駅のエレベーター
- ノンステップバス
- お店や公共施設のスロープ
- 多目的トイレ
こうした整備により、車椅子での外出がしやすくなっています。ただし、古い建物や住宅のバリアフリー化はまだ課題として残っています。
車椅子の歴史が教えてくれること
数千年にわたる車椅子の歴史を俯瞰すると、いくつかの重要な教訓が浮かび上がります。
教訓1:技術は需要に応じて進化する
車椅子の技術革新は、常に「この車椅子では足りない」という切実な需要に応じて起きてきました。戦傷兵が社会復帰を求めたとき、障害者がスポーツを始めたとき、車椅子ユーザーが「もっと軽く、もっと速く」と求めたとき──技術はそれに応えてきました。
教訓2:当事者の声が最も強い推進力である
折りたたみ車椅子を発明したエベレストは、自身が車椅子ユーザーでした。軽量車椅子の開発を推進したのも、車椅子ユーザー自身の要求でした。障害者権利運動の中心にいたのも当事者でした。
車椅子の歴史は、「受動的な患者」としてではなく「自分の生活を自分で設計する主体」として障害のある人々が声を上げてきた歴史です。
教訓3:車椅子は社会を映す鏡である
車椅子がどのように使われ、どのように見なされているかは、その社会が障害をどう捉えているかの反映です。
車椅子が「病人の道具」と見なされる社会では、車椅子ユーザーは「かわいそうな人」として扱われます。車椅子が「移動の道具」と見なされる社会では、車椅子ユーザーは「移動手段が違うだけの人」として扱われます。
バリアフリー整備の進み具合、車椅子ユーザーへの社会の態度、福祉用具制度の充実度──これらはすべて、その社会の成熟度を示す指標です。
数千年の歴史を振り返ると、大切なことが見えてきます。
車椅子の進化は、「移動したい」という当事者の願いによって進んできたということです。折りたたみ車椅子を発明したのは車椅子ユーザー自身でしたし、軽量化を求めたのも当事者の声でした。
そして、車椅子は「病気の人の道具」ではなく「移動の自由を実現する道具」です。眼鏡をかけることと同じように、車椅子を使うことは自分らしく暮らすための積極的な選択なのです。
おわりに── 歴史を知り、未来を考える
車椅子の歴史は、技術の歴史であると同時に、権利の歴史であり、尊厳の歴史です。
移動できないことを「仕方がない」と受け入れるのではなく、「移動したい」という願いを技術と制度で実現してきた人々の積み重ね。その積み重ねの上に、現在の車椅子があります。
作業療法士として車椅子に関わるとき、その一台の車椅子の背後に、数千年の歴史と、無数の人々の「動きたい」という願いがあることを、どこかで意識していただければと思います。
後編では、スポーツ用車椅子、スタンディング車椅子、階段昇降機能付き車椅子など特殊な車椅子と、自動運転車椅子、パワードスーツとの融合など車椅子の未来を展望します。
- 車椅子は「あきらめの道具」ではありません。移動の自由を求めてきた人々の知恵と努力の結晶です
- 今の車椅子は選べる時代です。体に合った一台を見つけることで、暮らしが大きく変わります
- バリアフリー情報を事前にチェックしておくと、車椅子でのお出かけがスムーズになります
この記事の執筆者
ひろえもん作業療法士
作業療法士の国家資格を持ち、2012年から作業療法の普及・啓発を目的に当サイトを運営。 臨床経験に基づき、確認できる情報源にあたった上で執筆しています。
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